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2010.5.26
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食文化を失った和食党増殖中…

ご飯と味噌汁さえあれば和食と考える人もいるようだ。

 2009年末発刊の小学生の給食の内容を取り上げた、食分野の作家の本が売れているとか。
 感慨深いものがある。
 小生の時代は、美味しくない脱脂粉乳が必ずつき、コッペパンにマーガリン、それにクリームシチューモドキといったメニューだった。それに比べれば、今の給食など羨ましいかぎり。そのメニューに対する批判の本が売れるというのである。

 この著者が給食に不快感を持つ一番の理由は、ハンバーガー、ホットドッグ、ピザ、ラーメン、菓子パンなどが献立の主流という点らしい。ご飯に味噌汁という献立がほとんど無いのがご立腹といったところか。大人にしても、お昼は時間の余裕もない訳で、この手の外食で済ます人が少なくないのだから、目くじらを立てるようなものではないと思うが。子供の食の問題は、給食ではなく、朝食抜きとか、いい加減なもので済ましている方ではないかな。
 それに、おかしな食と指摘したいようだが、あくまでも学校給食法の範囲内であり、栄養士が栄養素計算をしている。従って、問題はあるものの、とてつもなく大きな問題が内在している訳ではない。潤沢な予算を注ぎ込もうというなら別だが、料理の内容に限界があるのは当たり前だ。

 小生は、ご飯に味噌汁は好きだが、給食には向かないと考えている。廉価な加工食品ではなく、米から始まって、国産の高価な農産品の使用割合が急増するからだ。それに調理・配膳・片付けの手間が大幅に増えることも間違いない。給食は外食チェーンの価格帯で行っているのではないから、税金バラマキを好むなら別だが、どう見ても無理筋である。こんなことは当たり前と思うが。
 つまり、この本は、教育費用を増やすよりは、給食費にお金を回せという政治主張なのである。学力向上に一丸となって取り組み、給食はお粗末という時代とは全く逆に進もうということ。ついに、ここまできたか。

 ただ、確かに恐れ入る献立ではある。・・・「ドーナツ+ラーメン+牛乳」、「カレーうどん+アメリカンドッグ+小倉白玉+牛乳」、「黒糖パン+桜エビのかきあげ+みそ汁+牛乳」
 しかし、「トースト+野菜の味噌汁+ゼリー」の朝食を誇る、“お洒落な生活”を誇る大人もいるのが現実。それに比べれば驚くようなメニューではなかろう。
  → 「味噌汁哲学批判」 (2008.9.10)
 おわかりだと思うが、問題は給食のメニューではなく、普段の食がそうなっていること。理屈だけの“和食”を給食に出したら食べ残しだらけになること必至。和食は、手を抜くと“格段に”美味しくなくなるのである。そんなことは、工場の食堂の超安価な昼定食を食べている人ならすぐにわかる筈。(昼食予算を夕方からの一杯に回せるのでこれはこれで支持があるとか。もっとも、超安価品は不評な場合が多く、廃れてきたが。)学校給食は人件費が格段に高いから、それ以上に安価にしなければいけないのだがね。

 この本は、「粗食のすすめ」で知られる食の作家が書いたもの。従って、「ドーナツ+ラーメン+牛乳」が不快なのはわからぬこともない。しかし、小生には、この方の勧める“和食”も五十歩百歩に映る。その辺りの話をしておこう。

 言うまでもないが、しっかり作った粗食の美味しさは格別なもの。場合によっては、単なる食なのに、研ぎ澄まされた精神さえ感じさせられる。茶粥に奈良漬程度の朝食でも、状況によっては素晴らしいものとなる。それが和食である。もちろん、これでは栄養的に不十分だから、根野菜と干椎茸の煮物と温泉卵でもつけれたらよい。これだけで立派なものだと思う。この辺りが粗食の基本だと思う。
 そんな食事なら共感を覚えるが、この方の夕食を眺める限り、そういった類のものとは思えないのである。はっきり言えば、文化の香りがせず、味気ない食卓といったところ。まあ、人それぞれではあるが、これが小生の正直な感想である。できれば御免蒙りたい食である。

 これでは、なんのことやらわからないだろうから、この著者の2010年の夕飯メニューを眺めてみようか。・・・
【4月19日の夕飯: 焼きそば(白菜・ピーマン・もやし)、筍の和え物】
 “やや、恥かしい夕飯です生活の慌しさがでてます”という話ではなかろう。
 小生なら、キャベツの千切りと豚小間のソース焼きそばにして、青海苔を振り掛ける。市販の千切りの生姜の酢漬けをつけると、夜店風になる。なかなか嬉しいものではないか。手間がかかるようなものではない。
 まさか焼きそばだけ購入することはなかろう。この方は、恣意的に夜店風ソース焼きそばにはしたくなかったことがよくわかる。間違えてはこまるが、肉の出費など僅か。野菜にしても、転用が利いて長持ちするキャベツの方が安価である。わざわざ、日持ちしないもやしを入れる必要などない。それに、ピーマンを入れるなら、人参も入れたいところだ。
 白菜があるなら、千切りにして、油揚をカリカリに焼いたものと混ぜ、好きな調味料で味をつけたものを一皿加えたらどんなものか。こういうことを考えるのが家庭料理の醍醐味だと思う。

 そもそも、この方の和食のメニュー感覚にはついていけない。
【4月16日の夕飯: 赤飯(ごま塩)、みそ汁(キャベツ)、納豆、銀むつの照り焼き、野菜の煮物(がんもどき・ピーマン・なす)】
 驚いたのは、赤飯に納豆の生み合わせ。まあ好き好きとはいえ、合うものかな。それに加え、わざわざ脂がきつい銀むつを何故選ぶのか。粕漬けならわからないこともないが、生の照り焼きとくる。弁当屋ならこの選定はわかるが。しかも、味噌汁で、その具がキャベツとくる。煮上がりが違う、ガンモドキとピーマンを一緒にするセンスもどんなものかね。
 こんな取り合わせをわざわざ選んで、嬉しい食事になるものだろうか。
 小生は、冒頭の給食メニュー以上の違和感を覚える。これを見ると、毎朝、パンに味噌汁の人がいるのも頷ける。
 食は文化であり、ご飯、味噌汁、漬物があれば和食という訳ではないと思うが。育んできた食文化を慈しむ気がなければ、なんでもありになるということ。

 そもそも、粗食といっても限度があろう。夕食位、“文化的”にまともな料理を作ったらよさそうに思う。お金がかかる訳でもないのだから。
 その観点では、以下のような食は最悪。もちろん、健康の視点でも質は悪いと言わざるを得ない。
【3月17日の夕飯: ご飯、みそ汁(もやし・じゃがいも)、ぬか漬け(大根)、蕗の煮物、冷奴、スパゲッテイサラダ(水菜・にんじん・玉ねぎ)】
 一番の問題は、主菜が無いこと。冷奴の小皿や蕗の煮物はそれに当たらない。湯豆腐とは違うのである。干物でもつけるだけでよいのだから、簡単ではないか。蕗の煮物など、処理から始まってとてつもなく手間がかかるし、素材の質と味付けによっては美味しいものには仕上がらない。素人が手を出すべきでない料理といえる。その一方で、簡単な料理をつけるのを避けるのだ。一体、どういうことなのだろう。
 それと、スパゲッテイサラダのドレッシング味と、蕗の煮物の味を同居させるのはどんなものか。本当に蕗が好きな人だったら、こんな食べ方をするとは思えない。
 味噌汁の具も、もやしは省きたいところだ。じゃがいもだけでは寂しいなら、廉価な焼麩を入れればすむ。もやしが特に好きなら別だが、売り物のもやしは水でよく晒さないと、味噌汁の味が今一歩になりかねない。もやしと若布で一皿増やしたら良さそうなものだ。

 それにしても、驚くほど野菜料理が少ない。この方が考える粗食とは、「飯、みそ汁、たくあん」以外の料理の点数を減らすという意味なのかも。
【3月25日の夕飯: 飯、みそ汁、たくあん、春巻き、冷奴】
 正直な印象から言えば、定食屋や工場の食堂メニューから、野菜の一皿を外したようなもの。おそらく時間がなかったのだろうが、家庭で作るなら、わざわざこんなメニューにしなくてもよさそうなもの。春巻きではなく、肉野菜炒めをお勧めしたい。調理が簡単だし。
 しかも、“冷奴という天気ではありません。寒いです”というのに、どうして豆腐をつけるのか理解に苦しむ。
 春巻きを主菜にしたいなら、炒め玉葱の中華風スープに盛りだくさんの木綿豆腐にしたら楽しいのではないか。スープが、味噌汁と比べて、手間がかかる訳でもないし。この場合、漬物は、大根の即席醤油漬け辺りがお勧め。
 冷奴というより、それにかける鰹節が食べたいということなら、すりおろし人参に混ぜた小皿をつけるのも一案。

 そうそう、くだんの給食に負けない凄いメニューもあるからご紹介しておこう。小生の判断ではなく、ご当人も認めている代物。・・・“和食のような、韓国のような、イタリアンのような。学校給食みたいになってしまいました(^^)”。
【4月14日の夕飯: ビビンバ風(?)、みそ汁、ピリ辛こんにゃく、サラダパスタ】
 ビビンバに味噌汁ですまず、パスタが付くのである。唖然。ご批判の対象である学校給食のメニューどころではない。昼は、大人でも、麦一枚だけで軽く済ましたり、仕事をしながらデスクでサンドイッチとミルクティーということもあろう。腹持ちは必要だが、お昼の時間がおしいから、カレーショップでさっと切り上げることも少なくなかろう。
 しかし、家庭での夕食位まともに考えたいものである。給食より、こちらの方が余程問題ではないのか。

 そうそう、“筍は土から出る直前のものが柔らかくて美味しいんだそうですね。50数年も生きてきて、知りませんでした”という話にも驚かされた。
 都会に住めば、もぎたてトウモロコシや枝豆を食べる機会などないから、取立てとどれだけ味が違うかわからないのは致し方ないが、食の作家が、筍の値段がピンキリなのを知らない訳ではあるまい。
 どうしてそうなるかと言えば、価格問題には触れなくないからだろう。(日本の食問題の根源はここにあるのだが。)

 野菜が超安価で手に入る地域に住む人は別だが、美味しい和食を日本産品で作ろうとすれば、とてつもなくお金がかかる。これが日本の一大特徴。しかも、質の悪いもの農産品でも、海外の価格とは比較にならぬほど高額なのである。(税金をバラ撒いて、どうやらこの程度の価格で収まっている状況。)残念ながら、この状態では、“伝統的”和食文化は廃れるしかない。無理に追求すれば、ただただ「ご飯と味噌汁」堅持となるだけ。メニュー内容はどうでもよくなる。
 小生には、それが和食の精神とは思えない。どちらかといえば、西洋のパン食文化に近いように見える。
 ある意味、給食のバラエティメニューの精神の方が、和食の精神を受け継いでいるのかも知れないと思うほど。旬を楽しむとか、新しい料理を味わうシーンを彷彿させられるからである。

 --- 参照 ---
(本) 幕内秀夫: 「変な給食」 ブックマン社 2009/12/5
  http://blogs.yahoo.co.jp/makuuchi44/49810455.html
(日々のメニュー) 幕内秀夫の食生活日記 blog
  http://blogs.yahoo.co.jp/makuuchi44
(イラスト) (C) NOM's FOODS iLLUSTRATED
  http://homepage1.nifty.com/NOM/


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