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2003.2.23
 
 


構造改革とは何だ…

 小泉政権の語る「構造改革」とは、何を意味しているのだろう?

 政策の核は、不良債権処理加速と特殊法人解体だが、これらの動きを見る限り、「構造改革」向に動いているとは言い難い。

 「構造改革」とは、非効率な部分を切り捨て、意味ある分野に資源を振り向け、資本効率を向上させることだ。切り捨てるから、一時的にはその影響で、経済下降局面を迎える可能性はある。しかし、マクロでは効率が向上するのだから、遠からず経済は伸びる、との考え方である。
 ところが、不良債権処理、特殊法人解体、の両者ともに、そのような方向には進んでいない。

 柳沢金融庁時代は不良債権処理は先送りされていたが、竹中金融庁登場で、急遽方針転換が図られた。これで、一気に処理を進めれば、資金も回り始めるし、資本効率も上がる、と期待した人も多かった。しかし、この政策は見かけとは違い、非効率部分を残す政策のようだ。非効率部分を、銀行の帳簿から、「産業再生機構」という名称の公的部門の帳簿に移すだけの話しなのだ。
 それでも、銀行の帳簿から不良債権が減れば、金融システムは多少は健全化するという目論み、といえよう。

 このような施策が金融健全化に繋がるだろうか。

 驚いたことに、銀行は不良債権処理の一方で国債購入を進めている。このことは、マクロで見れば、銀行の資本効率は益々悪くなっていることを意味する。しかし、不良債権を消す原資となる収益増となるから、政府は放任している。
 明らかに、ここでも「構造改革」路線に反する動きを認めている。

 特殊法人解体も同じようなやり方だ。こちらは、不良債権のちょうど逆である。国の帳簿から非効率部分を削り、他の帳簿に記帳するのである。国が担当するから、非効率との論理らしい。しかし、地方自治対も銀行も、非効率部分を温存し続けており、この体質が変わる保証はない。
 しかも、新しい施策には、必ず抜け道が用意されている。これでは、表面上の変化で終わるのは間違いない。

 何故このようなことがおこるのか?・・・答えは簡単である。

 不良債権が山積した理由や、特殊法人が肥大化した理由を、いつまでもはっきりさせないからだ。原因を抉りだし、元から絶たない限り効果が上がる筈がない。

 そもそも、資本効率を上げようとしない企業が「構造改革」に動く筈があるまい。口先だけのスローガンは害毒を撒き散らすだけだ。

 典型は、銀行の債務の時価評価を巡る動きだ。
 一番の驚きは、今まで、このような評価をしてこなかった、と平然と発言する態度だ。
 これで、まともな経営ができるだろうか。資本効率を上げたければ、時価評価なしでどのように収益計画を立てるのだろう。もし、こうした発言が本当なら、外部の評価と、コネで、企業に金を貸していたと考えるしかない。貸出部門には金融のプロは存在しないのだ。
 要するに、特定企業グループや、地域の同業種全般へ集中的に貸し込むビジネスを追求してきただけだ。しかも、担保も不動産ばかりである。価値判断不要の分野を決め、そこに特化してきたといえる。
 リスク分散は全くない。貸出対象分野が落ち込めば、一気に不良債権化が進む。
 いったん下降局面に入れば、極めて不安定にならざるを得ない、金融システムといえる。

 貸し先と一身同体化した経営であるから、資産効率向上のために、不良債権を切ることは難しい。どこかを切れば、自社全体の否定に繋がりかねないからだ。
 従って、不良債権対策とは、顧客の復活支援以外に打つ手はない。たとえ復活が無理筋で、共倒れしかねなくとも、それ以外の道はとれない。
 不良債権問題とは、この体制変革を避けて通れないのである。

 その視点で考えれば、「構造改革」を進めるためには、まずは、銀行のポートフォリオが広がるように、金融市場をよりオープン変える必要がある。同時に、効率が悪い経営を進める企業に、この市場から退出してもらう必要がある。
 例えば、年金や個人投資ファンドを中心とした社債市場の成長促進とか、優良債権/不良債権の透明性あるオープンマーケットをつくることである。遠回りに見えるが、金融システム安定には不可欠な政策である。
 これらの動きは、掛け声だけはよく耳にするが、数字を見る限り、ほとんど進んでいない。・・・不良債権償却原資でもある、銀行の収益源を削る動きは抑制するつもりなのだ。


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