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2003.6.20
 
 


税効果会計問題…

 金融庁が、監査に介入せず監査法人の独立性を尊重する、と明言したため、銀行の税効果会計問題での議論が騒がしくなった。但し、騒がしいだけで、現状認識も違えば、最優先課題も異なるため、議論は噛み合っていない。

 しかし、効果なき施策だ、との指摘だけは、それなりの議論になっている。
 この施策は効果ありと主張する側は、監査法人のプロフェッショナル性発揮を期待している。一方、批判側は、規制当局がガイドラインを打ち出すような積極的姿勢が無い限り、効果は限定的、という主張だ。
 どう見ても、後者の方に理がある。株主訴訟を恐れる監査法人があるかもしれないが、今まで築いてきたコミュニティを守ろうと考える人も多い。効果があがる保証はどこにもないのである。
 そもそも、大手監査法人に大蔵OBが揃っていることを、知らない人はいまい。この状態で、監査法人独自の判断、と言われても、ピンとこない。

 しかも、実質的な銀行国有化にもかかわらず、株価上昇だ。自由市場なら、普通は株主が損をする。ところが、この国では株主が得をする。これでは、透明性向上と言うより、従来型恣意的行政を続ける、との意志表示に映る。
 と言うより、相変わらずの護送船団方式、現状維持策が続いているだけの話しだ。もしも、自ら改革に動いてきた銀行がいたら、この施策で政府事業との競争を余儀なくされることになり、経営はますます厳しくなる。
 従って、マクロで見れば、今回の銀行国有化は改革の道を進んでいる訳ではない。銀行業界の状況はさらに悪化したのである。

 もともと、税効果会計とは、政府・企業・監査法人が、企業実態をわからなくするために編み出した手法とも言える。
 例えば、土地を納税用価格で表示して意味があるだろうか。税金徴収側から見れば、好都合だろうが、どの程度の資産を保有しているのか、誰にもさっぱりわからない。
 要するに、日本の会計監査とは、政府が「示唆」したレベルで虚構の経営数字を作る仕組みに過ぎない。長期的に、経済が上向きの時ならそれなりに機能するが、下降局面では早期警戒信号まで覆い隠す可能性があるから、極めて危険な仕組みといえる。
 銀行における税効果会計も、同じことだ。

 どう考えても、このような仕組みを続ける限り、日本経済の再興などあり得まい。

 しかし、この体制が心地よい人だらけなのである。

 実際、長銀破綻に際しての、数値の出鱈目さ加減はひどかった。10%以上の自己資本比率だったのに、僅か4ヶ月後の判定は債務超過だ。これが日本の監査の実態である。そして、破綻後は、皆、黙して語らない。この問題をまともに指摘したのは木村剛氏だけだった。

 もっとも、これは、監査分野に限らない。圧巻は、社債市場だ。
 2001年のマイカル破綻では、驚きを通り越した。
 破綻時に、マイカル社債を投資適格としていた格付け会社があった。S&Pが投機的としたのははるか昔のことであるにもかかわらず、このようなことが平然と行なえるのだ。
 その後、社債市場は、なにか変わっただろうか。

 地方債に至っては、業界では「縁故債」と呼ばれている。格付けやリスク判断どころか、指示に従って、関係金融機関が債権を買わされる。公募しないのだから、どこで何がどのように行われているか定かでない。

 そして、政府は、「市場にまかせる」と称し、不透明な株価の動きも放置する。
 光通信の株価は最たるものと言えよう。2000年初頭には20万円を越えたが、高値をつけた僅か半年後に、2桁下落したのである。株価のアップダウンはあるが、このような動きはどう見ても尋常とは思えない。
 しかし、新聞では、監視委員会の発言を一度も見かけなかった。何の問題意識も感じていない、というより、これこそが政府の姿勢なのだろう。市場育成などどうでもよい。仲間内で問題解決できる体制さえ維持できれば、十分なのである。

 これらは、表面的には政府の問題に見えるが、実は、社会運営の仕組みに係わる問題である。従って、根は深く、分野も多岐に渡る。
 このような場合、変革の肝は、業界内の変革者を支援することだ。
 しかし、金融業界には、変革の芽さえ見つからないようだ。これでは、支援のしようもない。いくら議論しても時間の無駄かもしれない。


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