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2003.8.2 |
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Fortune500を読む(1:銀行)…毎年お馴染みの「Fortune500」だが、2003年はどうなっているか眺めてみよう。経済の血流を担う銀行産業には、62行がランクインした。 これらの収益性を見ると、世界がどうなっているかよくわかる。 なんといっても目立つのは、アングロサクソン系が抜群の収益性を実現した点だ。 下表に示すように、利益率15%以上のトップランク企業はすべて英米銀である。 高収益(8%以上)を実現した銀行が全体の3分の1を占めているのだが、その過半が英米銀、という状況である。 全体で見れば、3分の1づつに分かれることになる。 ・上位3分の1が高収益行(8%以上)。 ・次ぎの3分の1が、堅調(4〜7%)な収益をあげている銀行群。 ・残りが、低収益(2%以下)、あるいは赤字行。 最下位グループを見ると、利益率が2%以下の不調な銀行は10行、赤字は10行ある。 予想通り、この過半を占めるのが、邦銀と独銀だ。(下表下段参照) このことは、日独経済の問題と言えないこともない。 しかし、本質的には、アングロサクソン系の高収益を実現する体制を整える実力がなかったためといえよう。邦銀は「現代の金融業」とはあまりにかけ離れている、と言わざるを得まい。 邦銀の1行は、最近になって消費者金融に力を入れ始めた。消費者金融は、とっくの昔に、確立された産業だ。収益性が高いというだけで、後発で参入した訳だ。本来なら、給与振り込み行なのだから、与信限度も図れるから優位なのだが、今までなにもしてこなかった。急いで収益源にしようとの目論みなのだろう。 後は必死の合理化だ。どうみても、知恵を感じないが、力で危機を乗りきろうというのだろう。 一方、中小企業金融に力を入れる銀行もある。至極まともな方針である。優等生の大企業が直接金融に回り、銀行借入が不要になったのは、10年以上も前のことである。1周遅れどころか、何周遅れで始めるつもりなのだ。これから、極く普通の銀行になろうという訳だ。 なかでも圧巻は、なにをするつもりか皆目わからない銀行が存在する点といえよう。 集めた預金で国債を購入する以外、特段の方針を打ち出さない銀行がある。IT投資で新機軸を図る訳でもなさそうだし、合理化を進める意志もない。未だに、道路を挟んで直接向かいあっている支店を温存し続けている。店内に入れば、顧客サービスのために、フロアーで挨拶役がうろついている。なかには、2名で、ATM手続きの手伝いをしてくれる店もある。何のための自動機械導入なのかさっぱりわからない。 米銀では、国内の支店長の給与は4万ドルで十分と考えられている。大幅な収益向上の役割など期待できない役職だから、当然の水準といえる。 ところが、日本では、米銀の支店長より業務内容が薄い。お得意先回りと、行員管理しかできない人材が勤まる役職なのである。にもかかわらず、1,500万円〜2,000万円もの給与が支払われていたりする。 規制業種だから、このような非合理がまかり通るのだ。 そして、驚くことには、銀行マンはこの給与水準を妥当と考えているのである。 邦銀の不調は、日本経済の問題ではなく、経営の問題である。
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