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2003.8.21 |
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Fortune500を読む(20:日本の電力/ガス産業)…
日本企業は、すべてが公益電力会社だ。その巨大さが印象的である。フランチャイズ制度による地域独占の結果といえよう。 フランチャイズ制度は、高品質で安定した電力供給を続けることに繋がった。しかし、余りに高価についたと言えよう。これからは、欧米同様、規制緩和による低価格化の道を歩まざるを得まい。 ところが、日本の自由化は、欧米と形態は似ているが質が全く違うのである。効果はほとんど期待できない。 (発電-送電-配電のアンバンドルの話しではない。) 効率向上を阻んできた原因を取り除く施策は皆無だし、低コストエネルギー供給に挑戦するチャンスも限定的なのある。 間違いなく、泰山鳴動鼠一匹といったところだろう。 せいぜいが、大手製造業者が、自家発電余剰の販売をし易くなった、という程度といえよう。 もっとも、そのお蔭で、価格低下圧力は強まる。例えば、大手自動車メーカーでは、電力料金が下がるだろう。ミクロで見れば、大きな効果がでる。 しかし、マクロで見ればなにも変わらない。新規発電企業を含めて、基本的な事業構造はすべて同じだからだ。原料コストは同じ、生産技術も同じである。新規参入が登場したところで、同質な競争を繰り広げるだけのことだ。 しかも、電力会社の方が、新規参入より高効率発電技術のレベルは高い。低効率な企業が謳歌できる不思議な仕組みともいえよう。 もちろん、効率化努力の視点で見れば、企業間格差は存在している。従って、電力企業間の競争で、合理化が促進されるのは間違いない。しかし、その程度で、日本の電力価格をグローバル価格まで下げることはできない。 (例えば、米国のエネルギーコストが低いのは、安価な石炭利用があることを忘れるべきでない。) 競争政策の基本はエネルギー源価格と製造コストの大幅低減を実現させることにある。ところが、日本ではこれらのコストはほぼ政治的に決定される。自由度などほとんどない。 例えば、電力企業の発電所設置コストの高さは地方政治の問題だ。企業戦略やオペレーション巧拙の問題ではない。 原子力や火力といった原料ミックスも政治的に決められている。今後も、自由競争どころか、ほとんど計画経済に近い状況が続く。欧州で主流化が進む安価な天然ガスへの対応方針さえ何も決まっていない。 (天然ガス田をどこに求めるのかさえわからない。もっとも、たとえ決めたところで、国内にガスパイプラインが無い。エネルギー源間の競争をさせない政策を続けるつもりなのである。) こうした問題を放置したままの、見せかけの競争が、日本の「自由化」である。 電力会社の利益の一部を特定の大手ユーザーに移すだけの政策といえよう。 ジャーナリストのなかには、競争政策を賞賛して、ガス会社と電力会社間の競争を煽る人もいる。 海外なら意味ある施策だが、日本では意味がない。ガス会社の原料は高価なLNGだ。ところが、LNG輸入インフラは、LNGを膨大に消費する電力会社が協力して構築したものである。つまり、ガス会社の強みはガス配給末端パイプラインしかない。消費者が安価なエネルギー源を選べる方向に進みようがない。 この状態で競争すれば、資本力がある電力会社がガス事業に領域を広げるだけの話しだ。 日本で短期間で成果があがる競争政策とは、大型発電分野への新規参入促進ではない。高価につく送電をカットし、発電余熱を活用できる、小型分散型発電に関する規制緩和とその分野の産業振興である。 「政治経済学」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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