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2004.1.6
 
 


ドル高維持政策の空しさ…

 2003年を通じて、日本を含む東アジア圏の国々は、経済成長のために、米国への工業製品輸出に励み続けた。輸出が経済を支えているため、どの政府もドル安阻止に動いた。
 とうの昔に固定相場制が破綻したにもかかわらず、懲りずに相場維持に邁進しているように映る。しかも、その一方で、資本移動の自由化は推進するという、アンバランスな方針で望んでいる。
 タイから始まった通貨危機が示すように、為替と資本移動を切り離すことなどできない。無理に相場を維持すれば、その矛盾が蓄積するだけの話しである。矛盾は必ず弾ける。

 そもそも、資金欠乏状態の国が、経常収支赤字を続けていること自体が異常である。
 この状態で、「為替安定化を図る」と言えば、聞こえはよいが、輸出国が米国に融資しているに過ぎない。そのお蔭で、経常収支赤字でも、輸入を続けることができる。しかし、いくら融資したところで、米国の債務返済能力が上がる訳ではない。全くの、逆効果である。
 従って、為替相場を維持し続ければ、最終的にはデフォルトに行きつく。これを免れる唯一の手段は、ドルの切り下げしかない。

 つまり、東アジア圏の国々は、「為替水準維持」という名の膨大な経済援助を米国に与えることで、とりあえずの経済繁栄を図っている、と言える。
外貨準備高
(2003年11月末)
日本  6,446億ドル
中国  4,009億ドル
 (10月末)
台湾  2,028億ドル
韓国  1,503億ドル
香港  1,141億ドル

 その実質的援助がとてつもない金額に達していることがはっきりしてきた。5ヶ国の外貨準備高が、合計で1兆5,000億ドルを越えたのである。
 (米国通貨当局の予測を越えた異常事態と見るべきだろう。)

 もちろん、いくら巨大な経済援助額であっても、世界を支える米国金融システムの安定に繋がるなら意味がある。しかし、すでにその時代は終わりにさしかかっている。

 というのは、為替レートがどう動こうと、雇用問題が避けられないからだ。米国も東アジア諸国も、早晩、深刻な過剰労働力に直面する。

 おそらく、最初に問題が顕在化するのが、米国だろう。
 特に影響が大きいのが、電子タグの商用化だ。コスト削減効果が確認されれば、2〜3年で一気に普及する。その結果、流通における大規模な雇用縮小が発生する。
 この動きは、一方で、ITサービス業界の繁栄を意味するが、国内雇用は増えまい。システムのメインテナンス/オペレーション要員の増員ニーズに応えるのはインドの労働者になろう。コスト高の米国内雇用が海外に移転する。これに伴い、米国IT業界の賃金水準も大幅に低下しよう。
 そして、次ぎに待ち構えているのが、一般ホワイトカラー業務のインドへの移転である。

 一方、膨大な人口を抱える中国でも、早晩、深刻な失業問題がおきる。
 中国は膨大な貧困層を抱えており、生産性が低く、国際競争力が乏しい農業がこの層を支え続けることはできない。と言っても、現在繁栄している労働集約型工業にも、この労働力を受け入れるだけの雇用キャパシティはない。
 しかも、中国経済は投資バブルで過熱しすぎている。このバブルが弾ければ、膨大な数の失業者が溢れかえる訳だ。

 東アジアの隣の、インドも同じ悩みを抱えている。ソフト産業が急成長しているとはいえ、その本質は先進国の比較的単純な労働の移転にすぎない。グローバルで見れば、ソフト業界での労働力過剰状態が到来したといえる。
 しかし、インドのソフト産業がいくら成長しても、国内貧困層を救うことは無理である。実際、貧困は増え続けている。労働力は過剰なのである

 どこを見ても、この先、過剰労働力の凄まじい圧力がかかってくる。
 人口を見ればわかるが、この圧力は数百万人ではない。1億人単位での圧力がかかるのである。今迄の雇用問題での数字とは比較にならない規模だ。

 こうした環境下で、国際的に見て高賃金な単純労働者の雇用維持を図れば、その国の産業は競争力を失う。そうなれば、雇用を守るどころの話しではなくなる。産業が消滅しかねない。
 これからは、年率5%程度のコスト削減で解決できるレベルでは対処できないのである。厳しい時代が迫っていると言えよう。

 こうした流れが見えて来たのに、為替操作で高賃金化を抑え、当座の安寧を図っているのが、東アジアの国々の政権である。
 苦しみを先送りすれば、矛盾は拡大する。そして、隠蔽できなくなった時、絶え難い苦痛を味わされることになる。特に、年金暮らしの高齢者を多数抱える日本はどうにもならなくなる可能性が高い。

 従って、今、日本企業がなすべきことは、自明である。

 高賃金の知識労働者を増やせば収益が向上する事業形態への、移行を急ぐべきだ。

 高賃金のエンジニア/研究者を沢山集めることで、競争力が高まる仕掛けを作るのである。これなくして、労働力過剰の時代に生き残れる保証などあるまい。

 そのためには、まずは、できる限り速やかに、国内での低賃金/単純労働を捨て去るべきだ。
 これは年功給廃止では実現できない。コモディティ型の労働に対して、いくら報酬カットを行っても、何時までも単純労働が残るからだ。単純業務における雇用の廃止を打ち出すことが肝要である。
 その一方で、高度な業務については、他社からの引き抜きも含め、大増員を図る必要がある。
 両者を同時に行って、始めて効果が出る。

 「今」雇用維持を図れば、「将来」、大規模な雇用喪失を招くだけである。対処が遅れれば、取り返しがつかない。

 ・・・誤解を恐れず語れば、「労働」が、国民経済の枠内の商品ではなく、グローバルに取引される商品になってしまった、ということに他ならない。こうなれば、コモディティ「労働」商品の取引条件は、1次産品と変わらなくなる。世界的に、生産過剰であるコモディティ商品の価格は、この先益々低下するだけだ。コモディティ商品が経済を支えている国は貧困化を免れない。
 大量のスペシャリティ「労働」商品を生み出す産業構造への転換なくして、21世紀を生き抜くことは無理なのだ。

 残念ながら、現行の円高阻止政策は、こうした新しいパラダイムに移行するための施策とは無縁である。と言うより、流れを遅らせる役割を担っているとしか思えない。


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