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2006.7.24
 
 


福井総裁スキャンダル報道を読み返す…

 状況が落ち着いたようだから、福井俊彦日銀総裁のスキャンダルの話でもしてみよう。
 さまざまな報道があったが、それぞれジャーナリストの「癖」がわかって面白かった。

 ジャーナリストの主張をどう読むべきか勉強にもなるから、3人の小論を振り返ってみたい。

 その前に、古い話を持ち出そう。
 2004年、The ECONOMISTに、“Toshihiko Goldilocks: Taking the porridge test”との記事が掲載されたことがある。(1)
 日本では、結構騒がれたのだが、その内容は、どうということもない、他愛もないものである。
 FRBのAlan Greenspan議長は素晴らしいが90年代後半の株式バブルを防げなかったし、ECBのJean-Claude Trichet総裁も利率引き下げが遅かった。それに比べると、福井日銀総裁は、中央銀行の一番優れた総裁だ、との内容。

 “Toshihiko Goldilocks”と言うタイトルからわかるように、“Goldie Locks and the Three Bears”のお話である。
 Goldie-Locks は、留守の家に入り込み、3つの皿を発見。too hot、too cold、just rightなお粥である。最高の食事で、好きな椅子に座る。そして、好きなベットを選んで寝ていると、3匹の熊達が帰ってくる。さあ大変。
 まあ、熊さん(株価低迷)がやってくるまでは、好きなものを選んで上手くやれるだろう、との皮肉がこもっている訳である。
 もともと、日本ではバンカーを悪く言わない習慣がある上、海外の評価に一喜一憂する人が多いから、これで福井総裁の基盤は固まった。

 ようやく、まともな総裁が誕生したと安堵した人も多かったかもしれない。
 日銀総裁といえば、前川春雄総裁時代を思い出す人が多いからである。未だに、その類稀な指導力を賞賛する声は聞こえてくる。
 インフレ化必至の情勢のなかで、金融の舵取りに成功した上、退任後も、前川レポートを作成したり、通信の規制緩和の先鞭をつけるべく動いた。正に、日本の進路を決定した人と言ってよいだろう。

 しかし、その後任の印象が悪すぎる。人材枯渇といった感じがする。一言づつ書くと、どうなるか。
 ・速水優総裁:縮小均衡路線でデフレ化促進
 ・松下康雄総裁:「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」で辞任(福井副総裁も下野)
 ・三重野康総裁:行き過ぎたバブル潰し
 ・澄田智総裁:バブル化の元凶(もっとも日銀の独立性は未確立だったが.)

 もっとも、福井総裁の政策にしても、なにがなんだかさっぱりわかないが。
 企業が借入金返済を進め、預金も好調なのだから、量的金融緩和でお金はジャブジャブ。ゼロ金利のお金は、政府短期証券と短期国債に回るから、こちらもほとんどゼロ金利。
 ただ、量的緩和は好転の指標がない限り続けるとの「方針の明確性」は前任者と違った。これで安心感が広がったことは間違いない。

 なにはともあれ、不調な経済が立ち直ってきたのは事実である。
 これが、日銀の成果とは思えないというだけのことである。
 素人からすれば、企業が、本気になって、過剰設備、過剰債務、過剰雇用を減らした上、為替水準がよかったからだとしか思えない。もっとも、いつまでも動こうとしなかった企業もあるし、地場企業が好調とも言い難いから、斑模様ではあるが。(例えば、銀行は、税務上では膨大な利益を計上し始めたが、ビジネスは旧態依然たるもの。未だにほとんど変わっていない感じがする。)

 つい、前置きが長くなってしまった。
 3人のジャーナリストの話を始めよう。

 ビジネスマンなら、福井総裁のスキャンダルで景気回復が止まったのではたまったものではないと考えるに違いない。

 そんな気分で書かれているのが、朝日新聞の山田厚史編集委員の「福井総裁解任の得失」。
  → 山田厚史: 「福井総裁解任の得失」 朝日新聞「be on saturday」 [2006.6.24]

 世間の気分は、自分だけの大儲けは許せないといった所。だが、真っ当な国の舵取りを任せられる人を切ったのでは、失うものは大きすぎるとの主張である。 得失が整理されてまとめられており、なかなか分かり易いし、流石ジャーナリストだけあって、論旨展開も上手だ。
 但し、他の人とは決定的に違う点が2つある。
 1つは、2月に何故売ったかという話が欠落している点。
 もう1つは、個人的に人品卑しくない熱血漢で、利殖に全く興味ない人、しかも、宴席は好まないという情報を流している点である。利殖を好まないとはどういうことを指すのか理解できない。間違っているかもしれぬが、宴席に出たので、時期総裁といわれながら退任を余儀なくされたのではなかったか。ジャーナリストがよくやる、自分だけが“人となり”をよく知っているという擁護論を加えたのである。

 まあ、世界の状況を考えると、福井総裁を応援したくなる気持ちはわからないでもないが。
 ともあれ、マスコミが支持するのだから、大勢は決まったも同然である。

 ところが、これとは正反対な意見を述べる人がいた。
 立花隆氏である。こちらは、日経BP社のサイトで。
  → 立花隆「メディアソシオ-ポリティクス」第77回
      福井総裁「利権の構図」村上ファンド事件とは何か 
 日経BP [2006.6.28]

 胡散臭い人達の動きが底流にあるとの指摘である。
 儲けの仕組みを考え出した人達の輪が暴かれていくと示唆するなど、立花流ジャーナリズムの面目躍如といった感じだ。

 しかし、山田流にしろ、立花流にしろ、ジャーナリズム特有の臭いがある。有能な人であればあるほど、どう世論を喚起していくかに長けており、そのセンスでまとめるからだ。

 これに対して、同じジャーナリズムでも、コラムニストの文章は一寸違う。
 Bloomberg のアジア担当、William Pesek Jr.の2つの小論だが、こちらは16日と21日の2つの小文からなる。(2)
  →  William Pesek Jr.: “Bank of Japan Scandal Last Thing Japan Needs: William Pesek Jr.”
        Bloomberg [2006.6.16]

  →  William Pesek Jr.: “Ten Million Reasons BOJ's Fukui Must Resign”
        Bloomberg [2006.6.21]


 この主張のポイントは、2月に持分を売ったことを見て、辞任は当然と主張している点。謝罪と釈明をいくら行っても、金利を設定する張本人が、将来の利上げが見えた途端に売るといった行為が許される筈があるまいという理屈だ。
 日銀は、80年代の金融緩和と90年代の金融引締めで大失敗したが、今度はその上塗りか、といった調子で強烈である。

 要するに、これから世界が協調して金融引締めを始めるに当たって、通貨の番人が遵守すべき原則も理解できない総裁に適切な対応がとれる訳があるまい、と見ているようだ。

 その通りかもしれぬ、という気はする。
 協調金融引締め失敗で、塗炭の苦しみだけは味わされたくないものである。

 --- 参照 ---
(1) “The Bank of Japan Toshihiko Goldilocks: Taking the porridge test” The Economist [2004.2.14 有料]
(2) 福井総裁関連では他にもう1つある。
  William Pesek Jr.: “Fukui, Would-Be Greenspan of Asia, Replaceable: William Pesek” Bloomberg [2006.6.30]
  http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601039&sid=aGcFf.vuVwDY&refer=columnist_pesek

 --- 附記 ---
福井日銀総裁が出席した参院予算委員会のインターネット中継は視聴が集中したそうである。NHKは珍しく中継しなかった。
「参院予算委のネット中継、接続集中でパンク」読売新聞[2006.6.15]
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe6500/news/20060615i212.htm


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