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2007.6.4 |
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アジア開銀はどこへ行くのか…アジア開銀の年次総会は、10年に1度、日本で開催される。2007年5月に開催された京都総会(1)は節目にあたっていた訳だ。当然、貧困撲滅の新機軸を打ち出すものと期待していたが、結局のところ、議論は噛み合わず結論はでなかったようである。投資対象案件が欠乏してきたのに、これからどうするつもりなのだろうか。 そもそも、アジアの貧困撲滅に動くと言っても、アジア開銀の主な投資対象は「中」所得国だ。 [健全かつ保守的な財政方針だそうである. 貸出先はインドネシア, 中国, インド, フィリピンでほぼ8割.](2) だが、こうした国々なら、当事国による独自資金調達も可能な筈。それに、魅力的な投資案件なら、民間が投資してもおかしくなかろう。 なにせ、世界的に金は余っているのだ。インフラ構築・金融分野だろうが、十分な利益が見込めるなら、アジア開銀に任せる必要はない。 その上、米国主導の世界銀行と、日本がとりしきるアジア開銀の方針がどう違うのかも、素人にはさっぱりわからない。まさか、中国は世銀で、モンゴルはアジア開銀といった、地域分割方式を進めるつもりではないとは思うが。 要するに、他の金融とどう棲み分けるのか、問われているのだ。しかし、回答は出せないといった状況なのである。 米国に至っては、“insisting the bank should not compete with private venture-capital.”(3)だったようである。当然の反応だろう。 もっとも、経済発展のための長期融資を行う世界銀行(IBRD/IDA)や、インフレ/為替といったマクロ経済の変動を抑えるための短期融資を担うIMFも、これからどんな役割を担うのか問われている。 一昔前の日本のように、世銀融資で成長する国がでてくる時代ではない。グローバル経済の時代、潜在力ある国は世銀の力など借りずにやれるのだ。 と言って、マネジメント力を欠く最貧国へ、超低利子・グラント付き融資をしたところで、効果は期待できまい。もともと債務返済能力に欠けているのだから、貧困化がさらに進む可能性の方が高かろう。 世銀の変革必至なのだ。 と言うことで、米国はパワーがありそうな、“嫌われ者”のPaul Wolfowitzを世界銀行の第10代総裁に就けたのだろう。しかし、組織との摩擦でスキャンダルを暴かれ、あえなく頓挫。肥大化した官僚組織に手をつけるのは一筋縄ではいかないということ。 とりあえず、融資基準の厳格化やポートフォリオ管理は進んでいるが、(4)そんなことで解決できる問題ではなかろう。 根は深い。 グローバル経済の下では、お金を稼げる商品を欠く国は貧困化への道を邁進するしかないからだ。素晴らしいインフラができても、外貨を稼ぐ手段が無ければ、借金は積み上がる一方。インフラ作りに投入されるお金で、当座一息つく効果しかないのが実情。これこそが汚職の元凶。日本の地方政治とよく似た現象である。 IMFに至っては、赤字転落。 解決策としてDebt Managementの問題が議論されているが、(5)世界の状況に合わなくなって来たのだから、如何ともしがたいと思うが。 ともかく、前倒し返済が続き、利用者は減る一方だ。アジアでは、カザフスタン、韓国、タイ。ブラジル、アルゼンチンやロシアも済ませた。要するに、構造調整計画の押し付けが嫌われているのだ。施策が縛られるし、直接関係しない問題についても口出しされるのでは、たまらぬのは当たり前。 日本にあてはめれば、どうなるか。 おそらく、突貫工事で銀行精査を行い、即時ペイオフ実施。その上で、公務員3割削減や年金3割削減で、一気に公的出費を抑えることになる。その次は、消費税率を2割に、所得税最低所得額を100万円にして、大増税を図る筈。 こんな政策を強引に進めるのがIMFの流儀なのである。 従って、グローバル経済が好調な時に、わざわざIMFから借金したい国がある訳がなかろう。借りたい国があったとしたら、それは、不良債務者予備軍以外のなにものでもなかろう。 方針転換を図らないなら、保有金塊を換金化し細々と生き伸びる位しか道はなさそうである。 こんな状況に陥ってしまったのは、グローバル経済化を進めると称しながら、WTOが機能しないからに他ならない。先進国が農産物市場を開放しない限り、貧国には売るものが無い。いくら融資したところで、貧困は進む一方なのは当然。 そして、もう一つ厄介なのは、お金の流れが異常である点。発展途上国が貿易でドルを獲得しても、その国の投資には回らず、米国債券に化けるのである。 実に、歪んだ仕組みだ。 しかし、そのお蔭で、米国は繁栄を謳歌できる。膨大な対外債務を積み上げても、海外資産からの収益が債務の利払いを凌駕しているから、なんの問題もないという訳。(6) つまり、米国にとっては、アジア開銀にせよ、世銀、IMF、とは、米国が自由に投資できる環境をつくるための組織でしかないということだ。 アジア開銀はどんな道を歩むつもりなのだろうか。 --- 参照 --- (1) http://www.adb.org/AnnualMeeting/2007/(2) http://www.jcr.co.jp/top_cont/rat_info04.php?no=07i002&PHPSESSID=f1fe0cc3454fde408bff107f034ffb1a (3) “Asian Development Bank What are we for?” Economist [2007.5.10] http://www.economist.com/world/asia/displaystory.cfm?story_id=9154167 (4) 「世界銀行年次報告書 2006」[邦訳版] http://siteresources.worldbank.org/JAPANINJAPANESEEXT/Resources/515497-1136403997698/2087394- 1160986786832/WBAR06_Japanese[1].pdf (5) http://www.imf.org/external/np/sec/pn/2007/pn0760.htm (6) Maurice Obstfeld:「米国の対外赤字は世界全体の問題か」金融研究 24(3), 55-67 2005年 http://www.imes.boj.or.jp/japanese/kinyu/fkinyu05.html (参考-1) 「通商白書2006」第1章第2節<3>米国への資金流入が持続拡大する理由 http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2006/2006honbun/html/i1233000.html 上記の引用文献↓ P-O. Gourinchas & H. Ray“From World Banker to World Capitalist: US External Adjustment and The Exorbitant Privilege”2005 http://socrates.berkeley.edu/~pog/academic/exorbitant/exorb_privilege_0804.pdf (参考-2) Maurice Obstfeld:「エマージング市場諸国のグローバル化、マクロ経済パフォーマンスと為替レート」金融研究 23(4), 55-84 2004年 http://www.imes.boj.or.jp/japanese/kinyu/2004/kk23-4-4.pdf 「政治経済学」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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