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2007.6.26 |
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中流生活は幸福をもたらすか?…日本の特徴、“中流社会”が崩れ始めたと危惧する人は多い。そのためか、ほとんどの政治家が格差是正について語る。どうすべきか徹底的に議論すればよさそうなものだが、なかなか、そうならない。経済主導の社会は間違っており、幸福はそんなものでは実現できないと主張する人達が登場したりして、折角の議論の腰を折ってしまうからかも知れない。 そんな主張に、よく引用される話がある。 ブータンの前国王が語った、「国民総幸福は国民総生産よりも重要だ」(1)との言葉だ。 これは、オレンジと林檎の比較論と言ってもよいだろう。経済発展政策を批判するために、次元が違うものを並べ、トリッキーな理屈をつけたものでしかない。 しかし、そんな理屈でも説得力はある。ブータン人の97%が「幸せです」と答えたというデータを示すからだ。 テレビやインターネットが普及していない社会に住み、外の世界をほとんど知らない人達が、自分達が幸せだと思っているだけのことだと思うが、幸せは経済ではないですよ、と勝手な解釈をつけるのである。経済優先施策を止めさせたい勢力にとっては、好都合な話だから、ちょくちょく話題にのぼる訳である。 これは、江戸時代の日本人は幸せだったと主張しているようなもの。入手可能な情報は制限され、職業選択の自由も無く、住む所も勝手に変えられない社会だったが、それでも今より幸せだったという論理と五十歩百歩である。 我々が、注目すべきは、幸福度が高いと称するブータンではなく、貧富の差が大きいのに、幸福感が日本より高い米国の方だ。 「非常に幸せ」「やや幸せ」「あまり幸せでない+全く幸せでない」の比率で日本と比較してみれば、状況は一目瞭然。(2) ただ、同じアングロサクソン系でも、英国は幸福から程遠い。 こんな比較データに意味がないというなら、ブータンの幸福度の数字など語るべきではない。 こんな話をしたくなったのは、英国で1千万人以上が見たと言う、テレビのタレント発掘バラエティショウ番組の話が海外ニュースで取り上げられたから。(3) ボーッとしてニュースを聞いていただけだが、アングロサクソン的な価値観が如実にでている感じがした。 およそオペラには縁遠そうな風貌の、36才の携帯電話セールスマンが登場。ほとんど期待していなさそうな審査員達。 そこで、“Nessun Dorma”を一気に歌いあげたから、そのインパクトは強烈。審査員の顔色が変わる。これで、優勝を射止めたと言ってもよいだろう。 ・・・この話のポイントは、色々と不運続きだったセールスマンがオペラに魅せられ、ついに歌手デビューの夢をかなえたという点。こんな話がえらく嬉しい社会なのだ。 日本にも、この手のニュースはあるが、おしなべて暗い。苦節10年、タレント発掘ショウでついに優勝し、涙、涙、といった感じ。つらい努力が実って花開くというお話になりがち。 ここには、楽しみながら挑戦できるアングロサクソン系社会と、辛い人生を歩まざるを得ない日本社会の違いが現れているように思う。 と言っても、英米の違いも大きい。現実には、英国は階級社会から抜け切っていないから、自由な挑戦は理屈上だけで、実質的にはかなり難しい。幸福感は薄くなる。 一方、米国は、奴隷の末裔から、移民まで、多種多様な人が集まる社会。差別は消えていないが、乗り越えることもできる。自分の力で新地平を切り拓ける社会に住んでいるとの意識があると思う。そんな社会では、不幸感は生まれにくいだろう。 それでは、日本は何故米国ほどの幸福感が生まれないのか。 おそらく、挑戦を好む社会か否かという問題ではない。 中流社会と言うが、低所得層は、米国よりつらい生活をおくらされるということではないのか。 そう思うのは、英国にしても、米国にしても、低所得でも、職さえ得られれば、その収入に応じて楽しむ生活が送れるからだ。生活コストを抑えたければ、可能なのだ。日本では、そんなことはまず無理である。生活に余裕などない。幸福感が低レベルなのは、当然だ。 こうなってしまったのは、中間層の生活レベルが高所得層と余り差がつかないような政策を打ち続けてきたからである。歪んだ中流感と言わざるを得まい。 当然ながら、こんなことをしていれば、最低生活コストはどんどん上昇する。その結果、今や、生活保護支給額はかなりのレベルに達してしまった、一生懸命働いても低所得に甘んじている世帯の年収を越えているのだ。 言うまでもないが、低所得層にとってはつらい生活を余儀なくされる。この状態から脱するためには、苦節しか道はなかろう。 これが、日本の中流重視主義の実像である。低所得層に対しては、極めて冷たい社会なのである。 おわかりだと思うが、中流を守れとの政策要求は、低所得層をますます辛い生活に追いやることになりかねないのである。優先すべきは、中流を守ることではなく、雇用創出と、最低生活費用の低下策。 ここを間違うと、日本社会は不安定化しかねない。 ただ、この話を、米国流の政策が優れていると間違って受け取ってもらってはこまる。 米国は、低所得でも、それなりの生活ができる社会をつくりあげたように見える。そして、経済成長も続いている。 しかし、長期的視野で見れば、国民全体の所得をあげるには、人の育成が不可欠である。この観点では、高所得側は成功しているかも知れないが、低所得側はどうみても失敗している。質はほとんど向上していないのではないか。 経済が発展しても、人の育成ができない社会は長続きしない。米国の没落は確実。 日本はこれを見習ってはいけない。 --- 参照 --- (1) http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/bhutan/20070516/20070516_003.shtml (2) 2000年のデータ. 「わからない」「無解答」の数字を割愛. 電通総研/余暇開発センター編: 「世界60カ国 価値観データブック」 同友館 2004年 高橋徹: 「 日本人の価値観・世界ランキング」 中央公論新社 2003年 (3) [英国大衆紙報道] http://www.thesun.co.uk/article/0,,2001320029-2007270581,00.html [その後の地方版] http://icwales.icnetwork.co.uk/0100news/0200wales/tm_headline= tv-winner-to-spend-money-on-teeth%26method=full%26objectid=19314640%26siteid=50082-name_page.html [video] http://www.youtube.com/watch?v=1k08yxu57NA 「政治経済学」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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