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2009.2.25+追記 |
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質の高い経済議論が必要ではないか…ビジネスマンでなく、金融専門家の金融危機話を読むと、どこかしっくりこない。こちらがズブの素人のせいもあるが、感覚が違うようだ。例えば、デフォルトリスクが、計算してわかるものとは思えない。いい加減といえば、いい加減だが、そんなものだろう。経営者は、そんな世界で直観力で采配をふるうしかない。 間違いもあるだろう。 従って、ルール遵守と透明性を担保し、問題発生の兆しをいち早く見つけることが重要になる。それ以上のことは無理である。 ところが、米国金融機関で、不適正な会計処理が行われたような解説がなされている。(1) 本当だろうか。 当該米国金融機関が、行け行けドンドン型のコングロマリット経営をしていたのは間違いなかろう。しかし、違法行為をしていた訳ではないのでは。 日本が被ったバブル崩壊は、土地の担保価値急落が引き金になったようだが、サブプライムローン問題も、それとたいした違いはなかろう。“時価”が落ちれば不良資産が積み上がるのは当然である。 どうも、CDSを悪者扱いにしたい感じがするが、素人の目から見れば、リスクヘッジの一つの商品にすぎない。良いも悪いもなかろう。 それに、金融危機の原因を米国の金融業界の体質に求める人が多い。資本主義社会が壊れることを望む人ならわかるが、逆の立場の人がそんな話をするのには驚く。 まあ、確かに行き過ぎてはいるが、拝金主義はどこにでもある。かつての日本のバブル時もひどかったが、それを棚にあげて批判してもたいした意味はないのでは。 だいたい、そんな責任論をいくら議論したところで、経済は立ち直るとも思えないし、バブル防止策が生まれるものでもなかろう。生産的な議論をして欲しいものだ。 何故、そう感じるかといえば、この問題は、米国の責任というより、日本が煽った結果に映るからである。 マクロで見れば、原因は実に単純。 日本は、低金利にもかかわらず、国内に投資先がないから、過剰なお金を海外にじゃぶじゃぶ供給し続けたのである。だからこそ、米国の低所得者も巨額な借金ができたのは間違いない。この歪が溜まりに溜まり、ついに弾けたということ。 なにせ世界的に資本規制が緩和されたから、過剰なお金が供給されれば、投資先を求めるお金が動きまわる。その結果、投資先が、新興国や低所得層などのハイリスクに集中するのは、自然な流れだろう。 資本主義経済なのだから。 そして、この流れが度が過ぎれば、どこかで破綻が発生する。偶然、どこかで発生するが、発生すること自体は必然。 その破綻が、たまたま米国のサブプライムローンだったにすぎないのではないか。 ・・・素人が素直に眺めれば、こうなる。 この認識をベースとして、ミクロで見るなら、単純に、米国金融機関の腐敗として片付ける訳にいかなくなる。 素人から見れば、これは金融ビジネスをモジュール化したことによる副作用そのもの。 モジュール化は、イノベーティブな動きだが、全体調整機能が失われる。従って、どこかで齟齬が発生すると全体に大きな影響が出る。一旦、上手く流れなくなると、調整者はいないから、なかなか元には戻れない。政府がなんとかできるものではないのである。 簡単に言えば、上流の情報は、下流に流れないということ。構造はイノベーティブだったが、それを支える仕組みは旧態依然たるものだったのである。この状態では、金融機関のリスク評価能力は限定的だ。外れることもある。 例えば、日本の金融機関間で、同じ海外の金融商品にもかかわらず、時価評価額が大きく違うことがありうる。流通価格がついていない商品だと、下流の情報を持っていない金融機関の評価能力は低くて当然なのである。これは、構造上どうにもならない。 こんな現象が、サブプライムローンの証券化商品と関連デリバティブ商品で、産業全体に現れただけのこと。 格付け機関にしたところで、下流から大雑把に眺める以上のことはしていない。上流に遡って状況を検討できる機関ではないから致しかたない。上流で予期されていなかった問題が発生すれば、評価は外れるだけのこと。 何故、こんな話を突然始めたか、ここまでお読みいただくと想像がつくかも。 現在遭遇している世界の金融危機は日本のバブル崩壊と質が違う。比較したところでなんの意味もない。価値があるとしたら、竹中路線で銀行に不良資産の膿を出させた手術の方法位ではないか。 日本が恐慌的な状況を回避できたのは、国内政治のお蔭ではない。好調な海外経済に助けられ、赤字国債連発ができたにすぎない。 残念ながら、今回は、そうはいかない。 経済好調な国が牽引することができないだけでなく、破綻がサブプライムローンだけで治まらなくなってきたからだ。 ついに、欧州の新興国の通貨が急落し始めたのである。 これは、巨大な投資を行ってきた欧州の銀行に膨大な不良債権が積み上がることを意味するかも。 下手に進むと、アイスランド銀行破綻の2桁上の衝撃が発生しかねない。そうなったら、各国政府の個別対応ではとても対処できない。恐ろしい話だが、杞憂ではない。 そんな状況で、情緒的な責任論や、拝金主義の悪さを語ったところで、どうにもなるまい。 今の問題は、どう見ても、欧州を発生源とする大恐慌回避である。専門家には、ここに絞り込んで議論して欲しいと思うのだが。 【追記 2月26日】 -----冒頭の日付は25日だが、実は、“2009-02-24 03:24”にサイト掲載----- その後、素人にもわかる解説を見かけた。どういう方がどういう理由で書かれているのか知る由もないが、ご一読をお勧めしたい。 → “「なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学」を読了” 紺ガエルとの生活 ブログ版日々雑感 最後の空冷ポルシェとともに (2009-02-24 22:27:06) “若干揚げ足取り”とことわりながら、専門家の本が取上げていない点を平易に説明してくれている。ビジネスの実体とはこんなものではないか。 無制限な信用膨張を防ぐ施策だった筈のBIS規制だが、自己資金が少なくてもハイリスクな業務ができるように動く企業が登場すれば、逆効果となることがよくわかる。 しかも、グローバルで考えると、こうした規制には様々な盲点が発生してしまう。その危険性を指摘した人もいたが、無視された。企業は互いに競争しているから、儲かる方法がわかれば、その能力がある企業は一挙にその方向に進むことになる。これは避けようがない。(この傾向が顕著なのは米国ではなく日本では。ただ、米国と違って、最初の動きは鈍い。ルールが明確でないから、用心のため、様子見期間が必要になるのである。) 世の中の仕組みとは、こういうものである。 よかれと思って進めても、必ず副作用はある。早期警戒警報の仕組みもなく、歯止めも用意されていなければ、一旦悪循環が始まるとどうにもならなくなる。ビジネスマンなら、そんなことは体験で知っている。 経験論では、こんな見方ができる人達がチームを組むとイノベーションを創出できることが多い。日本には、そんな組織風土を醸成してきた企業が残っているから、質の悪い政治が行われても、なんとか国としての没落を逃れてこれたのだと思う。 しかし、その感覚に乏しい人が目立つようになってきた。なかには意図的にそう動く人もいるからこまったものだ。(浅知恵でトンデモ論を語る似非評論家、信奉するドグマしか語らない専門家、人気を集めそうな猛毒政策を打ち出す大衆政治家、まだまだ多い。) --- 参照 --- (1) 深尾光洋(日本経済研究センター理事長): 「1月1日 世界金融危機の原因」日本経済研究奨励財団 http://www.jcer.or.jp/column/fukao/index118.html 「政治経済学」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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