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2010.1.12
 
 


失われた20年はさらに続く…

ついに、第3期目のゼロ成長10年に入るのか。
 新年早々から、景気の悪い話題ばかりで、先が思いやられる。
 政権交代効果で、西暦2010年は、失われた20年の締めくくりの年かと期待が集まったが、残念ながら無理そうだ。

 この先の4年間は、よくてゼロ成長という認識が広まりつつある。ビジネスマンは、まあしかたないかというところ。状況に合わせた経営を進めるしかないし。ただ、4年は結構長い。
 一抹の不安もあるのは確か。
 税金のバラ撒きがそこまで持つかということ。駄目なら世界経済大混乱必至。預金封鎖から始まる荒療治が行われ、発展途上国的耐乏生活まで考えてしまう。これが杞憂の世界ではなくなってきたのだからたまらぬ。
 自民党政権の無責任なバラ撒きの結果とはいえ、ついにここまで来てしまった感がある。

 それにしては、危機感の薄さは特筆もの。
 下のグラフを見れば、その異常さがわかりそうなものだが。
[実質GDPの年率成長]
・70年代前半までは、 7〜12%と2桁に近い。
  米国のお陰で、発展途上国型急成長実現。
・これが80年代には、3〜6%と落ちる。
  世界の工場だった日本だけが安定成長。
・それが、90年代からは、0〜2%と低迷。
  日本だけが低成長。
・2008年は−3.7%。


 要するに、成長率がマイナスにならなくてよかったと考える人ばかりなのだ。
 コレ、日本人の特質かも。負け戦必至なら、方針変更して妥協するしかないのに、ズルズルと誤魔化し続け、とどのつまりは破滅。
 又、同じ道を歩もうというのか。

いまどきデフレを止めよと言い出すのだからズレている。
 こんな書き方をすると、冷徹な現状認識を嫌うのが日本人の特質という主張をしているように感じる人がいるかも。・・・そんな見方こそ、日本人の特質だぜ。

 だいたい今頃になって、デフレを止めよと叫ぶ自称経済評論家がでてくるのには大笑い。日本では、これが冷徹に見る人に相当するらしい。
 上のグラフを見ればわかるように、約1%のデフレが延々と続いてきたのである。だから、名目ではほとんどゼロ成長なのに、実質ではプラスになるのである。
 誰が考えたところで、これは資本主義経済のパターンではない。疲弊してしまった社会主義経済そのものである。それだけのこと。

 だからこその政権交代と考えがちだが、そう言えるかな。もっと社会主義的な政策をという政権かも知れないのだぜ。どちらへ振るかは全く未知数。
 確かに、ここまで疲弊した理由は成長率マイナス阻止の税金大盤振る舞い路線の副作用だ。自民党は、税金に群がるビジネスだらけにしてしまったのである。その悪弊をきることは意味がある。しかし、それで解決できる時代はもう過ぎてしまった。
 それに、日銀がジャブジャブお金を入れたから、従来型金融機関が持っていた金融機能まで失われている。もともと担保貸しビジネス屋さんだからたいしたスキルが無いのに、それまで失ったのだからとうにもなるまい。
 おわかりかな。いくら経済振興と笛を吹いたところで、踊る人は極く僅か。これが現実だぜ。

 問われているのは、社会主義的な税金バラマキ路線を続けるつもりなのかということ。いかにして、企業化精神溢れる人を増出するかが問われているということ。
 言うまでもないが既得権益で食べるだけの人達を支援する政党にそんなことはできない。しかし、新政権ができるかといえば、それはわからないとしか答えようがない。

 いみじくも、それを教えてくれたのが、2009年末ギリギリに発表された「新成長戦略」(1)

 これは駄目だぜ。
 どうりで、海外紙が正月早々から煩かった筈だ。
〜2010年正月の、失われた10年話 [記事タイトル]〜
New York Times January 2, 2010 Avoiding a Japanese Decade(2)
日本経済新聞 「日本の10年」回避を、米NYタイムズ紙が社説で警告
朝日新聞 「失われた10年、二の舞を避けよ」 米紙が積極策提言
読売新聞 日本の「失われた10年」教訓に、米紙社説
WSJ January 4, 2010 Inaction Inc.: Japan Risks a 3rd Lost Decade(3)

「新成長戦略」には呆れた。
 それにしても、新政権は、こんな“戦略”を発表して恥ずかしくないのかね。
 麻生政権が打ち出したものの方が余程おもしろかったぞ。いい加減なもので、要するにバラマキ話のためのものだが、それは自民党政権だから当たり前。
 政権交代で内容が変わるかと思いきや、アジアが加わっただけで、他はほとんど同じ。麻生政権版を、風合いを変えて厚化粧したようなもの。唖然。

 これでは抽象的で、なんのことやらわからないか。
 “風合いを変えた”とは、コンクリート工事を止めて別なものに回すとか、寿命がくるインフラ対応にもお金がかかることを明言したような姿勢表明のこと。まあ、まともな話。しかし、これは成長戦略とは直接関係ないぜ。
 そもそも、この問題が難しいのは、現に公共事業で食べている人達の数が膨大で、このセクターに貸し込んでいる金融機関が多いからだ。そう簡単に変えられないのである。ここに手をつっこんだのは小泉政権。そう、財布の紐を締め、変化を強要したのである。(予想通り、変わろりたくない人ばかりだったが。)

 鳩山政権の「新成長戦略」とは、この紐を全開にしようというものかも。公共事業は減るのではなく、増える。名目で3%成長とは15兆円だぜ。税収35兆円で、100兆円使って経済成長を狙う政策を続けるしかなかろう。要するに、公共事業の対象がコンクリートではないだけ。自民党と五十歩百歩の政策。
 はてさて、領域もどこか違うのかな。・・・環境、健康、観光、地域活性化。

 もともと、こうした分野は政治が深く絡むから、まともな投資ができにくい。ここを政治主導、即ち公共支出で大きく動かすことで経済状況を変えるのは難しい。税金にぶる下がって食べるとか、規制で儲かる仕組みを作らせることが上手な事業家の産業になってしまうからだ。
 金をばら撒く先を変えるのではなく、ぶら下がりを許さず、新しい事業を生み出し易い環境に変えない限りどうにもならないのだが。

 資本主義とは、100億円で建てた美麗なホテルでも、儲からないなら捨てるということ。儲からないのだから、10円でも引き取り手がない世界。従って、知恵がありそうな人がいたら、捨てる覚悟で5億円つけて経営してもらうしかない。それが成功すれば、経済が立ち直っていくのだ。100億円のホテルを守るために、延々赤字補填の経営を続けられてはこまるのである。これは、1億円の投資でチャレンジしたい人の参入を許さずということでもあるからだ。
 おわかりだと思うが、この緊張感と創造性を基底にしているダイナミズムこそがイノベーションの原動力である。誰もが無理と思っているのに、画期的な方策を打ち出す人が、どういう訳か登場してきて、新事業に成功するのだ。イノベーター登場の時期は偶然だが、まともな政策を進めていれば、必然的に発生するもの。
 イノベーションを経済成長のエンジンにしたいなら、このダイナミズムを産む仕掛けは不可欠。ところが、この「新成長戦略」には、イノベーションの文字だらけだが、こうした観点の施策はなにもない。
 自民党そっくりなのには言葉もない。

経済低迷路線を選択しているのが分らないのかな。
 ついでだから、もう一言。
 新成長戦略の圧巻は、なんといっても、需要サイド論。消費者にお金をバラ撒けば内需拡大といわんばかり。
 政治的装飾としては大正解だが、どうやら本気で考えているらしい。こまったものだ。これでは正真正銘の社会主義経済化だぜ。それがどんな結果をもたらすか知らない訳ではあるまい。

 だちたい考えてもみよ。
 毎年1%のデフレがずっと続いているのだ。待っていればモノは安くなる。老人社会で、誰が喜んで急いで消費するかね。車やテレビが売れているのは、国の補助金がなくならないうちに買おうというに過ぎまい。これらの商品は買わなければメリットを享受できないが、お金は貯蓄できるのだぜ。お金を個人にバラ撒けば消費が上向くとどうして言えるのかね。

 こと投資に至っては、どうなるかは自明。
 間違えてはこまるが、投資は名目成長率で見るのだよ。1%のデフレで実質成長率プラス0.5%なら、市場はマイナス成長なのだぜ。縮小する市場で果敢な投資をするビジネスマンがいるものかね。
 まともな経営者なら、大合理化敢行ではないかな。

 企業家精神があるなら、普通は成長市場を狙うものだ。そうなれば、投資先は海外だ。つまり、もうとっくにその流れは始まっているのである。
 そんななかで、国内の雇用確保を強引に進める所存らしい。国内事業はますます儲からなくなり、どう縮小撤退を図るかが最大の経営課題になってしまう。マクロでは雇用は急速に失われる。

 2010年は失業者急増年かも。

これほど低レベルの政策も珍しいのでは。
 各論もすごい出来栄え。

 エネルギーは再生エネルギーでまかなうつもりなのかね。
 日本の場合、ミクロレベルで補助的に使えば、多分、全体としてメリットがでる。しかし大規模に進めてペイするものかな。
 それとも吹雪が舞う北海道の原野に太陽電池発電所を建設したいのかも。それなら、使わない道路を建設して、ほったらかしにしてもらった方が有難いが。非効率な発電施設を作って電力価格を倍にされたのではたまったものではない。水道料金が高いのと同じことで、それがどれだけ実体経済と実生活に悪影響を与えているのかわからないのか。

 短期的には、世界的に見ても、脱炭素なら原子力発電しかないのはわかりきったこと。その流れをどう取り込むのかね。さっぱりわからぬが。
 ところが、どうも蓄電池の方はどんどん導入したいようだ。そのどこがイノベーションかは説明がないのでわからないが。リチウムは希少資源だから、超長期的にはこの路線は無理筋ではないのかな。発展途上国なら、鉛電池で十分いけるぜ。

 だいたい、この書類を読んで、グローバルに雄飛する企業イメージが湧かなかった。世界に冠たる日本企業は僅かになってしまったことなど、全く気にとめていないのかも。それで成長できるものかな。

 それはともかく、ここまでくると、農業で雇用吸収と言い出さないことを願うばかり。ミクロでは、それが可能なところはいくらでもあるから、そこだけ見れば実に素晴らしい政策だが、マクロではトンデモ政策だぜ。
 まあ、毛沢東の大躍進政策のようなもの。空論ならどんなものでも作れる好見本。

 --- 参照 ---
(1) 新成長戦略(基本方針)〜輝きのある日本へ〜 [2009年12月30日]
  http://www.meti.go.jp/topic/data/growth_strategy/pdf/091230_1.pdf
(2) http://www.nytimes.com/2010/01/03/opinion/03sun1.html
(3) http://online.wsj.com/article/SB20001424052748704789404574636170513143300.html


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