「爬虫類脳」コンセプトの非科学性 心理学者の亀観察はレベルが高いと書いたのだが、多分、たいていの方はそうは思うまい。 → 「心理学者が亀に恋した理由」読後感 [2013.8.16] 亀好きがこうじて、思い入れが激しく、擬人化しているだけと見るのでは。だが、本当にそうかナ。 カメ好きでなくても、日本の飼育亀の特徴は結構知られているのでは。(浮世絵を見れば、子供のペットだったのは明らかだし。) おそらく、こんな風に考えられていると思う。これが正しいかどうかは別として、それなりの根拠がある筈。 ・餌をくれそうな人を覚えている。 -人慣れするので、懐くこともある。 -餌強請りの意思表示を行う。 ・餌の好みはある。 -気分屋だが、好きなものはある。 -食べないことも。 ・提供された環境に合わせようとする。 -飼い主の活動開始に同期する。 -気が向けば飼い主にチョッカイも。 ・こだわりの場所がある。 -ネグラ。 -体温調整と水中散歩の好適場所。 ・地図情報を理解している。 -好みの場所を覚えている。 -経路検討能力がある。 ・好奇心旺盛である。 -ひたすら前に進もうとする。 -餌か、試しに噛んでみる。 ・感情表現できる。 -暴れたり、飼い主を見つめる。 -息出しで音を出す。 実際のところ、どうなのかは実はどうでもよい話。 この心理学者の方のご指摘のポイントは、そこではない。 カメは脳がとんでもなく小さい動物として知られており、頭の働きはどうせ鈍いだろうとされる。しかも、その発祥は古いと言われており、進化していない状態で現世まで生き延びているというのが、覚えさせられている「知識」。 しかし、一緒に暮らしてみると、違和感を覚えるゾと語ってくれた訳。 早い話、ずいぶん賢いではないか。地図的情報把握能力や、経路判断力から見れば、どう見てもニワトリ以上。 そりゃ当たり前で、ニワトリにとっては帰巣や固定的な居場所などどうでもよいのだから。(ちなみに、脳味噌がさらに小さなの鮭や鰻、鳥のなかでも鶴や燕、はては伝書鳩は卓越した能力を持っている。巨大脳味噌を持つヒトの力など遠く及ばない。) 一般には、脳味噌足りずの鳥頭脳のニワトリと馬鹿にされているが、よく知られているように、その脳はカメと比較すれば超巨大。にもかかわらず、ニワトリよりカメの能力が上回ることもある訳だ。つまり、カメの脳は劣っているように考える人達に対する痛烈な批判的言辞と言ってよいだろう。 自分の専門領域外の学問には、「素人」として直接口を出さないものの、コリャ見方が根本的におかしいゼと言っているようなもの。 そう言えば、ピンと来る方もおられよう。 そう、「爬虫類脳」とのコンセプトを打ち出した学者がいたからだ。今でも、そんな言い回しはよく見かける。 ヒトの脳味噌にも、古い基層に「爬虫類脳」があり、その感覚がでてしまうといった解説をお読みになった方も少なくない筈。ヒトは進化の結果、「爬虫類脳」の上に、高度なことができる新しい層が乗っかっているという考え方だ。これを、成る程そういうことかと考える人が多いようで、いつまでもこの手の説明が幅をきかせたまま。実に、こまったものである。 素人たる小生から見れば、「爬虫類脳」に新しい層を加えるような進化イメージは劣悪な理屈に根ざしているように感じる。 簡単に言えば、「爬虫類脳」コンセプトを打ち出したいなら、「脊椎動物」という分類を止めるべしということ。ここら辺りの大原則を押さえない主張は非科学的といわざるを得ない。 「脊椎動物」とは、中枢神経があり、それが棒のように延びているという意味。神経を護るために硬い骨が回りを囲み、筋肉がついており、それを皮膚で覆う状態が基本形。それが全身の物理的構造を支える役割も担っており、重力的に上側の「背」に神経系、下側の「腹」に消化器系が収まる。これが基本設計。そして、神経系の両端に「中央制御器官(脳)」と「生殖器官」がつく。 この設計原則をどの動物も逸脱することはできないというのが、ドグマである。正しいかどうかの証明はできないから、なんともいえないが、この理屈の上で議論しようというのが科学的態度。 例えば、亀は矢鱈と扁平な体つきで、甲羅に脊椎や肋骨が融合しているから、ずいぶんと違う生物に見えるが、腹側から見た瞬間、成る程「脊椎動物」なのだと妙に納得させられるもの。そこには体躯の構造が示されているからだ。・・・喉-肩[-腋の下]-胸-腹-股[-肢]-尻(肛門部)と、はっきりわかれているのがわかる。ヒトと何らかわらない。 要するに、カメ、ニワトリ、ヒトは、「脊椎動物」の観点で見ればほとんど違いがないのである。それこそがこのように分類する意義である。 そう言えば、おわかりだろう。カメ、ニワトリ、ヒトの脳の基本構造にも違いなどあろう訳がないのだ。そう考えないなら、このような分類に意味がなくなってしまうからだ。 要するに、「爬虫類脳」などというものを設定すべきではないということ。確かに、ヒトが持つ超肥大化した脳の表面には、ヒト以外では見られない「皮質」という領域がある。カメにはその欠片さえ見当らない。しかし、それは表面的な「見かけ」の話だ。「脊椎動物」である以上、ヒトの皮質に対応する部位はカメにも必ず存在する筈なのである。ただ、その機能は同じとは限らないというだけ。・・・これこそが進化の本質である。 つまり、「脊椎動物」というコンセプトを肯定するなら、ヒトが新たな部位を創出したとする言い回しは自己矛盾。すでに存在している部位を上手く変化・転用することで、新たな適応を図っているだけにすぎない。それこそが「脊椎動物」域内での進化である。 「爬虫類脳」とは、いわば、この基本原則を否定するようなコンセプト。「脊椎動物」という分類観を認めないとか、進化の概念を変えるならわかるが、この手の見方は反科学思想以外のなにものでもなかろう。 分類の考え方−INDEX >>> HOME>>> (C) 2013 RandDManagement.com |