表紙 目次 | ■ 分類の考え方 2014.12.8 ■ 動植物分岐を想像すると 生物は3つに分かれるというのが頭に入っている構図。しかし、それは結構いい加減な理屈で、「動物」と「植物」に、「その他」でしかない。まさか、「その他」と言う訳にはいかないから、「原生生物」と呼んだのだろう。 しかし、突然にして、生命の始原生物が3つに分かれたと考えヨと言われても、特殊な思想による独裁政治の世の中ならいざ知らず、発言の自由がある社会ではそれで納得できる訳があるまい。 従って、細胞内にDNAを囲う核があるか否かで分類し、核無しがより始原的とされるのは必然。結果、「その他」から「細菌(無核)」が分離されたということだろう。 そうなれば、単細胞生物より進化しているのは間違いなさそうな、多細胞生活型を分けるのは道理。キノコ・カビ・酵母といった多細胞に見える動物を「菌」という名称にまとめた訳だ。素人には、「細菌」と勘違いし易い名称であり、「集菌」とでもしてくれればよさそうなものに、なにかこだわりがあると見えて、しいて呼ぶなら「真菌」だとか。菌といえば、普通は細菌を思い浮かべるのが普通だと思う。 鞭毛で動く細胞がどうして動物でないのと感じる無知蒙昧の輩にはその辺りの感覚がわかる訳もないということなのであろう。 ともあれ、こうした分類を受け入れるしかない訳である。そうなると、"動植物"という言い方は不適当で、"菌動植物"にすべきではないとされるのかと思いきや、そのような用語は使ってはいけないようだ。 そうそう、残っている「原生生物」があるのか、素人にはよくわからないが、訳のわからぬゴチャ混ぜジャンルになっている筈だ。 ただ、「細菌」は、さらに「古細菌」が生まれている。残りが「真正細菌」。前者は有核細胞生物の類縁ということで分離する必要があるということのようだ。つまり、後者は分岐した遠縁ということ。 結果、こうなっている模様。生物を大きく見る場合、「動物 v.s. 植物 + その他原始的生物」は間違った概念での見方と提起していることになる。 ○真正細菌/Bacteria ○古細菌/Archaea ○真核生物 ・Opisthokonta+Amoebozoa・・・動物,襟鞭毛虫,菌類 ・Excavata ・Archaeplastida+SAR・・・植物,藻,繊毛虫,有孔虫,放散虫,等 ・他に細々した類 つまり、以下のような見方をしたらどうだということ。3分類である。 【共通祖先】 ┼↓ ┼├→○真正細菌 ┼│ ┼├→○古細菌 ┼↓ ┼○真核生物→・・・・→○哺乳類 素人感覚からすれば、そうなのかネ感あり。(古細菌と真核生物が、前者から後者が生まれたか、両者は分岐したのか、というような話ではない。) 分類の理屈がさっぱり見えないからである。 例えば、以下のようなストーリーを示唆するものになっていないからである。概念思考無しとは、丸暗記せよというにすぎず、頭を使うなという独裁者愛好型主張に近い。それをできるかぎり避けるのが現代の知恵。 そんな感覚だと、例えば、こんな風に描くことになる。 【共通祖先(今のところ空想の産物)】 ┼↓ ┼├→○非核酸型増殖生物(当てにならぬ仮説上の産物) ┼│ ┼↓・・・核酸型増殖生物登場 ┼├→○RNAゲノム型増殖生物 ┼↓ ┼○DNAゲノム型増殖生物 上の論理からすれば、素人からすれば、この先のストーリーはどのようにも好き勝手に描けよう。 ┼↓ ┼├→○独立栄養細菌群 ┼│┼│・・・酵素システム ┼│┼├鉄サイクル、燐サイクル、等々 ┼│┼│・・・光エネルギー利用 ┼│┼├光合成タイプ(酸素非発生型) ┼│┼│┼┼┼┼┼┼└→酸素発生型 ┼│┼├硫酸還元(硫黄)タイプ ┼│┼│・・・上記の共生発生 ┼│┼│ ┼│┼└メタン発生タイプ ┼├─→メタン取り込みタイプ ┼│ ┼↓・・・独立栄養細菌群が生み出すものを栄養源化 ┼○従属栄養細菌(偏在古細菌@特殊環境) ┼│ ┼↓・・・上記が生み出すものを栄養源化@高温環境 ┼○他の細菌取り込み(食)=始原的真核単細胞生物 ┼│ ┼↓・・・自己DNAの峻別(核の発生) ┼├→・・・準真核単細胞生物 ┼│ ┼↓・・・代謝機能の取り込み(キメラ化) ┼【各種小体含有タイプ単細胞発生】 ┼┼┼│・・・代謝方式バラエティ化 ┼┼┼├光合成タイプ→[分業的共存多細胞化]→植物系 ┼┼┼├糖サイクルタイプ→[分業的共存多細胞化]→動物系 ┼┼┼└その他 概念的分類のストーリーとしては、ここまでは「表」面の記述。みかけはいかに「創造的」であっても、実は、せいぜいが誰かのお話の寄せ集め。自分では、それに気付かないこともあるので注意した方がよい。しかも、ここで止まると、自己満足で終わる。重要なのは、この見方以外にありえるのか、違う見方はどのような考え方に依拠しているのか、自分の考え方はそのなかでどんな位置付けになるか考え、初めて創造性発揮の端緒にたどりつくもの。こうした作業をするには、分析の要ありだが、それに過度に依存するのを避けながら俯瞰的に全体を眺めることができるかで創造性の質が大きく左右される。 ま、お分かりだと思うが、その分野をある程度知り、その分野外のこともざっくりと知っていないと、こんなことはできないのである。(そして、実は、そこには色濃く「思想性」が入り込んでいる。無地ということはない。それを踏まえ、ようやく一皮むけた発想ができるようになる。) しかし、それはあくまでも端緒的活動。本格的な創造的活動に踏み込みたいなら、この「裏」面を作る必要がある。「なんでそうなるの?」ということで、納得のいく説明ができる背景を考える訳である。 そこは別途記載しよう。 (C) 2014 RandDManagement.com |