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魚の話 2007年7月20日 |
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ほんだわら の話…打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須 [万葉集23 哀傷作歌] 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食 [万葉集24 感傷和歌] 万葉集には「珠藻」「玉藻」が登場する。23番と24番は、流された麻續王が、海人でもないのに、藻をとっている情景を歌ったもの。命を惜しんで、浪に濡れながら、藻を刈って、食べているということ。哀しく、感傷的な歌である。 玉がついている海藻だから、ホンダワラ以外に考えられない。 麻續王は食用にしていたようだが、古代の主用途は、藻焼き製塩のようである。いわゆる「藻塩」。(1) ・・・朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍・・・ [万葉集935 笠朝臣金村作歌] ホンダワラに海水をかけ、天日干しの上で焼いて、その灰を海水に溶かし、おそらくその灰で濾過してから、乾燥させたと思われる。結構、美しい白色精製塩が得られていた筈だ。そのまま海水を乾燥させただけでは、苦汁が入ってしまうから、藻焼き製塩は理にかなっている。 塩は貴重だから、ホンダワラは重要な役割を担っていたといえよう。 しかし、「玉藻」という名称が、いつのまにか「本俵」という名称になった。素人には、ホンダワラの役割の変化を現しているように想う。
ホンダワラは浜にうち上がった浮袋がついた褐色の海藻というイメージが強い。しかし、海で大量に採取していた頃は、岩についている海藻を獲っていたに違いない。その状態を考えれば、馬の尾という名前は至極妥当。 しかし、食べるものが豊富になれば、食用というより、縁起ものになってしまう。そうなると、尻尾ではまずい。そこで、神馬の藻に変わったのだと思う。 今でも、この名前は通用する。伊豆で時々昼ごはんを食べる店では神馬藻のお吸い物がついてくるからだ。特段の味や香りも無いし、食感が嬉しいという訳ではないが、海の食べ物を味わうのを愉しみにしている人には人気があるようだ。 しかし、いくら神馬とはいえ、馬の餌のイメージも与えるから、定着しにくいだろう。 そこででてきたのが、ナノリソという名称。 皇后“忍阪大中姫”が、自分に隠れて妹の“衣通郎姫”を妾として別宅で寵愛していた天皇に対し、怒りをあらわにしたため、天皇に会えなくなった寂しさを詠った歌がある。ここに登場する浜藻を引用したらしい。 常 君逢 鯨魚取 海濱藻 寄時 (とこしへに 君も逢へやも いさな取り 海の浜藻の 寄る時を) この歌が皇后の耳に届けばさらなる怒りを呼ぶこと必定。“皇后必大恨”だ。 そこで、天皇は告げる莫れと語る。 これをもとにして、莫告藻とした訳だ。 大衆受けしそうにない話だから、残念ながら、この名前は余り普及しなかったようだ。 そこで、登場したのが、俵と打ち出の小槌と一緒の“だいこく様”イメージ。これなら、いかにもご利益がありそう。 → 「ダイコク様とは 」 (2006年12月13日) それに、この海藻、精子を放出する時、日光が当たって、海は黄金色になるという。まさに、子孫繁栄イメージにピッタリではないか。 --- 参照 --- (1) http://www.moshio.co.jp/process/index.html --- 歌 --- (万葉集) http://etext.lib.virginia.edu/japanese/manyoshu/AnoMany.html (日本書紀 巻13) http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syoki/syoki13.htm#sk13_i05 「魚」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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