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2004.7.7
 
 


素麺記念日に想う…

 7月7日は七夕だが、素麺の日でもあるそうだ。延喜式に、七夕に素麺を食べると大病にかからないと記載されているとのことで、記念日になったという。暑くて食が進まない時に、消化が良い素麺は体に良いということなのだろう。

 素麺はお中元好適品らしいし、薀蓄を傾ける人も多いので、素麺に関する話題は豊富である。高級品の売れ行きも結構好調のようだ。

 お中元カタログを眺めると、こだわり品が多いが、素麺自体は単純な製品である。原料は、小麦粉、塩、水だけである。これに少量の植物油があれば、素麺を作ることができる。
 しかも、原料も練り方もうどんと全く同じである。違いは、最後の過程だけだ。饂飩と違って、庖丁で切ったりせず、一方向に力で延ばして細くする。この延ばす過程で、表面に油を塗る。これだけで、相当な違いが出る。
 延ばすことで、細くても腰が強い。表面に油幕ができるから、乾燥して脆くなることもない。さらに、2年も保管すると、油の酸化と小麦蛋白の変性の相互作用で旨みが出ると言われている。

 とはいえ、饂飩に比べ、面倒な製法であることは間違いない。それでも、伝統が続いた理由は、農漁民が閑期の仕事にしていたからだろう。美味しくするために、厳冬の夜に製造したらしく、大変な労働だったと思う。
 ・・・といった類のことが、様々なところで述べられている。
 話題性十分な商品といえそうだ。

 様々な由来を読んでいくと、元祖は、大和と考えて間違いなさそうである。いわゆる、「三輪素麺」である。1200年の昔から続いているとされている。
 今でも、守護神の大神神社へ奉納を続けており、伝統が保たれている。(1)
 日本最古の道として知られる「山辺の道」では、神社だけでなく、産業も続いている訳だ。

 と言っても、地粉はどこでも希少だから、現実には輸入小麦製が主体となっていると思う。

 もっとも、市場の主流は、「三輪素麺」ではなく、播磨「揖保乃糸」(2)のようだ。良質の小麦粉を産し、揖保川を中心とした清流があり、赤穂の塩も揃っており、天日干しに適した地域だったから、繁盛したのだろう。500有余年の伝統があるという。
 しかし、もともとの技術は、伊勢の「大矢知」(3)と同様、灘地方のものらしい。しかし、その灘は消滅してしまった。おそらく、機械生産力を駆使した播磨が優位に立ったのだろう。

 この有名な2大ブランド以外にも、瀬戸内海には有名な素麺産地がある。これらは、もとを正せば三輪の技術で生産していたらしい。
 とはいえ古い話だ。小豆島「島の光」(4)はすでに400年の歴史があるという。今でも、「淡路」(5)、四国は吉野川の水を使う太めの麺の阿波「半田」(6)、遥照山から涌き出る水を使う備中「鴨方」(7)などが、生産を持続している。それぞれの特徴をウリに、産地として生き延びているから立派である。

 しかし、不思議なことに、「揖保乃糸」への対抗馬は、こうした瀬戸内海勢力ではないそうだ。
 好敵手は「島原」だという。実は、三輪の下請けなのだ。しかも、それを300年も続けて来たという。こちらも、「揖保乃糸」同様、機械化の波に上手く乗って、OEMビジネスで成功を収めたと言えよう。これからは、独自ブランド展開に力を入れるらしい。

 要するに、素麺産業は、兵庫(播磨)と長崎(島原)の2県が取り仕切っているのだ。これに次ぐ産地が、小豆島と三輪になる。しかし、こちらは、恐らく、1桁下の生産量だろう。淡路島や鴨方は、さらに1桁下になろう。高級品のニッチに近い。

 ここで、素麺産業の話しを終えると、ご不満の方が多いと思う。この他にも、数々の素麺産地があるからだ。

 と言っても、松山名物「五色そうめん」(8)、江刺「卵めん」(9)といった、特殊品の話しではない。
 肥後「南関素麺」(10)、三河「和泉」(11)、「秩父」(12)といった有名な地場素麺が抜けている、ということでもない。
 どこでも素麺は作られていたから、その気になれば地場品はすぐに復活できる。おそらく、この他にも産地はあるだろう。(江戸時代、東北の産地は三春だけで、国内最上級とされていたという。製品復活が進んでいる。(13))

 問題は、異なる「素麺」の取扱いなのである。

 JAS規格の素麺の定義は、細い饂飩でしかない。直径1.3mm未満がそうめん、1.3〜1.7mm未満が冷や麦、それ以上がうどんだ。素麺と饂飩はなんら変わらないのである。
 従って、秋田の「稲庭」(14)、まるまげ状に丸めてある砺波の「大門」(15)は、「三輪」と同じ分類なのだ。

 こんな分類に納得感はゼロである。「稲庭」はどう見ても、手延極細饂飩であり、「三輪」とは似て非なるものである。
 これは形態の違いではない。「稲庭」や「大門」といった日本海側素麺には油は使われていないのだ。・・・全く違うものと見るべきではないだろうか。
 (尚、「白石温麺」も油は非使用。(16))

 この違いは、日本海側と「三輪」のルーツが異なることを意味している。
 これを一緒の分類にしてしまえば、特徴は見えなくなる。下手をすると、食文化が消えてしまいかねないのである。

 この問題は、実は、油の使用、不使用の差だけではない。

 現在市場に出回っている商品は、「手延風」素麺と言わざるをえない代物だ。
 昔は地粉(中力粉)を練って、延ばすことで腰を出していた。ところが、今は腰を出すため、ほとんどが強力粉を使っている。当然ながら強い腰がでる。しかし、これは伝統の手延素麺とは全く違うものだ。

 表面的なブランド化は進んでいるが、その裏打ちたる文化が揺らいでいる。

 文化は本物でなければ、捨てられることが多い。素麺がそうした道に進まなければよいのだが。

 --- 参照 ---
(1) http://www11.ocn.ne.jp/~soumen/
(2) http://www.ibonoito.or.jp/
(3) http://www.miesc.ne.jp/jibasanmie/f05.html
(4) http://www.shimanohikari.or.jp/
(5) http://www.marunan.or.jp/sangyou/kanayamaseimen/
(6) http://www.planning21.ne.jp/handa/bunka/soumen.html
(7) http://www.kamote.co.jp/
(8) http://www.goshiki-soumen.co.jp/
(9) http://www.rnac.ne.jp/~ranmen/
(10) http://www.nankansoumen.com/
(11) http://www.izumi-somen.jp/p_process.php
(12) http://www.chichibu.co.jp/~tenobe/
(13) http://www.h2.dion.ne.jp/~abukuma/mih/mih_a01.html
(14) http://www.mugendo.jp/inishie.html
(15) http://www.tapc.jp/tokusan/soumen.htm
(16) http://www.u-men.co.jp/mainpr_umen.html


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