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2005.5.19
 
 


和菓子の話でもしてみよう…

 息抜きを兼ねて、和菓子の話でもしてみよう。

 生菓子に、濃い目の煎茶で一服すると、心穏やかな気分になる。緑茶のカフェインと糖分の生理的効果だろうか。

 但し、生菓子なら、なんでもござれとはいかない。自分好みの菓子でないと、どうもしっくりこない。合わないと、無理して食べる羽目に陥り、嬉しいどころでない。
 和菓子は、やはり店で見て買うに限る。
 と言いながら、虎屋の竹皮包羊羹(1)と塩瀬のお饅頭(2)、地方の見慣れぬお菓子などを頂戴すれば大いに嬉しいのだが。

 自分好みといっても、お店で、どの菓子にするか、あれこれ迷うことはない。
 たいていは、自分で決めた定番ものを買うことになるからである。考えて見れば、和菓子の好みだけは結構保守的である。

 定番の1つ目は、飾り気がなく、小振りであっさりした甘さのお饅頭。ところが、これがなかなか手に入らない。
 饅頭はそこらじゅうで見かけるが、小さな饅頭になると、たいていは箱入りの大量販売品になっている。何個も食べるつもりはないので、買う気にはならない。
 1個売りになると、大きい饅頭が多いし、好みに合わない皮だったりする。なかには、これでもかというほど甘さを強調したものもある。とても食べられない。
 好みに合う饅頭を売るお店はなかなか見つからないのである。
 例えば、青山骨董通りにある菊屋の“利休饅頭”(3)は美味しかったが、1月に登場しただけで消えてしまった。しかたがなく“瑞雲”を選ぶことになる。\320の黄味時雨である。

 饅頭とは違うが、同じ感覚で、桃林堂の小鯛焼(4)を購入することもある。鯛焼きを小さく上品にしたものと言ってよいだろう。上野に出た時に、芸大裏のお店でお抹茶を頂き、帰りがけに購入することになる。奥まった場所だから、東京のお店だと思っていたら、本店は大阪八尾だという。

 2つ目の定番は、亀戸天神は船橋屋の“くず餅”(5)である。普通は、最寄店で買うが、時として、わざわざ本店まで行くこともある。情緒を味わえるとは言い難いが、気分転換にはなる。

 関西の人は、“くず餅”と言うと葛粉を使ったお菓子と勘違いするらしいが、小麦の澱粉を醗酵させて蒸した御菓子である。このため、さっぱり味で、独特の風味がでる。ここが好きなのである。くず餅は、名物から工業製品まで色々あるが、それぞれ微妙に違い、好みがでてしまう。
 船橋屋のは、餅だけではなく、黄な粉と黒蜜の味も好きだ。この味に慣れてしまうと、他のくず餅を買う気がしなくなる。お菓子とはそんなものだろう。

 船橋屋の“くず餅”が手に入らない時は、代わりに、浅草の舟和の“芋羊羹”(6)を買う。
 くず餅と違って、家庭でも作れる類のお菓子だから、舟和の味がとりたてて素晴らしいということで買う訳ではない。廉価な商品だから、比較したことがないだけの話である。

 3つ目の定番は、西麻布にある麻布昇月堂の“本わらび”である。こちらは、たまたま前を通った時に購入というパターンである。
 美味しいので、つい買ってしまう。
 “本わらび”とは、濾し餡入りの蕨餅のことである。但し、餅といっても、小さな餡子玉のような形態で、表面に厚く黄な粉が振ってある。焦がし黄な粉なので茶色である。
 くず餅は本葛製ではなく小麦澱粉製だったが、こちらの蕨餅は馬鈴薯澱粉製ではなく本蕨粉製のようだ。この食感がたまらない。

 定番は以上である。

 こんな話をすると、大衆的生菓子の“上品バージョン”が好きと思われてしまうかもしれない。
 まあ、当たらずしも遠からずだ。

 しかし、何故、御菓子で季節感を楽しもうとしないのかと訝る人もいるだろう。当然の疑問である。

 実は、折目節目には、必ず季節の御菓子を頂く。端午の節句には柏餅。新緑を感じたら草餅。梅雨時期には紫陽花イメージの菓銘の御菓子。暑くなったら冷やした水羊羹。・・・
 もちろん、手作りの美しい練り切りにお抹茶も素敵だ。

   よもぎもち みどりに染まれ 森になれ
 吉田なつみ [11歳 平成15年度和菓子の日 俳句](7)

 この文化は守り続けたいと思う。

 ただ、この手の商品は連れに決定権を委ねている。
 そのため、季節の息吹を感じさせるもの、美しいもの、上品な味のもの、に関しては、黙ってお相伴させて頂く立場なのである。

 お饅頭、くず餅、蕨餅といった類のお菓子について意思決定権がある訳だ。
 この分野で言えば、大福や金鍔は滅多に購入することはない。甘味が強すぎるし、どういう訳か、大型化したものが多い。食べるとげんなりしてしまう。しかも、どういう訳が高額化商品が目立つ。
 この手のお菓子の高級品は御免こうむる。

 まあ、人好き好きではあるが。

 本当に好みは千差万別である。

 例えば、くず餅にしても、川崎大師の久寿餅本舗 住吉が一番と主張する人もいると思う。
 ご近所の和菓子屋さんの謹製品にこだわる人もいそうだ。
 お菓子屋さんでなく、食材店のなんの飾り気もない商品が一番という意見もあろう。
 一方、コンビニ品で十分と主張する人もいておかしくない。コンビニに並ぶものは工業製品として嫌う人がいるが、たいていは驚くほど吟味した原材料を使っており、手作業のお菓子が上との根拠がある訳ではない。

 要するに、どれも、自分こそが、本当に違いがわかっているという自惚れで話しているだけのことである。

 実は、こうした主張ができるのが、和菓子のいいところだ。

 この点では、美しく「雅」を感じる和菓子より、大衆的和菓子の方がより思想性を持っているような気がする。もしかすると、これが江戸の庶民から受け継いできたグルメ感かもしれない。
 一見くだらなく見える、こうしたお菓子へのこだわりが、江戸の食文化だった気がする。

 そんなことを考えながら、「こだわり」を重視して和菓子を選んでいる。

 例えば、団子のテイクアウトはしないと決めている。
 団子は持って帰ると美味しさは半減どころか、下手をすると不味い菓子になってしまうからだ。
 但し、餅と団子好きの岩手南部、一関にある松栄堂の“ごま擦り団子”(8)は冷凍品なので例外だが。

 食べに行くのは、知った店だけである。

 気にいっているのは、一関から奥に入った景勝の地、厳美渓の団子屋。醤油・ゴマ・こし餡等をつけた団子で、特段の秘訣がある訳ではなさそうだが、どういう訳が美味しい。おそらく、作りおきではなく、その場で串に刺して提供する手作り品を直ぐに食べるので、団子本来の味がでるのだろう。
 東京からわざわざ団子だけを食べに行くことはないが、近くに行った時は必ず立ち寄る。

 都内では、谷中墓地から跨線橋を渡ったところにある、根岸は芋坂の羽二重団子(9)に決めている。餡・醤油の団子にお茶である。廉価だが、セルフサービスではない。しかも、ゆったりして静かな店内で、庭をみながら、頂くことができる。

 茶道に繋がる和菓子の方はそれなりに支える人がいるからよいのだが、大衆的な和菓子は下手をすると廃れかねない。この手の和菓子の伝統を守りたいと思う人は、「こだわり」をもって、好きな店のファンになって欲しい。

 --- 参照 ---
(1) http://www.toraya-group.co.jp/products/pro01/pro01_008.html
(2) http://www.shiose.co.jp/shiose_omanjyu.html
(3) http://home.h00.itscom.net/kikuya/itiran01-01.htm
(4) http://www.torindo.co.jp/okashi/tai.B/kotaiyaki_B.htm
(5) http://www.funabashiya.co.jp/whatsnew/index.html
(6) http://www.asakusa-noren.ne.jp/shop/funawa.html
(7) http://www.wagashi.or.jp/news.htm
(8) http://www.shoeidoh.co.jp/okasi/goma/goma.html
(9) http://www.hoyumedia.com/co/gr/habutae/body.html


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