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2005.7.26
 
 


飢餓キャンペーンへの異議…

 WFP国連世界食糧計画は「緊急の」食糧援助を行っている団体である。
 就学率を高める「学校給食プログラム」を行っていることを知らせる公共広告で認知度が高まってきた。(1)

 お陰で、こうした運動に便乗した形で、似非“支援”キャンペーンを始める人達がいる。

 互いに関係ない事実を並べて、曲解を誘う主張を展開しているのだ。
 といっても実にたわいない話だが。

  ・日本での食料廃棄量はとてつもなく多い。
  ・これは食糧難の人達を救える量である。
  ・日本の食糧援助額はこの量に比べると小さな数字にすぎない。

 これだけである。

 まだまだ使える鉛筆を捨てずに、鉛筆さえ買えない貧困地帯の子供に送ろうという、現実を知らない小学生の主張ならわかるが、大人の主張としては願い下げである。
 この手の運動は支援すべきではない。

 本気になって飢餓を撲滅したいなら、伝えるべき内容は違うだろう。・・・

  ・世界でみれば食糧は余っている。貧困で買えない人が存在するだけのことだ。
  ・貧困地帯ですぐに仕事を作れそうな分野は農業だ。
  ・従って、農産物の現地買い上げは貧困撲滅に効果がある。
  ・その観点では、先進国の過剰農産物による食糧援助は逆効果と言わざるを得ない。
  ・「緊急の」食糧援助を固定化すべきでない。

 しかし、このような話にはならない。

 理由は色々あるが、世界でどの位食料が余っているか実感できない人が多すぎるのも一因だろう。

 そうなるのは、コモディティ商品である点も大きい。需給の小さな変動で、暴騰が発生したり、売り惜しみに繋がり易いからだ。そのため、消費者には、過剰感覚が生まれにくいのである。
 おまけに、世界の人口が増え続ければ、食糧危機に陥るという話もよく聞かされている。これは、間違いではないが、一定条件下での話しだ。今、我々が直面している貧困による飢餓問題とは別の課題である。
 (単純化すれば、農地はすぐに用意できないから、準備が必要ということに他ならない。自然条件悪化で生産量が逓減すれば、需給バランスが大きく崩れて対処が難しくなるということだ。)

 現時点では、食糧は生産過剰であることを認識しておく必要があろう。
 食料廃棄量など末梢的な問題である。

 世界の生産量(2)の数字を眺めればわかりそうなものだ。

 例えば、穀類生産はざっくりとした数字で言えば、世界で約20億t。人口60億なら、一人当たり毎日1kg弱ということだ。
 ピンとこないかもしれないが、弁当のご飯は150g見当。精米に直せば70g弱に相当する。
 小麦粉なら300g弱あれば、食パン1斤を作れる。
 我々の食生活では、いくら頑張っても、穀類は0.5kg程度しか消費できそうにない。

 カロリー摂取でいえば、穀類だけでなく芋類という手もある。こちらは、ポテトが3億万t、サツマイモが1.4億万トン程度の生産量だ。他の種も入れれば、誰でもがイモを毎日1〜2個は食べれる量に当たる。
 さらに豆もある。

 要するに、摂取カロリー量の理屈からいえば、飢える筈などないのである。

 しかし、現実には、こうした基礎食料がすべて直接口に入る訳ではない。畜産、加工食品、工業といった産業に回るからだ。
 それでも、どこも過剰状態であることをよく考えておくべきである。

 例えば、ミルクの生産量は3.8億t。もし全部を飲んだとしたら、60億人が毎日牛乳瓶1本弱は飲める勘定になろう。
 肉にしても、薄切りの焼肉少量を皿にもった程度は食べられるだろう。卵にしても、毎日は無理だろうが、結構食べられる筈である。

 これに加えて魚介類が加わる。

 マクロでは人類は大変な量を食べていることになる。飽食に近いのである。
 食品産業が健康食や嗜好食をターゲットにするのは当たり前である。

 ・・・飢餓の話に食料廃棄問題を持ち出す人の発想にはとてもついていけないのである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.ad-c.or.jp/campaign/all/2004_3.html
(2) [統計] FAO Production Yearbook, USDA World Market and Trend
     (2次統計資料は古いデータのこともあるが、古くても数字はたいしてかわらないと思う。)


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