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2007.12.11
 
 


柚子の話…

芭蕉ある 寺に一樹の 柚子黄なり   長塚節

 清和天皇は850年、文徳天皇第4子として誕生。藤原氏の摂関政治の頃。
 ご稜は、出家先として選定していたと言われる、奥嵯峨 水尾にある。
  “文徳天皇、御年三十にて、崩御なりしかば、第二の皇子、御年九歳にて、御譲りを受け給う。
   清和天皇の御事、是なる。
   後には、丹波の国水尾の里に閉ぢ籠らせ給ひければ、水尾帝とぞ申しける。”(1)

 ここ、保津川峡駅から5Kmも分け入った山奥。(2)
 昔から40戸程度の山村だったようだが、今や、京都からの日帰り人気観光地のようだ。そのウリは昔から柚子が育てられていること。(3)
 と言うことは、冬だけのビジネスだろうから、他の季節は静かで鄙びた山里の生活に戻るということかも知れない。

 傾斜地だから、棚田を作るにしても限度がある。おそらく、この土地に適した作物は柚子しかなかったのだろう。お陰で、清和天皇の時代から、柚子は水尾とされていたようだ。
 それが、今や、日本全国至るところに「柚子の里」がある。

 小生も、昔、奥武蔵の柚子栽培農家に泊まりに行ったことがある。細い山道を歩き続けてようやく到着するような所にある一軒屋だった。
 観光宣伝していないから、他に泊まる人もなかったのだが、大量の柚子を浮かしたお風呂で歓待してくれた上に、売り物にならないという採りたてユズを山のようにお土産にくれた。

 一寸した傷がついているだけで、商品にならないから、たいしたモノではないと言われたが大いに驚いた覚えがある。今は、そんなことをしていられないと思うが、よき時代だった。

 その時聞いた、うろ覚えの話だが、ユズは木としては強いそうで、根が張り、葉がやたら育つという。そのため実がなかなかつかないと言われているのだとか。
 従って、早く実らせたいなら、接木とか、剪定する必要がある。当然ながら、漫然と肥料をあげたりすれば、逆効果になりかねない訳だ。
 種からじっくり育てると気が遠くなるような時間が必要となるということでもある。

 尚、何年もかかって育ててようやくついた実が、どの程度違うかは、分かる人には分かるそうだ。そう言われると、確かに百年以上の「枯」木モノを味わうと、深みがあるような気がする。

 そんなところが、「桃栗三年 柿八年 柚子の大馬鹿十八年」を座右の銘にしたくなるところなのだろう。(4)

 もっとも、その農家の方によれば、栽培技術も進歩してきたから、丹精かければ素晴らしいものもできるとのこと。ただ、矢鱈手がかかるのだとか。
 楽しそうに語っていたが、産地競争に負けずに、今も柚子栽培を続けているだろうか。

 --- 参照 ---
(1) 「曾我物語」国民文庫版 http://www.j-texts.com/chusei/soga/ksgmznb.html
(2) http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/056/index.html
(3) http://www.kyoto-kodawari.com/saijiki/saa_yuzu.shtml
(4) 壺井栄文学碑(小豆島町坂手港丘の上) http://www.shodoshima.or.jp/kankou/bungakuhi.htm
(俳句の出典) http://www.aozora.gr.jp/cards/000118/files/616_1992.html
(ゆずのイラスト) (C) Hitoshi Nomura “NOM's FOODS iLLUSTRATED” http://homepage1.nifty.com/NOM/index.htm


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