↑ トップ頁へ |
2008.4.1 |
|
|
隠元の話…隠元の 遺徳を奉じ 豆の花 隠元忌 蝶の飛び交う 豆の花 遊氣 黄檗宗の祖、隠元禅師示寂が1673年4月3日。禅宗がすでに広まっているにもかかわらず、大陸の正統派の教義を伝えるために来日して約20年後のことである。(1) 戒律厳格化を進め、食事も修行のなかに取り込み、大皿料理スタイルや、煎茶を持ち込むなど、日本文化に大きな影響を与えた。 細かな経緯は知らぬが、野菜に禅僧の名を冠したのだから、なにかそれなりの理由があった筈。 加工食品の沢庵なら“発明者”であれば納得性もあるが、種を持ってきただけなのである。にもかかわらず、名前をつけたのだから、インゲンは、文化的にも大きなインパクトを与えたに違いあるまい。 よくわからないが、想像してみることにした。
と言うことは、素人の想像だが、すでに一部ではインゲンも知られていたが、ほとんど栽培されていなかったということではないか。 もともと、古事記に出てくるのは小豆だ。インゲン豆が渡来したからといって、それを越える価値を見出さなければ、そう簡単に普及するものではなかろう。 それに、問題もある。インゲンもフジマメも、健康障害を発生させる成分を含んでいるからだ。当然、動物は生で食べないから、保存には向くが1年は持たない。 もちろん煮れば無毒になるが、小豆に比べて、豆が大きいから、一寸煮た位では美味しくはならない。結構手がかかる代物。小豆の魅力に勝てる作物ではなさそうである。 しかし、そこまで時間をかけても、価値があることを隠元和尚が説いたに違いない。 確かに、フジマメには、メリットがある。簡単に作れる割に多収量だ。 だが、温暖地帯でしか採れない。しかし、その後、寒冷地に合うインゲン豆が導入され、フジマメは一気に代替されたということだろう。直接的には、北海道開拓で大量生産が始まったからである。 そこで、隠元和尚の徳を忘れずに、ということで名前を頂戴したのではないか。 大宜都比売神から生じた小豆に対抗する商材に育てるには、どうしても隠元和尚の権威が必要だったということでもあろう。 金時、鶉、といった名称も、ササゲ(大角豆)からそのまま頂戴したようだ。今では、ササゲなど言葉だけの存在でしかなく、スーパーの棚で見かけたこともない。 ところで、今もって“手芒”という小ぶりの白色インゲン豆が栽培されているそうである。コレ、白小豆の代替として登場したのではなかろうか。もっとも、白大豆など、専門店で昔一度みかけたことがあるだけだが。 莢インゲンも、そんな流れと前後して普及したと思われる。ササゲ(大角豆)を代替したのだろう。 ただ、若莢が美味しいのは、もいでからせいぜい半日程度。以後、見かけは悪くないが、味は急激に落ちていく。ということで、豆は北海道、莢は近隣に分かれた筈だ。 もっとも、最近は品種改良で、筋もなくなり、莢も柔らかくて、時間が経っても品質劣化は少なくなった。近郊生産の必要はなくなってきたようである。 --- 参照 --- (1) http://www.obakusan.or.jp/rekisi/ingen.html (2) http://www.gene.affrc.go.jp/htbin/plant/image/get_logo?plno=54223001 (参考) 相馬博士の作物百科 インゲン http://www.agri.pref.hokkaido.jp/nouseibu/soma/index/ingen.htm サヤインゲン http://www.agri.pref.hokkaido.jp/nouseibu/soma/index/sayain.htm ベニバナインゲン http://www.agri.pref.hokkaido.jp/nouseibu/soma/index/benibana.htm ササゲ http://www.agri.pref.hokkaido.jp/nouseibu/soma/index/sasage.htm (俳句の出典) 遊氣の『俳コラ写真集』[2007年07月31日] http://issinkan.shashin-haiku.jp/e756.html (インゲンのイラスト) (C) Hitoshi Nomura “NOM's FOODS iLLUSTRATED” http://homepage1.nifty.com/NOM/index.htm 「食」の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
|
(C) 1999-2008 RandDManagement.com |