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2008.4.22
 
 


西瓜の話…


 「雲」より“西瓜の詩”
  山村暮鳥

  農家のまひるは
  ひつそりと
  西瓜のるすばんだ
  大かい奴がごろんと一つ
  座敷のまんなかにころがつてゐる
  おい、泥棒がへえるぞ
  わたしが西瓜だつたら
  どうして噴出さずにゐられたらう


 スイカは感覚的には果物だが、公的分類では野菜の扱い。ただ、皮の漬物に出会うから、その時ばかりは、あ〜、野菜の一種だったのだと感じ入ることになる。瓜系が好きな人なら、値段を別にすれば、誰でも嬉しいのではないか。そんな時は、西瓜ではなく、水瓜にすべしと、つい思ったりする。
 海外には、丸ごとピクルスもあるとの話もあるが、味付けが違うから似て非なるものと見てよいだろう。

 それにしても、売り場で、形が整った西瓜が美しく陳列されている様子を眺めると、つくづく感慨を覚える。
 昔は、山のように積まれたなかから、指で叩いて、食べ頃を選んでくれたものである。運ぶのが重くて厄介だったが、それだけの価値はあった。

 ところが、驚くほどの市場縮小が進んでしまったのである。大きすぎ、買いびかえが進んだこともあろうが、味が格段に良くなった訳でもないのに、価格が高くなり手が出しずらいといったところではないだろうか。温室で作るようになってしまい、メロンとの競争になってしまえば、当然の結果と言えよう。
 まあ、もともと、重いし、運搬しにくい上、糖度・品質・形のバラツキが大きいから、価格表示も面倒でスーパー向きではない。この先、消費が復活するのも望み薄かも知れぬ。残念なことだ。

 発砲スチロールの西瓜割りにならないことを祈るしかない。

 それにしても不思議なのは、種無し西瓜をほとんど見かけなくなったこと。海外では、味より、種が少ないものが好まれている感じがするのに対し、日本は逆だからだ。味が薄いのに価格が上がるから敬遠されただけかも知れぬが。
 ともあれ、種を無くそうとすると味が落ちる植物なのが面白い。種をばら撒いてくれない動物には協力しない方針なのである。
 種がある部分を食べないと、一番甘い中心に辿り着かないように工夫したのに、それを無視する輩は許せんというのは当然の姿勢だ。

 だが、一回り上手がいる。中国人である。種(“黒瓜子”)を捨てず、食べるのだ。採種用品種まで作ったという。(1)
 流石。
 こうなると、西瓜もお手あげである。
 この種、中華街に行けば普通に並んでいる商品で、食べると結構美味しいが、試そうとしない人が多い。味付けに違和感を覚えるせいだろうか。
 もっとも、試食品をもらって、殻ごと食べて、吐き出した人を見かけたことがあるから、そんなことも影響しているのかも。
 ともかく、一粒が小さいし硬い殻だから、歯での殻割に精神を集中し、食べ続ける必要がある。無心で食べる境地を味わいたい人向きである。
 両手で大きな西瓜を持って、大胆にかぶりつき、口から種を吹き飛ばすという、えらく下品な食習慣とはだいぶ違うとはいえ、上品とも言い難い。
 しかし、そんなところが、メロンとは違う、西瓜の醍醐味なのだと思う。

 --- 参照 ---
(1) 跡見群芳譜 農産譜 すいか
  http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch4-vegitables/suika.htm
(データ) 農林水産省生産出荷統計  http://www.tdb.maff.go.jp/toukei/a02stoukeiexl?Fname=F005C-002-023-001-000.xls
  &PAGE=3&TokID=F005&TokKbn=C&TokID1=F005C-002&TokID2=F005C-002-023&TokID3=F005C-002-023-001
(詩の出典) つれづれの文車-趣味の文書室-  http://2style.net/misa/fuguruma/bocho/bocho_m052.html
(スイカの写真) photo by Shu Suehiro “Citrullus lanatus5SHSU.jpg”
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Citrullus_lanatus5SHSU.jpg


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