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「新風土論」
2015年3月4日

沙漠の民の信仰について

ムハンマド時代に戻そうとの過激な動きが勃興している。先進国の生活者から見れば暴虐そのもので、とんでもない話に映るが、アラブ社会では驚くような動きとも言えないのでは。
と言うのは、今もって、部族長が全権を握り、武装私兵を抱えて他部族との抗争を厭わない社会がそここにに健在だからだ。そこでは、部族としての誇りが最優先され、西欧的な人権発想は唾棄される。もともと、ムハンマド時代の社会ルールに親和性が高い社会なのだ。従って、実利が伴うなら、ムハンマドの血筋系部族の出身者によるカリフ制へと進んでもおかしくない。部族間の揉め事に即座に裁断を下せる指導者の登場は社会の安定に繋がる訳だし、全部族総出でイスラム敵対勢力を打倒することで富裕化が実現するなら悪くない話と受け取られかねまい。
   「中東大動乱の兆し」[2015.2.26]

・・・と、考えていて、イスラム教を沙漠の思想と見なす発想は、実像を見誤るのではないかという気がしてきた。
特に注意すべきは、「一神教 v.s. 多神教」というステレオタイプの見方。「沙漠の思想 v.s. モンスーンの思想」と解釈するのだが、はたしてこれが本質に迫る発想と言えるか、考え直す必要があるのでは。
その場合、多神教の概念を明確にすることから始めた方がよかろう。たいていは曖昧で情緒的な定義でしかないからだ。・・・「多神教」とは、万物に霊が籠るという一種のアニミズム的信仰を指すとされがち。そのため、どうしても、各部族神のデパートとしての「多神教」発想ができなくなる。部族対立を宗教から眺めることができなくなる訳だ。
(それに、日本の信仰実態はアニミズムをはるかに越えており、祖先や実在人物崇拝、渡来宗教が混在したものになっている。「多神教」というより、「多宗教」と呼んだ方がよさそうな感じ。これを、モンスーン的な風土に根差す文化と考えてよいのか、考える必要があろう。小生は、こうしたハイブリッド信仰は、島嶼のハイブリッド民族ならではの思想と見た方がよいと考える。)
それと、一神教を沙漠の民が産んだ宗教と決めつけるのも避けた方がよいと思う。それは、自分達の沙漠の印象で、アラブの体質を決めつけたものかも知れぬ訳で。

と言うのは、常識的には、典型的新興宗教とは、他の神すべてを否定するか、現存の信仰を包含した多神教化するもの。ドグマで纏まった、信仰一途の教団なら、一神教の方が多いのではなかろうか。つまり、人を拒絶するか如きの過酷な環境での生活が、深い思索に結びつき、そこから一神教へと進んだという理屈は心地よいが、本質に迫っているとは限らないということ。

小生は、一神教が、民族宗教たるユダヤ教から生まれたという点を考えれば、その宗教的原点は「流浪を余儀なくされた民」にあると見るのが自然だと見る。拉致され、仲間も存在しない状態で、一個人として生きるしかなくても、民族としてのアイデンティティを持ち続けるには、唯一神は不可欠ということで。

遊牧社会では部族間の「襲撃」は避けられなかった筈。それは、まかり間違えば、集落丸ごと消滅しかねない危険な世界。それを防ぐため、一夫多妻か一婦多夫といった部族長間の婚姻関係が成立していたと思えるが、それは部族毎の信仰の同居を招くことになり、多神教から離れる訳にはいくまい。

しかし、それが通用するのはあくまでも強者だけ。一旦、弱者と見なされると悲惨。強者に虐げられる一方で、部族消滅の危機に直面するからだ。そのプレッシャーに打ち勝つために産まれたのが一神教とも言えるのではないか。
そもそも、遊牧生活をしている限り、極めて少数の家族が集まる以上の塊はオアシスの集落しか考えられまい。そのような場所で、部族会合が頻繁に開催され部族意識が培われるとも思えまい。
と、すれば、遊牧民にとっては、他の集団と自発的に交流することは一種の義務だったのでは。実は、これこそが沙漠の思想ではないか。その交流こそが、部族意識形成の土台。当然ながら、異なる部族との交流も盛んな訳で、それは一義的には交易だったろうが、同時に宗教的交流や、様々なスキルの交流も伴っていた筈である。この交流あってこその遊牧生活とは言えまいか。孤立して深い思索に耽るのが特徴という見方は当たっていまい。今も残る聖地への「巡礼」こそ、その習俗の維持なのでは。それは苦難を伴う「旅」であり、命を失いかねないものだが、交流のための旅は信徒としてはやらねばならぬもの。「飢餓(断食)」の習慣も、この「旅」で味わう苦難の再現と見ることもできよう。

このような環境下で一神教は、部族信仰の差違を乗り越えた「民族宗教化現象」ともいえよう。しかし、この場合の「民族」は、部族集合体を指すものではない。「流浪を余儀なくされた民」の場合は、人種、日常言語、生活文化といった文化基盤を超越したアイデンティティが生まれるのである。ここが肝。
そう言えば、おわかりだと思うが、経典とは、アブラハム"家"の歴史と信仰の書なのだ。つまり、経典信仰者=アブラハム"家"の系譜に繋がる人々となる。
ただ、この段階では、あくまでも民族宗教であって、世界宗教たりえない。それを抜本的に変えたのが、イエスであり、ムハンマド。民族宗教はヒトと神との間の契約が土台だが、その間に、民族性を打ち出さない「神の子」あるいは「預言者」が入ることで、民族性を消し去ったともいえよう。信仰対象はもっぱらイエスやムハンマドになり、その生活指針を受け入れることが信仰者の当然の姿勢とされるようになった訳である。


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