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■■■■■ 2015.2.26 ■■■■■


中東大動乱の兆し

中東はどうにもならなくなってきた。
シリア北東部で少数民族アッシリア人のキリスト教徒150人が拉致されたという。
クルド人が多く住む地域でも少数派キリスト教徒90人。
リビアでは、拘束されたエジプトのキリスト教徒(コプト教)21人を殺害。

米国がパンドラの箱の蓋を無理矢理こじ開けてしまったのだから、こうなるしかない。下手をすれば、これが切欠となって、本格的な宗教戦争が始まりかねまい。米国大統領にはその危機感が無いようだから心配である。と言うか、無責任な口だけの「暴挙許さず」だから、火に油を注ぎかねない。こまったもの。

そんな状態なのに、日本では、イスラム国を、国と呼ぶのはおかしいといった議論が始まったり。
その一方で、イスラム教はもともと寛容な宗教。イスラム国をイスラム宗教勢力と見なすなとの主張も。

折角のご意見だが、小生は、いささかピントが外れているような気がする。

どう見たところで、これは、まごうかたなきイスラムの「国」。間違えていけないのは、西洋的視点だと、全くもって国家の態をなしていないし、外交上の国家とはみなせないというに過ぎない。・・・ここを確認しておく必要があるのでは。
要するに、イスラム国は、アラブを、ムハンマド存命時代に戻そうとしている訳だ。・・・ムハンマドは宗教指導者というだけでなく、軍事統率者でもあったから、その観点で眺めれば、確かにその当時の「国」のスタイルを踏襲しているのは間違いない。まさに時代錯誤な動きだが、当事者は本気。
もともと、イスラムの信仰は個人主義。国家概念が希薄であり、普通選挙でどうやらまとまるといった風土。最高指導者が軍事=宗教上の全権を握ってしまえば、ムハンマド存命時代の「国」はいとも簡単に生まれる。そこには、戦略もなにもない。ムハンマドの言行録そのままで動くだけなのだから。

ちなみに、クルアーン日本語訳から、抜き出してみようか。
【9. 悔悟章】
123.信仰する者よ、あなたがたに近い不信者と戦え。そして、あなたがたが意志堅固で力強いことを、かれらに知らせなさい。アッラーは主を畏れる者と共におられることを知れ。
【9. 悔悟章】
5.聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。
【47. ムハンマド章 】
4.あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない。


実際、多神教勢力に内通するユダヤ系クライシュ族との戦闘で勝利すると、ムハンマドは成人男子すべてを処刑し、婦女子は奴隷としたらしい。
しかし、それ以外のユダヤ教徒に対しては生活や信仰に一切手出しはしなかったという。戦闘状態にあった部族とも、多神教の都市から他へ移住することで和平協定を締結して終戦に導いたりと現実主義的に動いている。

さらに、ムハンマド存命時代から先は、一般的に異教徒に寛容な姿勢だったと見られている。イスラム教の帝国がスペインやバルカン半島にまで領土を広げたが、強制改宗は一切せず、ユダヤ教徒やキリスト教徒は自由な生活を続けることができたと言われているからだ。改宗した民族もあるが、自発的と考えれれている。

一方、イエスは聖戦を口にしなかったようだが、キリスト教の帝国ができると、大規模な十字軍派遣が行われた。そして、1099年、エルサレムでイスラム教徒とユダヤ人を殺戮したことが知られている。スペインをイスラム統治から解放した際に、改宗か死をせまったと言われている。そのため、ユダヤ人はイスラムのモロッコに逃れたらしい。・・・こんなこともあるから、人によって、イスラムの見方が大きく違ってくるのは致し方ない。
従って、自分なりの歴史観が無いとどう判断すべきか迷ってしまうのでは。

ちなみに、小生は、こんな風に見ている。

とっぴょうしもないと言われるかも知れぬが、同時代人である聖徳太子の「和を以て貴しとなす」をつい思いだしてしまう。氏族抗争に明け暮れる時代を終わりにすべく仏教を取り入れたと考えているからだ。しかし、反仏教勢力壊滅のための戦争を率先して進めた人でもある。
それが、ムハンマドの問題意識と重なって見えるのだ。

もちろん、ムハンマドは啓示を受けた預言者であり、教祖でもあるから、立場は全く違う。とはいえ、アラビア半島において、部族抗争終焉を急がねばと考えていたに違いない。
だからこそ、多神教を目の敵にしたのだと思う。遊牧部族は、それこそ一番の収益源が「他部族襲撃」だったりするから、これをなんとかせねばと考えたのでは。多神教とは、こうした各部族のアイデンティティを一同に会するようなもの。これを続けていては拙いのである。
特に、都市とは部族の交流場所であり、当然ながらそこには多神教の神殿が配置され、力関係で信仰対象の重要度が決まる仕組みが生まれる。これを、なんとしても壊すことが出発点となる訳だ。

つまり、多神教許さずという意味は、一神教の神の使徒が、部族間のすべての揉め事の裁断を下すということに他ならない。
都市の社会的安定性を図り、交易路の安全保障を実現するにはこれ以外に手はなかろう。換言すれば、部族社会との親和性が高い社会的モラルを導入したということ。

遊牧社会の伝統を受け継ぎながらも、グローバルな交易新時代を見据えたモラルを考え出したということでもある。
それが最初に現実化したのは、オアシス農牧都市のメディナの方だった。そこは、抗争を続ける限界に来ていたということだろう。
そして、そこで手にした軍事力をテコに、ローカルな多神教信仰拠点でもあった商業都市メッカを、新時代のモデル都市へと作りかえたのだと思う。

小生は、イスラム教を寛容か非寛容という切り口で見ても意味は薄いと考える。重要なのは、ムハンマドは現実主義者でもあったという点。

(source)
日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)」@「伊斯蘭文化のホームページ」
(ロイターのニュース)
「イスラム国」、シリア北東部でキリスト教徒150人を拉致 2015年02月25日 10:51 JST
「イスラム国」がシリアでキリスト教徒の村を襲撃、90人誘拐 2015年02月24日 19:08 JST
「イスラム国」、エジプトのコプト教徒21人殺害の映像公開 2015年02月16日 12:11 JST


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