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2016年1月4日

葦の風土(古事記)

お正月なのでヨシの話の続き。 [→「葦の風土(西洋) 」]
もちろん古事記で。

本文冒頭は余りにも有名。
「國稚く、浮かべる脂の如くして水母なす漂へる時に、葦牙のごと萠え騰る物に因りて成りませる神」として、宇摩志阿斯訶備比古遲神が現れる。
太安万侶作成の注記にこの名称は「音」表記としているから、「美味し+葦+角(=若い芽)」と命名した霊的な神だろうとの想像がつく。
しかし、この神の事績は全く記載されていない。記載の流れからすれば、神や国が生まれる原動力を寿ぐ神と思われるが、推測の域を出ない。ただ、一日で5cmも伸びる植物などなかなかない訳で、現代人でも脅威的な力を感じる程。そこに古代人が霊的な力を感じたのは先ず間違いないのではという気にはなる。
特に、日本の場合は、湿地帯はマコモ、アシ、ガマが旺盛であるが、洪水にも耐えて生き延びることができるのはアシのみであり、お仲間意識を産み出した可能性が高そう。しかも、ほったらかしより、ヒトが刈り取るようになると、それによってさらに元気溌剌化という草なのである。
そこに、共に生きるという宇宙観を抱いたということではなかろうか。

おそらく、太安万侶はそれに気付いていたのだと思われる。だからこそ、士六駢儷体の漢文の「序」で、いかにも当時の中華的宇宙論を展開したのだと思う。どう考えても、序における漢文での解説と伝承をそのまま倭音で記載したとされる本文のは乖離があり過ぎるのである。

もともと、葦の利用価値は高い。古代人が親近感を持っているのは全世界共通なのは当たり前だが、それとは異なる感覚で葦と接していた可能性が高かろう。
 【葉】葉を卷いて製作する"北方人"笛(西アジア的中空筒縦笛では無い。)
 【根】漢方薬
 【桿(繊維)】紙、衣料用
 【桿(一部)】篳篥「舌」,古代甘粛簫(ほとんどの粛は竹管。)、筆
 【桿(全体)】葦簀[よしず]、戸材、茅葺屋根材
 【穂】掃除用箒
 【花絮】枕詰め物
 【白色毛花】特段好まれたとは思えない。


それはともかくとして、古代エジプト人が考える狩猟漁撈の理想郷としてのアシが繁茂する河の中州的島々の感覚とは随分と違う。動物を支える環境としてのアシ原を眺める嬉しさではなく、植物そのものが育っていく様子に感動しているのだから。
おそらく、その花も愛でたに違いない。後世ではあるが、清少納言も "草の花は"で蘆の花を褒めているようだ。ソースによって扱いが異なるので断言はできぬが、少なくとも大いに気になる草だったのである。
  "夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、いひつぐけたるに、をかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いとくちをしけれ。などさはた生ひ出でけむ。ぬかづきなどいふもののやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。しもつけの花。葦の花。"[三巻本]
  "葦の花、更に見どころなけれど、御幣などいはれたる、心ばへあらんと思ふにただならず。萌えしも薄にはおとらねど、水のつらにてをかしうこそあらめと覺ゆ。"[能因本]

そして、國生みが始まるが、先ずは"至らず"のシーンから。
そこでは、水蛭子は葦船に入れて流し去りつとなる。
その後は、日本列島を現す言葉として、「高天の原」と対比した用語と思われる、「葦原の中つ國」が多用される。国土統一を実現したように映る大国主の神にしても、「葦原色許男」と呼ばれた訳だし。
ハイライトはなんといっても、天照らす大御神の命での呼び名。「豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國」。
「葦原の中つ國」平定命令が実行され、大国主神の御子神らしき建御名方の神は、建御雷神に若葦を取るがごとくに扱われてしまう。そして、現代血名では、信濃の國の諏訪の湖へと逃亡。

しかし、なんといっても目から鱗的な表現は、「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ國にあらゆる現しき青人草の、苦き瀬に落ちて、患惚まむ時に助けてよ」という下り。アシとは青之[アオシ]が語源ではないかと彷彿させる表現である。

もちろん、萬葉集にも「葦原の水穂の国」的な言葉が使われている歌は少なくない。(柿本人麻呂[萬葉集#167],田辺福麻呂萬葉集[#1804],大伴家持[萬葉集#4094],等)
例えば、このような歌。
  葦原の 瑞穂の国に 手向けすと
  天降りましけむ 五百万 千万神の 神代より・・・
[萬葉集#3227]

しかし、葦が登場する歌はこのようなもの以外の方が多く、港や鴨に関係する抒情的なものが目立つ。「穀雨(谷雨)」の初候は日本の略本暦では「葭始めて生づ」で、中国の宣明暦では禮・月令の「萍[浮草]始生」だから、そのような感覚での歌がありそうなものだが、それを全く感じさせない歌だらけ。
  ・・・港には 白波高み 妻呼ぶと 渚鳥は騒く
  刈ると 海人の小舟は 入江漕ぐ 楫の音高し・・・
    [大伴家持 萬葉集#4006]
  の葉に 夕霧立ちて 鴨が音の
  寒き夕し 汝をば偲はむ
 [萬葉集#3570]
葦辺のオギの歌もあるので、よく似ているオギやススキとは区別されており、まさに現代の湿地帯の情景とも言えそうなものだらけ。
それに葦の水辺には食用の藍藻も豊富だったことも、それなりの感興を呼んだことであろう。
  雄神川 紅にほふ 娘子らし
  
葦付[水松之類]取ると 瀬に立たすらし [萬葉集#4021]

「アシ[安之]」の呼び名の区別(葭(芽段階)→蘆/芦(蕾段階)→葦(穂段階))も無いようだし、後世の「悪し→良し」の言葉遣いの変化の兆候も全く感じられない。

とはいえ、特別な思いが籠められているのは間違いなさそう。
  の根の ねもころ思ひて 結びてし
  玉の緒といはば 人解かめやも
 [萬葉集#1324]
だからこそ、葦垣が格別な情緒感を呼ぶのだと思われる。
  我が背子に 恋ひすべながり 葦垣
  外に嘆かふ 我れし悲しも
 [大伴池主 萬葉集#3975]
  大伴宿禰家持臥病作之
  
葦垣の 外にも君が 寄り立たし
  恋ひけれこそば 夢に見えけれ
 [大伴家持 萬葉集#3977]
葦垣は信仰上でも特別な役割を果たしていた可能性があろう。「青垣」も葦を指している可能性があろう。

もちろん、それは葦とヒトが同根であるとの信仰があったとの推測にすぎない。冒頭で述べたように、太安万侶はそれを示唆しているのである。

おわかりだろうか。
これは、「一神教 v.s. 多神教」という切り口で精神風土を眺めるのは根本的に間違っていることを意味する。そのような表面的な信仰の違いで、風土を考えてはいけないのだ。

一神教だろうが多神教だろうが、単にヒトが総てを支配することを当然視する思想と、古事記の葦の思想は全く交わることがないのである。前者の自然大好き感とは、所詮は、「自分達の好みの環境を壊すな!」以上でもなければ、以下でもない。絶滅危惧種を救えというのも、単に支配者としての権利を弱者にもできる限り拡張しようというだけの話。
現代の我々の思想とは、葦とヒトが同根という信仰を捨て去った地平にあるということ。古事記は、それを教えてくれるのである。
そして、もしかすると、その信仰の残渣は現代日本人には残っているかも知れぬ。

─・─・─古事記で葦が登場する箇所─・─・─
  【上ッ巻】(基本的には上ッ巻のみ)
〔天地のはじめ〕葦牙・・・宇摩志阿斯訶備比古遲の神
〔島々の生成〕葦船・・・水蛭子
〔神々の生成〕−
〔黄泉の國〕葦原の中つ國・・・伊耶那岐の命
〔身禊〕−
〔誓約〕−
〔天の岩戸〕葦原の中つ國・・・天照らす大御神
〔穀物の種〕−
〔八俣の大蛇〕−
〔系譜〕葦原色許男・・・大穴牟遲の神
〔菟と鰐〕−
〔貝比賣と蛤貝比賣〕−
〔根の堅州國〕葦原色許男
〔八千矛の神の歌物語〕−
〔系譜〕葦那陀迦の神
〔少名毘古那の神〕葦原色許男
〔御諸の山の神〕−
〔大年の神の系譜〕−
〔天若日子〕豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國・・・天照らす大御神
〔國讓り〕葦原の中つ國・・・建御雷の神
  若葦を取るがごと・・・〃
  葦原の中つ國・・・八重事代主の神、大國主の神、建御雷の神
〔天降〕葦原の中つ國・・・天照らす大御神/高木の神の命
  豐葦原の水穗の國・・・正勝吾勝勝速日天の忍穗耳の命
  葦原の中つ國・・・光らす神[猿田毘古の神]
〔猿女の君〕−
〔木の花の佐久夜毘賣〕−
〔海幸と山幸〕−
〔豐玉毘賣の命〕−
  【中ッ巻】
(熊野の)高倉下答へまをさく、「おのが夢に、---その葦原の中つ國は、もはら汝(いまし)が言向(ことむ)けつる國なり。---」
伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)、宮内(おほみやぬち)にまゐりし時に、天皇、御歌よみしたまひしく、「葦原の しけしき小屋(をや)に 菅疊(すがたたみ) いや清(さや)敷きて わが二人寢し」。
當藝志比古の命は、血沼の別、多遲麻の竹の別、葦井の稻置が祖なり。
(本牟智和氣の御子の話では)「この河下に青葉の山なせるは、山と見えて山にあらず。もし出雲(いづも)の石𥑎(いはくま)の曾(そ)の宮にます、葦原色許男(あしはらしこを)の大神をもち齋(いつ)く祝(はふり)が大庭(には)か」と問ひたまひき。
  【下ッ巻】
葦田(あしだ)の宿禰が女、名は黒比賣(くろひめ)の命
(目弱の王の變では)射出づる矢葦(あし)の如く來散りき。


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