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「新風土論」
2017年6月19日

白川静流の風土論
─山海経的視点の重要性─

「酉陽雑俎」は、古代中華帝国の風土がどんなものだったか、思い起こさせる仕掛けが組み込まれている感じがする。
そういう点では、白川漢字学もえらく似ているので、そこらを書いておきたい。

白川学の真骨頂は、甲骨文字の徹底的な解析。それもあって、分析的手法を駆使した地道な努力が実を結んだと解釈されがち。それは間違いとはいえないから、敬意を表するために、小生もそのような言い回しをするものの、本気でそう思ってはいない。

良くも悪くも(嘘か真かという意味である.)、注目すべきは、新概念の導入。

特に、漢字の「口」形を人体器官の"mouth"ではなく、祭祀器"サイ"であるとする説は特筆もの。
  「白川漢字学の壁が気になるクチ」

本当のことを言えば、小生は、白川によって、「口」の字源の真実が明らかになったと考えている訳ではない。正確に言えば、その逆と言った方が正しいかも。
しかし、小生は白川説を支持する。
個々の指摘が正しいか否かなど実はどうでもよい。実証できるとは思えないし、反証を並べる訳にもいくまい。従って、たとえ胡散臭くても、白川の主張以外にまともな説が存在せぬというだけ。

もっと言えば、分析科学の見地からいえば、「口」論も含め、個々には極めて恣意的な主張の塊。
なにせ、"mouth"と祭祀器"サイ"の峻別さえできないのだ。白川だけが、感覚的になんとなく違いがあると語っているにすぎず、この姿勢は普通は科学とは縁遠い。
しかし、小生は、全体としては"いたく実証的"と考える。・・・ビックリ論理に映るだろうが。

こういうこと。・・・
「口」は祭祀器"サイ"との仮説は、間違っている可能性は低いとは言えないのだが、正しいと見なすしかないのである。(「字統」の関連した部分を読めば、ご本人も分別は無理筋と考えていたとしか思えない。)
この手の見方は正当であり、これ以外の有力な仮説が無いからである。

要するに、白川論とはコペルニクス的転回ということ。
「口」論を肯定するということは、それを認めるというだけの話。

一言で言えば、"口"を、人が持つ1つの器官の象形と見なすべきでないというに過ぎない。
"虎"や"牛"にしても、動物の単純な象形と考えるなということ。どうして、そんな風に描くのかもわからずに、記号と勝手に解釈するなど非学問的であると考える訳である。

もちろん、単純象形の漢字もあるだろうが、それは"本来"の漢字(宗教的意味があったと思われる甲骨に記載された文字.)の出自とは無縁なのである。
換言すれば、生まれたばかりの文字を、コミュニケーション用記号と考えるナ、ということ。我々の使う漢字はすでに記号化しているから、どうしてもその視点から見てしまうが、そこから離れない限り、字源を探れる訳がなかろうというに過ぎない。

つまり、たった1つの文字にすぎなくても、そこには神話と言うか、宗教的意義が含まれていると考えヨ、と注意を喚起したのが白川漢字学である。
従って、"mouth"に信仰上の意義を見出せないなら、口とは祭祀器であると考えるしかない。

おそらく、白川漢字学の内容には、コミュニケーション用記号と見ている人々からすれば、非常識な解釈も含まれることになろう。しかし、それでよいのである。
なんとなれば、漢字は呪術から始まったとの理論を提起しているからだ。
その観点で眺めると、こうも読めるゾ、という仮説がゾロゾロとなる。
素人にとっては、無理筋に思えるものも少なくないが、それで一向にかまわぬのである。

簡単に言えば、甲骨文字は、山海経の世界に近いのである。
現代感覚では、訳のわからぬ妖怪のオンパレード。しかし、それがその時代の現実そのもの。
漢字だけはその風土に染まっていないと考える訳にはいくまい。

そのように考えると、白川論をつきつめれば、音符で合成されたと見なされている、いわゆる形声文字は、本質的にはオリジナルな漢字ではない。
大陸では部族によって、話言葉は全く違っていた筈であり、それは現代でも解決されている訳ではない。方言のレベルではないからだ。
従って、形声文字が通用したとすれば、強制的に読み方の標準化が行われたことを意味する。漢字は単なる記号として使われていることになる。そうなると、オリジナルの文字は別にあり、その読み方を示すための当て字の字源を議論していることになるかも。

おそらく、呪術文字と記号文字の間は不連続である。白川論からすれば、その切れ目は、殷と周の間ということになるのかも。

殷は神話に包まれた帝国。しかし、その王朝は短命に終わったので、様々な神話を社会的に整理体系化する時間がなかったのである。
殷を打倒した周は、神話が貧困だった上に、殷の神話を引き継ぎたくないため、様々な神話を消し去ろうと図ったのは間違いあるまい。
その過程で、甲骨文字が個々に抱えていた神話的字源も消し去られ、コミュニケーション記号化が図られたと見るのが自然である。

(参考) 白川静:「中国の神話」中央公論新社 改版2003年[初出1975年]

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