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2000.5.6 |
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軍事に使われる民生品を誇る体質…軍事技術に大きな誤解がある。軍事用の技術が民生に流れるから、逆もあるとの考えだ。勿論、皆無ではないが、例外と見るべきだ。問題は、「日本の民生技術は軍事技術にも転用される位優れている」という意見だ。 当たり前だが、民生用製品が軍事用に使われることはある。 それが、どうして優れている証拠なのか?理解に苦しむ。 しかも、煽動的言辞で有名な方の発言ではなく、技術をよく知るオピニオン・リーダーが主張しているそうだ。二重に驚く。 技術マネジメントの視点からいえば、軍事技術と民生技術は体系が全く異なる。 例えば、どこにでもある1万円の安物モーターを軍事用に転用するとしたらどうなるか。おそらく、ベンツ1台の価格になるだろう。同じ構造のモーターでもその位の違いが生じる。軍事技術の本質は、極限状況でも働くような信頼性保証技術である。何をどの程度保証すべきかが重要なスキルなのだ。こうしたソフトと技術シーズの組み合わせが軍事技術の最先端といえる。 当然だが、すべての部品にこの原則が当てはまる訳ではない。どうでもよい部品なら、安価な民生用をそのまま使う。民生用をそのまま使うとしたら、いくら高度な技術が使われていても、鍵を握る部品ではないということ。重要な部品なら、モーター1つでも研究が必要だ。 従って、軍事用に使われたことが、産業技術の優位性を示すとは限らない。ゼロから研究開発して作るよりは、安いから使うだけである。軍事技術は安全保障上、「技術のソーシング」問題を検討せざるを得ないから、自分達で代替品を作れないものを購入することなどありえない。軍事用は大量生産の必要はない。自分で作れる保証さえあれば、一番安価な調達が原則だ。外注したのは、わざわざ作る意義がないだけ。 戦闘機の生産を見れば、その技術体系の核は歴然としている。ライセンスを受けても、作らせてくれない部品がある。しかも、俗に言う「ブラックボックス」がある。中味を知ることができないものだ。そうした状況で、戦闘機用の液晶ディスプレーを受注したところで、技術優位な筈がなかろう。CCDでも同じこと。歩留まりを気にしないなら、半導体の高性能品をつくれない筈がなかろう。 技術力検証の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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