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2000.7.15
 
 


先頭だった遺伝子研究…

 80年代は、多くの分野で、日本が最先頭とは言わないまでも、少なくとも先頭グループにいると、皆が実感していたようだ。ところが、90年代にこの状況が一変する。特に遺伝子研究では、「日本はプレーヤーではない。」と言う人まででてきた。

 この原因については、色々な意見がある。
 例えば、「もともと差があったのに、キャッチアップをしっかりやらないから、落伍したのだ。」とか、「結構進んでいたのに、研究費の投入をおこたったからだ。」というもの。驚くのは、90年以前の競争力について相反する発言がなされていることだ。

 90年以前の遺伝子研究分野での力関係はどうだったか、確認したくなる人も多いのではないか。

 遺伝子分野といっても範囲が広い。PCR法のような基本的な技術開発で競争力を論じることもできる。ジャーナリスティックには一番わかり易い領域といえる。しかし、産業振興の観点で技術力を考えるなら、大型疾病に関係する遺伝子研究の進み具合を見るべきだ。この分野でブレーク・スルーが起きれば、直接社会へインパクトを与えることになるからだ。当然、世界中の研究機関・企業の研究者が注目している分野だし、研究資源も集中している。

 大型疾病といっても、痴呆や癌に関しては、検討対象があまりに未解明過ぎる。成果の価値を計りにくい。一方、生理構造がかなり解明されている循環器系疾病領域での動きはわかり易い。従って、この分野での遺伝子研究は進んでいたかを見れば、力量が見える筈だ。

 この領域での成果を見ると、世界の先頭集団に属す、日本の研究者は存在する。というより、世界初の快挙を成し遂げたのは日本の研究者と言ってよい。

 90年8月の「Nature」に掲載された、児玉龍彦先生のマクロファージのスカベンジャー受容体の研究成果論文はその典型だ。この受容体の遺伝子を始めて明らかにしたのである。動脈硬化に関係するコレステロールを食する機構が明らかにできることになる。まさに、画期的といえよう。
 動脈硬化と双璧をなすのが、高血圧症だ。この分野でも顕著な成果がある。
 村上和雄先生が79年にレニンの遺伝子を発表している。勿論、世界初だ。レニンはアンジオテンシンを生成する酵素である。降圧剤の主流ACEインヒビター(アンジオテンシン酵素阻害)の時代を突破する、次世代の医薬品開発に繋がる発見といえよう。

 このことは、明らかに、一流の頭脳は揃っていたといえよう。

 注意すべきは、こうした先生方の実験は「人力」型だった点だ。少量のサンプルを多量に集め、気の遠くなる程の労力を要する、精製・抽出工程を自らの手で進めた結果得られた成果なのだ。遺伝子読取に際しても、X線フィルムから、人が配列を読取り、書きとめる作業を延々と進めている。
 「肉体労働」と「頭脳労働」を切り離さない方がよいという意見もあろうが、程度問題である。こうした「肉体労働」部分をいかにして合理化するかについて、日本は考慮しなかった。というより、優秀な研究者は、そのようなことを考える暇がなかったのだろう。優秀な研究者をサポートする、周辺の研究開発が薄すぎるのだ。

 いくら優れている研究者がいても、徒歩で先に進むのでは、自転車で走ってこられたら、追い抜かれる。しかし、バイオの研究者には自転車は作れない。早く走れる自転車を考える研究者、実用的な自転車を作る企業、自転車を買える金の3つが揃わない限り先頭は走れない。最新型の自転車をいち早く借りれる保証など、どこにもない。そうなると、自転車で走りたい研究者は、自転車を貸してくれる国に移ってしまう可能性がある。


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