↑ トップ頁へ

2000.7.22
 
 


CD-Rメディアで活躍する台湾勢…

 CD-Rはパソコンの記録メディアとして定着したといえよう。誰でも持っているCD-ROMの規格に合致するので、本質的に浸透し易いメディアではあった。しかし、なんといっても、このメディア市場が爆発的に伸びた理由は、価格だ。2000年に入り、店頭価格1枚70円が登場した。
 CD-Rは、簡単に言えば、樹脂基板に、銀の薄膜を形成し、色素塗膜をつければほぼ完成する。構成がシンプルだから、極めて安価になると予想されてはいたが、価格低下がこれ程急速に進むと考えた人は少なかったのではないだろうか。

 CD-R分野では、日本企業が圧倒的に優れた技術を持っていると言われ続けてきた。しかし、これ程凄まじい価格低下では、極く一部の企業を除けば、「割りに合わない技術開発だった」と総括せざるを得まい。だが、技術開発は終わった訳ではない。記録量増大競争が控えているからだ。市場環境が好転する可能性は低いから、「割りに合わない技術開発」は、今後も不可欠といえよう。
 歴史ある磁気メディア・メーカーは、製品ライン上CD-Rメディアにも参入せざるを得ない。しかし、市場が魅力的でないなら、OEMでカバーすることが可能だ。実際、太陽誘電(シアニン系色素)製の他社ブランド品がかなり目立つ。
 一方、メデイア業界後発の三菱化学メディア(アゾ系色素)や新規参入の三井化学(フタロシアニン系色素)は、そのような選択では事業継続の意味がない。従って、このまま価格低下が進むなら、メディア製造・販売業から技術ライセンシング業への変身を迫られるかもしれない。

 CD-Rの歴史を振り返ってみよう。
 太陽誘電が開発に成功したのが88年のこと。商品は90年頃に登場し始め、92年には規格(フィリップスとソノーのCD規格)が設定された。95年頃から、安価になった機器が急速に普及しはじめた。これに伴い、メディア市場も拡大した。
 メディアが爆発的に伸びたのは、98年である。国内生産は、対前年比で数量が8割も伸びたが、金額の方は2割以上減少したのである。この時期に、世界的に市場が爆発的に伸びたのは、台湾メーカーが過激と言われる程安価に商品を出荷したからといえよう。

 一気に価格が崩れた後、台湾メーカーがプライスリーダーの地位を確保してしまった。「日本製は高級品」ということで取れるプレミアムも縮小した。例外はあるものの、台湾製でも十分な品質であることがユーザーに広く知られるようになったからだ。当然ながら、市場シェアも過半は台湾メーカーに奪われてしまった。CMC MaganeticsやRitekといった企業は数億枚の生産能力を誇れるまでに伸びた。これ以外の台湾や香港製メディアも日本の店頭に並ぶようになった。(台湾Acer Media Technology, Gigastorage, Lead Data, Princo, Prodisc Technology, Seantram, Xcitek、香港Quite Yam Electro-Optical)

 素材開発は確かに難しいし、高度だ。しかし、染料や感光剤開発能力を持つファインケミカル企業にとっては、素材開発はルーチンワークだ。素材評価の方法論が決まれば、メディア企業は、ファインケミカル企業から新素材を提供してもらい、スクリーニングすれば開発可能だ。従って、CD-R機器側の条件を知りさえすれば、事業推進が可能となる。かつては、機器開発では日本が圧倒的な地位を確保していたが、いまや、台湾がその地位を奪いつつある。そうんると、台湾のメディア製造企業がこの優位をバネに飛躍する可能性さえでてきた。


 技術力検証の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2004 RandDManagement.com