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2002.8.3 |
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次世代露光システムの競争…半導体のリソグラフィーの2001年ロードマップによれば、指標になるDRAMハーフピッチのデザイン・ルールは、2001年が130ナノ、2003年に100ナノ、2006年には65ナノ、2010年には45ナノ、2016年32ナノとなる。(http://public.itrs.net/Files/2001ITRS/Home.htm) 従来の経験則ベースの予測だから、連続的に技術が進化するように見えるが、50ナノを越えると、光源や光学的縮小技術が大きく変わり始める。この辺りから技術の不連続点が登場してくる。従って、先に将来技術を磨くことによって、一気に競争優位を実現できるチャンスが生まれる。逆に、対処を誤れば、現在の覇者は没落の脅威にさらされる。こうした戦いの、序幕が終わり、いよいよ第一幕が始まった。 2002年5月、50ナノ以降の技術開発を進めるため、極端紫外線露光システム技術開発機構(EUVA)が、ギガフォトン社、日本のステッパー・メーカー、半導体大手企業により設立された。ギガフォトン社は、2000年に、コマツのエキシマレーザ事業部とウシオ電機のレーザ研究部門を合同して設立した会社である。 半導体製造現場で稼動している「KrF」ガスを用いるエキシマレーザは、2000年に130ナノ製造を実現している。2002年には100ナノのモデルも登場した。しかし、2000年後半には、100ナノ対応の「ArF」ガスを用いるエキシマレーザが登場したため、2001年には早くも世代交代が始まった。 さらに、次世代として、70ナノ対応の「F2」ガスを用いるエキシマレーザの実用化が進められている。さらに先の技術として、金属ガスプラズマを用いる極紫外線露光「EUV」技術、電子線投影露光「EPL」技術、X線露光なども検討されてきた。X線は早い段階で落ちたが、生産性は悪くても確実性の点から「EPL」の方を本命と見る企業もあり、確たる将来シナリオは確定していなかった。ところが、「ArF」の延命策が可能そうで、「EUV」の進歩も著しいため、欧米では「F2」をとばして、一気に「EUV」へと進む動きが強まっていた。 例えば、2000年にステッパー業界のリーダーとなったオランダのASM Lithography社が、2002年4月に、インテルからの「EUV」量産試作機受注を発表している。この機種は、2005年後半本格出荷予定で、初期目標が45ナノだ。1999年からインテル中心のリソグラフィー技術コンソーシアムEUVLLに加盟して進めた成果である。 (http://www.asml.com/corp/press/20020422inteleuv.html) 日本の技術開発機構は、こうした動きに対応したものといえよう。 その一方、日本の半導体企業11社が設立した半導体先端テクノロジーズが、世界に先駆け、「F2」で、2002年3月に55ナノ実現に成功している。(http://www.selete.co.jp/SeleteHPJ1/Data/0203a01.pdf) この開発に使用した高開口数レンズを搭載したマイクロステッパーはExitech 社製である。この企業は1984年に設立された英国のベンチャーである。(http://www.exitech.co.uk/company_frame.htm) 2002年6月には、コーニングが、早速、70ナノを実現できる最高精度のレンズ製造可能と発表した。このレンズ、実は、Exitech のマイクロステッパーに組み込まれているものだ。 (http://www.corning.com/media_center/press_releases/2002/2002061900240467780.asp) 今まで、ステッパーといえば光学技術の粋を極める日本企業の十八番と言われていた。しかし、この段階に入ると、技術体系が異なるから、先手をとることができなくなっている。 短波長になれば、従来のレンズ材料は使えない。まずは材料開発能力が問われる。材料が異なるから、今まで蓄積された光学レンズ処理スキルは活かせない。光ファイバー系材料技術の方が役に立つ。 「EUV」に進めば、吸収率を考えると、レンズ利用は無理だ。反射システムに変わる。対応可能な反射材などないから、例えば、重い元素と軽い元素の層状材料を創製するしかない。この技術もゼロからの開発になる。簡単に追いつけるものではない。 こうなることは容易に推定できた筈だが、ぎりぎりの時点になってから動き始めるのが日本の体質のようだ。 技術力検証の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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