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2003.12.16
 
 


偏狭なオープンソース重視方針…

 日本は、IT分野に、誤った知財重視方針を持ち込んだようだ。知恵で稼ぐ社会を作り出そうとばかり、偏狭な知財重視路線を始めてしまった。
 ITの本質を理解できない指導者達が、知識社会化を勘違いして、逆方向に舵を切ったのである。しかも、未だに間違いに気付いていない。
 おそらく、わかった頃は遅い。

 IT分野の知財を考える場合、同じ著作権でも、コンテンツやデザインといった分野と、ソフトウエアでは全く意味が違う。ソフトウエア開発業やITシステム構築業は、漫画のキャラクター事業とは本質的に違うのだ。知財を同様に扱うと、間違いかねないのである。
 と言うのは、ソフトは発展性があるからだ。コード体系や基本アルゴリズムが独占されてしまうと、類似機能の別技術製品が乱立したり、独占による発展阻害が発生しかねないのである。これでは、業界が自らの首を締めることになりかねない。

 そのため、コンピュータソフト分野では「オープンソース」化が活発化してきた。この流れから外れると没落しかねない時代が始まったのである。
 ところが、日本企業には、この観点が欠けている。その上、危機感もほとんど無い。
 このままなら、日本は、間違いなく、ITの技術後進国になるだろう。

 どういうことか簡単に説明しよう。

 2003年8月に公表された、経済産業省の包括的な報告書を読むと日本の状況がよくわかる。
 [半年をかけて、利用状況、導入検討ガイドライン及び法的課題の整理などについて検討した成果物である。]
  (http://www.meti.go.jp/kohosys/press/0004397/1/030815opensoft.pdf)

 これによると、日本では「オープンソース」がほとんど浸透していないという。
 このような状況が続いているのは、「オープンソース」に対する不安や誤解のせいでないか、と指摘されている。

 政府の報告書だから、大胆な発言はできないだろうが、「不安や誤解」が「オープンソース」回避の原因とは思えない。
 日本企業には、戦略立案能力と技術マネジメントスキルが無いから、「オープンソース」を使えないだけの話しだろう。マネジメント能力を欠くため、「オープンソース」化を飛躍の武器に転化できないのである。
 要するに、「タダで使えるなら徹底的に使え!」との単純方針しか打ち出せない。これを裏返せば、「オープンソース化は儲からないから手を出すな」ということになる。

 こうした態度をとるのは、ある意味では、当然と言える。自社開発ソフトを無料で利用させれば、開発費用が全く回収できないからである。

 しかし、このような態度を取り続ければ、業界ごと没落する時代が到来した。

 少し考えればわかる筈だ。
 沢山の競合企業が、それぞれ同じようなソフトを別々に開発して意味があるだろうか。業界全体では、壮大な無駄になる。といって、1社独占にすべきと考える人もいまい。
 そこで登場したのが「オープンソース」である。
 業界で共有できる部分を決め、無駄な開発コストを省くのだ。

 従って、この動きに乗れない業界は、早晩、開発/メインテナンスコストの負担増に見まわれる。没落必至だ。

 このことを予想している欧米企業は、IT業界/利用者側が協力して、「オープンソース」化に熱心なのである。インフラ領域は「オープンソース」化して誰でもが自由に使えるようにする。このことで、膨れ上がる開発/メインテナンスコストを業界全体で分かち合うのだ。無料で使える裏側には、そのコストを業界全体で薄く広く負担する仕組みがある。
 日本の動きは全く逆である。「オープンソース」化ではなく、個々の開発者の知財権をできる限り守る「クローズド」化に熱心なのである。

 日本企業は未だに「オープンソース」化を「FREE=使用料無料」の動きと見なしているのだ。驚くことに、ソース非開示のフリー(無料)ソフトと同一視する企業さえある。これでは、「オープンソース」の領域はペンペン草も生えぬ状況に陥る。
 一方、欧米企業は「FREE=改訂の自由」と見なす。インフラを「オープンソース」にすることで、共同開発/メインテナンス体制を作り上げる訳だ。そして、付随する細かな部分は、各社が知財権を保有する「クローズド」な領域とする。このような仕組みができあがれば、「オープンソース」化に貢献している企業ほどスキルが高まることになろう。そうした企業が繁栄するのは間違いあるまい。無料奉仕は、巨大な見返りに繋がるのである。

 このまま行けば、日本がどうなるかは、明白だ。


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