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2006.4.3 |
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大阪の水道の話を聞いて「大阪の水は日本一まずい」 と発言した漫画家・西原理恵子さんが、ブラインド試飲したところ、「おいしい」と選ばれたのは、ボトルウォーターではなく、大阪の水道水だったという。 (1)水道水 v.s. ボトルウォーターの勝負らしいが、水道に、そんな水が必要なのか大いなる疑問である。誰でも、美味しい水は嬉しいが、そのために、どれほど膨大なコストがかかるのか考えて欲しいものである。 地方政治は、水源悪化防止策はコンセンサスがとれないとの理屈で、おざなりの対応で済ましてきた。その結果、大阪では、夏になると、蛇口をひねったとたんに臭気を感じるまでになってしまった。「大阪の水は日本一まずい」と言われても当然だろう。 流石に、ここまで来ると、対処要求の声が厳しくなる。そこで、高額でも、高度な水処理で対応したのである。 そして、どうだ、高度処理水は美味しいだろう、と誇っている訳だ。 こんな姿勢に対して、これはおかしい、と言う人をほとんど見かけない。 どうせこうなるだろうとは、昔から言われていたのだが、皆、黙っている。 間違って欲しくないが、水質悪化防止の環境問題ではない。水道事業の話である。 冷静になって、状況を眺めると、水道政策の不思議さが見えてくる。 上水道の普及率はもう上限。つまり、大仕事だった普及の仕事はとうに消えているのである。 それでは、これからどうなるか。 わかりきったことである。人口が減り、急速に老齢化が進んでいく。すでに、生活の質は十分高いし、家庭用機器も節水対応が進むから、家庭での水道使用量は減ることになろう。 要するに、設備拡張は不要なのである。しかし、それでは仕事がなくなり困ってしまう。 そんな時、役所がどう動くか、過去を見れば容易に推定がつくではないか。 しかも、厄介な問題を抱えている。日本全国、浄水施設の多くは1960年〜1970年に作ったものだから、そろそろ寿命を迎える。設備作りが大好きな人ばかりだから、ここに高額な最新鋭設備を導入したくなるのは当然の流れといえる。 このままなら、そこらじゅうに、オーバースペックで、無駄な処理能力の設備が乱立することになりかねない。 そうなれば、この先、水道代金は鰻登り。 しかし、そうなってから文句を言っても後の祭り。これは「民意」に沿った政策だからである。 安全の意味も定義せず、ただただ“安全に飲める水にせよ”と叫べば、これしかあり得ない。都合の良い「民意」はそのまま受け入れるのが官の特徴だからである。 お蔭で、高度な技術開発で、低品位な水源に対応する道を探ることになる。 これ自体、決して悪いことではない。しかも、純技術的には、結構面白いものも多い。(2)。しかし、おしなべてコストダウンの技術ではない。どう動こうと、大幅コストアップ必至なのである。 ビジネスマンの発想なら、大幅コストアップ必至の、公共水道向け高度施設など唾棄すべきものでしかない。 水源を見れば、生水を飲める環境には無いのが自明だからだ。 まともに飲めない水しか無いにもかかわらず、美味しい生水を飲めるようにしろとの要求は無理筋以外のなにものでもない。 現実に、家庭で、生の水道水をどれだけ飲むか考えてみれば、こんな施策が無駄であることはすぐにわかる筈である。生で飲む量は激減しているし、料理用水を購入したり、浄水器を設置する家庭も増え続けている。水道事業は、流れに逆らった施策を志向しているのである。 日本も、欧州のように、生水を飲みたいならボトルウォーターという時代に入って来たと見るべきなのである。硬水、軟水の違いの問題ではないのである。 こうなるのは、経済原則を考えれば当たり前だろう。家庭での水道水は、主にバス・トイレ・洗濯/洗浄で消費されている。飲料としての生水消費など微々たるものであり、煮沸後に口に入る量を入れても、ほんの一部に過ぎない。 生で美味しく飲める水道にして、高額な水道料金を払わせる仕組みは、無駄以外のなにものでもない。 そもそも、良質な水は希少資源である。トイレ用水に、超高額な、生でも飲める水道水を流す仕組みを構築すること自体、本末転倒と言わざるを得まい。 水源を汚してしまったのだから、そのツケは自分達で払うしかない。生で美味しく飲める公共水道など追求すべきではなかろう。 家庭経済からいえば、低廉な公共水道料金制度こそが重要だと思う。従って、本来なら、最低レベルの殺菌・危険物除去ですませ、生飲料用は別途購入か、煮沸するなり、末端で個々に処理すべきものである。その方が全体では安価になるからである。 今の状況では低廉な水道にはならない。従って、もしも、値上げを防ごうと思ったら、塩素満杯の水を流すことになりかねない。ハイリスクな水にもかかわらず、安全な水道と呼ぶ矛盾は深まる一方だろう。 これが嫌なら、大阪府下の水道料金(3)のように、料金上昇を認めていくしかないのである。 次々と設備が更新され償却費用が増える一方で、総需要が減るのだ。値上げが繰り返されることになろう。 そんな無理筋追求のための技術開発を進めるしかないのが、日本の技術政策の特徴と言うことかもしれない。 --- 参照 --- (1) [2006-3-20] http://www02.so-net.ne.jp/~n_kawa/topix/topix.htm#no.7 (2) 水道技術研究センター「新しい浄水技術 産官学共同プロジェクトの成果」技報堂出版 2005年 [高効率浄水技術開発研究(ACT21)の成果] 尚, ACT21に続くのが, 「環境影響低減化浄水技術研究開発(e-Water)」[〜2006年度] (3) http://www.pref.osaka.jp/kankyoeisei/suido/data2003/10-ryoukin.pdf 技術力検証の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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