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■■■ 魏志倭人伝の読み方 [2019.1.23] ■■■
[23] 灼骨卜

 其俗擧事行來 有所云爲
 輒灼骨 而 卜 以占吉凶 先告所卜
 其辭 如令龜法 視火占兆


令龜法とは令制による亀卜のことなのだろう。亀の甲羅に開けた穴に熱した棒を差し込んで生まれて入る罅で神意を知る技法である。専門家が判定する仕組みを作り上げた訳だ。
当然ながら、甲骨文字と対になっており、支配者層は結果を目で確かめることができるし、意思決定の記録も残すことができるから官僚組織の基本概念を確立させた重要な制度だったといえよう。
竜山文化〜殷代の頃。

ところが、これが周代になると筮(易占)が代替していく。割れ目の形から結果を判断するという、曖昧な方法を止め、2進法的な合理的な選択方法に踏み切ったのである。
と言っても、それは見かけ。機械的な意思決定と言うよりは、権力者の意向を忖度する恣意性濃厚な技法だったのは間違いない。ただ、亀の甲羅を使う必要がなくなったので、文字の役割は大きく変わり、神との交流用ではなくなり、筮の結果を踏まえた公的な記録用になり、それは通達用の道具と化した訳である。
これは画期的なことで、異言語間のコミュニケーションに文字が使われることになるのだから。

殷と違って、周には民族文化の香りが感じられ無いのは、ここらが所以だろう。殷=商は、言語の違いを超越した、交易国家を樹立を成し遂げたが、それは"優越"民族文化を受け入れさせる動きでもあった。ところが、周にはそのような独自の民族文化を形成するだけの基盤はなかったと言うか、それを自ら崩す方向に歩んでしまったからだ。と言うのは、自らの言語を、文字化してしまい、文書管理社会化の道を歩んでしまったから。

一寸見には、統治機構の合理的運営のための動きに映るが、文字化によって言語そのものが規定されてしまったことを見逃してはまずい。中華帝国形成のために、自らピジョン交易語化させてしまったのである。語彙や文法はすべて単純簡略化させられ、伝統は消されて行く。例えば、情緒語は文字化できないから消滅するし、神話に基づく民族独自の概念も捨てざるを得なくなる。

そのような流れが定着してしまい、それが当たり前の風土が形成されているのに、倭を訪問して、古代王朝の儀式"亀卜"がママ生き続けているので愕然としたに違いない。

ただ、「古事記」では、"亀卜"ではなく"太占"と記載されている。国生みで失敗し天ッ神の命を要請する下り。
 爾 天~之命以"布斗麻邇"(太占)
 爾 ト相 而詔之
   因女先言而不良 亦還降改言


天石屋の話でも登場するが、"亀卜"ではなく鹿の肩甲骨に上溝桜の皮の火で焼く"鹿卜"であることがわかる。
 召 天兒屋命 布刀玉命
 而 内拔 天香山之眞男鹿之肩
 拔 而 取 天香山之 天之波波迦
(上溝桜)
 而 令占合麻迦那波・・・

"鹿卜"は東国の主流で陸棲獣の骨だが、亀が得にくい地域にまで北上した黒潮海人が代替として生んだ風習ではなかろうか。
右の九首は、武藏の国の歌[「万葉集」巻第十四六#3374]
 武藏野に 占へ肩焼き 真実にも
 告らぬ君が名 占に出にけり

海人の伝統としてはあくまでも正式には"亀卜"では。
  →「対馬・壱岐の古代信仰の残滓」[2009.3.26]
「万葉集」巻第十五#3694
 わたつみの 恐き道を 安けくも
 なく悩み来て 今だにも 凶なく行かむと
 壱岐の海人の 秀つ手の占へを
 肩焼きて 行かむとするに 夢のごと
 道の空路に 別れする君

「堀河院御時百首和歌」右近権少将源師時
 かなふやと 亀の正占(ますら)に 問はゞやな
   恋しき人を 夢に見つるを

「夫木和歌抄」
 思ひあまり 亀のうらへに こととへは
  いはぬもしるき 身のゆくへ哉

娘子が夫の君を恋ふる歌一首、また短歌[「万葉集」巻第十六#3811]
 さ丹づらふ 君が御言と 玉づさの 使も来ねば
 思ひ病む 吾が身ひとつそ ちはやぶる 神にもな負ほせ
 卜部座ませ 亀もな焼きそ 恋しくに 痛き吾が身そ
 いちしろく 身に染みとほり むら肝の 心砕けて
 死なむ命 にはかになりぬ 今更に 君か吾を呼ぶ
 たらちねの 母の御言か 百足らず 八十やその衢に
 夕占にも 卜にもそ問ふ 死ぬべき吾がゆゑ


もっとも、占いという点では、夕占、石占、辻占、等々色々あるから、目的毎に設定されていた可能性もあろう。

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