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2005.5.10
 
 


京の雛人形産業を考えてみた…

 どうして、この産業は衰退したのか、という話をしても、耳を傾ける人は少ない。

 特に、不調な業界と、その正反対の絶好調の業界の人達は、そんな話にはほとんど興味がないようだ。

 前者の方々にとっては、知りたいことは成長戦略であって、今更つまらぬことを考えるより、一生懸命働いた方がましと考えるのだろう。それに、実情を知らない部外者が、失礼なことを語るのだから、腹立たしい思いもあるだろう。気勢があがらない話など愉快といったところかもしれない。

 後者も極く普通の態度だと思う。現時点では、衰退の兆候はないのだから、暗い話に関心を示す人はいまい。

 但し、これは一般論である。

 実は、「輝いていた企業がどうして衰退したのか」を本気になって調べた日本企業がある。絶好調の優等生企業だ。
 本気で経営を追求すると、好調な時こそ、衰退の芽を摘む努力が一番大切との結論に繋がるのだろう。流石、優等生である。凡人にはできることではない。

 前置きはここまでにしよう。

 ここでの話題は、マネキン型ロボットである。
 話が跳んでしまい申し訳ない。

 テレビをつけて、たまたま出くわしたニュース番組がマネキン型ロボットだったのだが、違和感を覚えた。

 というのは、浦安のディズニーランドや大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに日本のマネキンメーカー製人形が納入された話は昔聞かされた覚えがあるからだ。そうした人形と、このロボットとどこが違うのかよくわからなかった。

 米国で、人らしい動きができる人形が使われたのは、確か、1980年代初頭だ。それ以後、利用場面の開発と、機能向上の努力が払われてきたから、質では驚くほどの性能のロボットだろう。しかし、それが大騒ぎするようなニュースとは思えなかったのである。

 但し、IT産業の観点から眺めれば、別である。マネキン企業ではなく、先端技術を保有するIT企業が協力しているからだ。もしも、プログラムの汎用性や拡張性が実現できるなら、このロボットがプラットフォーム化する可能性もあるからだ。
 従って、どの程度の機能が実現できるのか、プログラムし易さはどうか、等々、聞きたいことは山ほどある。又、事業コンセプトに興味をそそられる人もいるだろう。

 しかし、この番組は、一般向けの報道だ。単純に、マネキンの動きが凄い、というだけの話に聞こえた。

 それならそれでよいではないかと言われそうだ。

 その通りだが、実は、コメントがついたのである。日本のお家芸の、京都が誇る人形作りの伝統が生かされているという。
 そのコメントのために流されたニュースのようだ。

 おっと待てよ、である。本当かな。

 そう思ったのは、数年前の新聞記事を思い出したからだ。
 探してみた。記事の題名は、「造形 昔も今も最先端」(1)

 言うまでもなく、京人形とマネキンのことである。

 確かに、京人形は先端だった。しかし、その力がマネキンに繋がったという理屈はどこかおかしくないか。
 人形で先端を走り続け、その余力で新しい分野に入っていったとは言えまい。
 外部から見れば、細かな所にこだわり、新しい造形を嫌ったため、他地域の人形産業が優位に立ったように映るのだが。

 と言う事で、一寸、雛人形産業を眺めてみよう。

 江戸時代は、高級雛人形も、庶民用の土の人形も、京都製というのが当たり前だった。人形技術では圧倒的な力を持っていたのである。よその地方は、皆、競って京都の真似をしたのである。

 関東では、早速、京都から人を呼んで技法を取り入れていく。その結果、雛人形の本場は、生産の岩槻と、販売の浅草橋になってしまった。

 岩槻は埼玉で、関東の中で見れば、必ずしも江戸に近くて便利な立地とは思えない。おそらく、細分化した職人製作から、パーツ毎の分業生産体制に移行したことで、顧客への対応力を強化し、競争優位に立ったのだろう。地域としてのまとまりが産業を育てたということだ。
 今でも、いたるところに人形店があるため、散策を兼ねて、楽しめるようになっている。お陰で、岩槻に購入に訪れる人も多いらしい。(2)

 一方、浅草橋の方は、神田川の墨田川流入口にかかる柳橋のお隣の橋で、大市場江戸の便利な場所だ。大都会のニーズに応えるために、お店が互いに切磋琢磨したことが隆盛に繋がったと思われる。
 今でも、お店の宣伝チラシを見ると、密集状態だ。JRの駅東口を降りて左回りで歩けば、田辺、まるぎん、マルエ人形社、野村、三桜、長谷川商店、蔵前人形社、昇玉、一藤、久月、寿幸、秀月、原孝洲、吉徳。これだけ集まれば、集客力抜群だろう。

 京都の老舗は、一見さんを嫌うイメージがあるし、独自に設定した格式がありそうだから、敷居が高くて入りづらい。浅草橋にはそんな雰囲気は微塵もない。人形には、様々な考え方があるから、他の店も見て自分好みの商品に決めたら、という売り方なのだ。
 大阪の松屋町筋とも違う。こちらは、街に入ると、一瞬、お菓子屋街ではないかと勘違いしそうだ。気楽でよいのかもしれないが、雑多な商品を売る街という印象を与えてしまう。高価な人形を購入するのに適しているとは思えない。
 下町料理を楽しみながら、浅草橋の人形店巡りツアーという雰囲気作りが成功していると思う。

 こんな現況を見ていると、雛人形産業の主導権を岩槻や浅草橋に奪われたのは、京都が自らの体質を生かした展開を怠ったからではないかと思うのである。

 典型は雛の飾り方の議論。
 江戸と京都とは左右逆だ。理由はわからないが、江戸が何らかの理屈をつけたに違いない。そして、江戸風が主流になってしまった。
 新興勢力は、新しい価値を打ち出すに決まっている。
 これに対して、理由無しで「京都式が正しい。日本人が日本のことを知らなくなった」と反論してもたいした影響はない。端午の節句では武具は外に飾るのが正しいと語っているのと同じように聞こえるからだ。
 こんな主張をすれば、守旧派イメージが強まるだけだろう。

 重要なのは、伝統を守る「嬉しさ」である。京都は、この説明をしないことが多い。
 どう飾ろうとかまいませんが、こんな理由で京都は決まりを尊重しているのです、という解説はしないのである。

 そのため、東京から見れば、京都はしきたりを守るだけで、人形文化を愉しむ気がないように映るのである。

 例えば、横浜人形の家(3)には雛人形が飾られている。都会の人形好きの住人が雛人形に会える場が設定されているのである。
 言うまでもなく、これは地域の物産展示場ではないし、人形販売関係者の振興会館でもない。都会人の人形文化を体現した施設である。

 埼玉県には、人形研究家西澤笛畝氏の収集品展示館もある。(4)
 雛人形の変遷を知ることができる。

 もちろん、これだけではない。

 関東・東北には魅力的な場所で雛人形に出くわすことが多い。
 酒田に行けば、本間家の内裏雛が見れる。(5)
 小京都・角館の武家屋敷は時期になれば段飾りが並ふ。

 水戸で、一橋徳川家の所有品を見れば、そこにも人形がある。(6)

 京都ではそのような場所はどこにあるのだろうか。知る人ぞ知るの世界といえよう。一般人への情報発信をする気がないのだと思う。
 そのため、興味がある人は、京都国立博物館(7)に行くしかない。展示されていれば、間違いなく一級品を拝見できる。しかしそれだけのことである。
 雰囲気ある武家屋敷に並ぶ段飾りや、人形の楽しさを伝えようと考えた展示とは趣向が違う。

 京人形の製作者が頑張っている(8)のに、地域で動いているとは思えない。

 東京からこれがどう映るか。

 それぞれの家で決めたしきたりが個別に守られている土地柄と見なすことになる。私的なイベントを行うことはあっても、地域で文化を形成する気はないように見える。

 つまり、皆で愉しもうという、文化の香りを感じないのである。
 一言でいえば、失礼ながら、面白くないのだ。

 そんな風に見ている人は、岩槻や浅草橋に向かう。

続く>>> (2005年5月11日)

 --- 参照 ---
(1) http://osaka.yomiuri.co.jp/omoshiro/2002/020213.htm
(2) http://www.doll.or.jp/
(3) http://www.welcome.city.yokohama.jp/doll/4010.html
(4) 笛畝人形記念美術館 http://www.oningyo.com/momo/tekiho/tekiho.html
(5) http://www.homma-museum.or.jp/collection5.html
(6) http://www.ibaraki-rekishikan.com/ningyo/hina1.htm
(7) 人形の常設展示室はない. http://202.223.183.4/jp/tenji/index.html
  京都文化博物館もあるようだが. http://www.bunpaku.or.jp/about.html
  兵庫では「玩具」として展示されている。人形文化ではない. (“江戸から昭和のお雛様”)
  http://www.japan-toy-museum.org/
(8) http://www.kyo-ningyo.com/kyoningyo/index.html


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