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2005.5.11 |
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伏見の土人形産業を考えて見た…雛人形市場では、京都は岩槻や浅草橋に地位を奪われてしまった、という話をした。→ 「京の雛人形産業を考えて見た」 (2005年5月10日) しかし、京都の雛人形産業が衰退一途という訳ではない。京人形愛好者は存在しているからだ。 こうした違いがわかる人への御用達業者でも生きていける強固な顧客基盤があるようだ。 ただ、京都には、衰退してしまった人形産業もある。 伏見(深草)の土人形だ。 伏見は、日本の土人形発祥の地らしい。伏見が船便で栄えていたころは、一世風靡した人形だったのは間違いないようだ。紹介されている歌からみて、その人気はただものではない。 西行も 牛もお山も 何もかも 土に化けたる 伏見街道 一休 桃の日や 深草焼の かぐや姫 一茶 “間違いないようだ”などと失礼なことを書いてしまったが、それは、現時点ではほとんど存在感を感じない状況だからである。 それもしかたあるまい。 伝統を受け継ぐ製作者が消えていったからだ。 今は、実質的に「丹嘉竈元 大西重太郎商店」(1)が受け継いでいるようである。 人形を見ると、強調した造形を特徴としているようで、ユーモラスな表現を大切にしているように思える。題材は信仰・縁起ものが基調のようだ。その発展系として、風俗を交えたご教訓ものや、伝説や演芸話に係わるフィギュアがでてきたのだろう。 これらを見ていると、人形というより、郷土玩具である。 全国どこにでもある、民俗的素朴さの味わい深い土人形の元祖という訳だ。 マニアの話では、伏見人形は、仙台の堤人形、長崎の古賀人形と並ぶ3大土人形として人気が高いのだそうである。 ここだけ見れば、土製人形の伝統の灯をかろうじて消さずに頑張っているように思える。 しかし、よく考えれば、土製郷土玩具は衰退一途だが、土製人形が廃れた訳ではない。 誰でもが知る博多人形は今もって堅調である。 土人形の本家は消え去りかねないが、新興勢力の博多は頑張っているのである。 滑らかでおおらかな表情の人形の人気は続いているのだ。 どうしてなのだ、と誰でも思うだろう。 これに対する回答はすでにできあがっている。(2) 「時代にマッチした“売れる人形”への切替えをしなかった」からというのである。 「どれもがデフォルメされたふくよかな、こっけい味すら帯びた人形」で、ニーズの変化に対応しようとしなかったという。 「博多人形が学者の知恵まで借りて、俳優とか美人画を形どった“新時代”の人形を研究」したのと対照的だという訳だ。 わかり易い説明である。 これに、もう少し付け加えると本質が見えてくると思う。 この産業はギルド的な体質が濃厚なのだ。 例えば、「菱屋」製伏見人形の販売店が製造を始めようとしたが、技術は教えてもらえなかったという。(3) 技術で競争しているのなら、当然のことだろうが、素朴な感じがする素焼きの人形ビジネスの成功の鍵が焼成技術だとは思えない。 換言すれば、新興勢力を入れて、造形の面白さを競いあい、その楽しみを訴えて産業を活性化させるつもりはないのである。 京都では、雛人形も、土人形も、人々に楽しみを与える文化的商品に育てたくないようだ。 楽しめるようなものは、技巧をこらした一級品と呼べないと考えているのではないか。 逆だと思うのだが。 --- 参照 --- (1) http://www.tanka.co.jp/base.htm (2) 「伏見人形・土人形のふるさと」が引用している朝日新聞社刊「京都・伝統の手仕事」(1965年) http://www.h2.dion.ne.jp/~hushimi/sankou/sankou1.htm (3) http://www.e-sozai.com/fushimi/ningyou3.html 歴史から学ぶの目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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