↑ トップ頁へ |
2005.8.18 |
|
|
こまもの話…「小間物屋」は江戸の頃、それこそ一世風靡したと言えそうな位繁盛した業種だったらしい。しかし、どういう訳が、今ではほとんどこの言葉を聞かなくなった。「荒物屋」も消えてしまったから、当然かもしれないが、“こまもの”商品市場規模は、今でも相当大きい筈だから不思議な感じがする。 “こまもの”と言っても、もっぱら女性が使う身の回りの種々雑多な小型商品だ。女性が嬉しがるお洒落な商品を取り揃えた陳列箱を背負って戸別訪問販売をしていた行商人のことを「小間物屋」と呼んだようだ。お店はあっても、あくまでも行商がメインなのだ。 その辺りの事情は、「小間物屋政談」という落語を聞くとわかる。(1) お話で登場する、芝露月町の小間物屋「若狭屋」は江戸の代表的お店だったらしい。なにせ、大岡裁きの結果、資産三万両の主人におさまったというから凄い。 対抗馬は、今でも本郷三丁目交差点角に表示がでている「かねやす」だろうか。“本郷も かねやす までは江戸のうち”で有名な店である。 戯作者、式亭三馬が本町二丁目(中央区(2))で薬種小間物店を営んでいたことを見ても、こうした店が流行の発信地であったのは間違いあるまい。今で言えば、スタイリストやメイクアップアーティストの役割も担っていたと言えそうだ。 小間物屋が現れたのと同じ頃に、女髪結いも登場したらしい。女性の消費が作り出した産業だった訳だ。 言うまでもなく、“こまもの”は細々した商品群ということだが、小さなスペースで商売する「小間」や、高貴な輸入品のイメージ「高麗」といった意味も含まれていたのだろう。 よく考えると、小間物屋という言葉は消えたが、同じ業態は結構続いている。流石に訪販は無いようだが、装粧品・手拭、袋物・巾着、箸といった昔からの商品群にこだわらず、細々と様々なアイテムを揃えた、お洒落な雑貨屋が至るところに見られる。 とはいえ、来客数は多くても、販売好調とまではいえそうにない店も多いし、単価から見て事業が成り立つようにも思えない店もある。店は多いが、繁盛している業態と見なせる状況にはなさそうである。おそらく、一部の人気店だけが好調なのだろう。 但し、もともとの小間物屋は薬種もかねていたから、この視点で見ると又違う世界が見えてくる。 駅前のドラッグストアーが現代の小間物屋と見なすこともできるかもしれない。店は広いから、小間とは言い難いが、そこには驚くべき種類の化粧品・トイレタリーグッヅが所狭しと、それこそ“細々と”並んでいるからだ。 繁華街の店では、女性で大混雑である。まさに流行の発信地と化している。 もっとも、“こまもの”を愛すのは、女性に限ったことではない。男性客中心の、筆記具・小刀、喫煙具、狩猟用具の商売も繁盛していたようである。こちらは、実用性を失って廃れたようだが、コレクターの対象アイテムとしては残っている。 なかでも、芸術品のレベルにまで高めた「根付」などは、愛好者が多いらしい。 しかし、現代の真性“こまもの”と言えば、「携帯ストラップ」ではなかろうか。 若い女性のケータイを見ると、様々なストラップが付いている。ケータイ本体よりストラップの方が目立つものが多い。販売サイトを見ると、とんでもない数の商品が並んでいる。(3)およそ8,000ものアイテム。 情報システムで管理できるようになったから可能なのだろうが、商品管理費用だけでもただならない。 日本の消費者の要求に応えるためには、ここまでしなければならない訳である。 “こまもの”思想は日本の伝統なのかもしれない。 ・・・と強く感じたのは、清水寺のお守りを見たからである。 → 「清水寺から学ぶ 」 (2005年6月16日) しかし、京都では、こんなことは清水寺に限らないそうだ。極く当たり前らしい。 確かに、カラフルで可愛いデザインの、とてつもない数のお守りを写真で眺めると納得せざるを得ない。思わず、感嘆の声をあげざるを得ないものも多い。(4) ここまでやるのか。 これこそが日本の原動力だろう。 --- 参照 --- (1) 落語のあらすじ http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/07/post_ad78.html (2) http://www.chuo-kanko.or.jp/knowledge/history/history_06.html (3) http://strapya.com/ (4) 光村推古書院編集部編「京都 お守り手帖」2005年1月 http://www.mitsumura-suiko.co.jp/newbooks/ISBN4-8381-0345-X.html 歴史から学ぶの目次へ>>> トップ頁へ>>> |
|
(C) 1999-2005 RandDManagement.com |