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観光業を考える 2005年6月16日
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清水寺から学ぶ…

 東京では、江戸時代から庶民信仰は浅草の観音様と言われてきた。現在でも、下町風情が残っているということで、浅草は観光地である。そして、下町サポータも多い。
 林家正蔵襲名披露では、上野から浅草までの7Kmを5時間かけたお練りには見物人が14万5000人も集まったという。(1)

 イベントの集客力は凄い。
 5月の三社祭、7月のほおずき市(四万六千日)や隅田川花火大会、8月のサンバカーニバル(2)はいずれも黒山の人だかりになる。
 言うまでもないが、浅草寺への参拝者の数も膨大だと思う。

 ここだけ見れば観光地として隆盛を誇っているように見えるが、長期的にはこの街の人気は下降基調ではないだろうか。

 浅草に下町風情を感じると言う人もいるが、仲見世の土産物屋を眺めて歩くだけでは、地元の人以外にはピンとこないからではないかと思う。

 ところが、同じように土産物屋が並ぶ京都の清水寺界隈は隆盛をほこっているように見える。(3)
 多くの門前街が鄙びた感じで元気がないのに、ここだけは逆である。何が違うのだろうか。

 清水寺は、開祖778年の歴史を誇る、観音信仰の中心地だ。(4)
 しかも、国宝の本堂は清水の舞台と呼ばれる素晴らしい建築物だ。京都を眺めることができる絶景だ。
 これだけでも人々は集まるだろうが、それが街の繁栄に繋がるとは限らない。
 といって、残念ながら、他の地域との違いはよくわからない。

 ただ、この地域は、庶民信仰を核にしている点が目立つ。よくある名所拝観地とは違う。
 簡単に言えば、ご祈願者達に応える街という優しさを感じるのである。
 これはこの地域の特徴なのかもしれない。

 清水寺における信仰の対象は、拝めば、それだけでもご利益があると言われ続けてきたご本尊の十一面千手観音である。西国三十三所めぐりの第16番礼所だ。
 由緒あるお寺だが、決して難しい思想を流布したり、参拝の仕方などで無理強いをすることはない。庶民の考えに対しては、極めて寛容である。同時に、地域の生活を考えながら宗教活動をしてきたようだ。

 「枕草子」にも、“さわがしきもの、・・・十八日に、清水に籠りあひたる。”(5)とある。庶民が喜んで集まる縁日が、ことの他、騒がしかったことがわかる。
 この伝統は今も引き継がれている。今も道は雑踏である。
 眺めるだけでも楽しい店や、甘味のお店がそこらじゅうにある。店が並んだところで楽しくなければ話にならない。ここは記念品や名物だけを売るだけの土産物屋だけが並ぶ街ではない。この街の伝統とは売るものではなく、売る姿勢の方だと思う。

 京都イメージをウリにして成功していると語る人がいるが、そうではなく、訪問者が求めている楽しさに応えているだけの話だと思う。
 ここ清水寺の庶民信仰には、ご祈願のあとの楽しみも含まれているのだ。

 この文化は、清水寺の姿勢から来たのではないだろうか。

 このお寺は極めて寛容なのである。他のお寺はなかなかできないと思う。

 観音信仰であるから、真言宗や天台宗の寺とみなしがちだが、法相宗である。奈良の興福寺に対応する京都のお寺である。正統派だ。
 ところが、本堂から先のお堂に、他の宗派が同居しているように見える。
  ・天台宗ご本尊の釈迦三尊像(釈迦堂)
  ・浄土宗開祖の法然上人像(阿弥陀堂)
  ・真言宗開祖の弘法大師像(奥の院)
 さらに三重塔の内陣中央には大日如来坐像、壁側に真言八祖像が祀られている。密教寺院の形態だ。

 このお寺は、観音霊場だが、それを押し付けたりしないのである。

 おそらく、余程の問題がない限り、新しい動きを容認してきたのだと思う。それを皆感じとっている。
 千体余りの地蔵石仏(成就院参道途中の右手)がその好例だ。明治の廃仏毀釈の際に持ち込まれたものだという。権力の仰せに従い、お地蔵さんを捨てざるを得なくなった時、皆、思いつくのは清水さんだったのである。
 この寛容さが、庶民信仰を支えてきたに違いない。

 今でもその伝統は引き継がれている。本堂の裏では、縁むすびの神 地主神社が繁栄している。もちろん、奈良との関係で、春日大明神を祀る鎮守堂も境内の中心に居を構えている。
 そして、庶民信仰の象徴“お守り”を見ればさらにはっきりする。清水寺のお守りは、祈願に応えるべく、対象は極めて広い。しかもデザインもお洒落なものが多い。
  ・汎用(清水寺、諸尊)
  ・ライフステージ毎(育児、学業、出世、縁結び、開運、長寿)
  ・健康と安全(厄除、交通安全、健康、頭痛)

 何を求めて来訪するのかを考えれば、当然の対応だが、正直言えば、ここまでやるのか感がある。
 しかし、この徹底精神こそが庶民をひきつける魅力の素だろう。
 そして、お寺さんが頑張っているのだから、街はそれ以上に頑張ることになる。

 --- 参照 ---
(1) http://www.sanspo.com/geino/top/gt200503/gt2005031401.html
(2) http://www.asakusa-kankou.com/gyouji/sanba/
(3) http://web.kyoto-inet.or.jp/people/akio53/sanpomiti2.htm
(4) http://www.kiyomizudera.or.jp/engi-nenpyou.html
(5) さわがしきもの 走り火。板屋の上にて烏の齋の産飯食ふ。十八日に、清水に籠りあひたる。
  くらうなりて、まだ火もともさぬほどに、外々より人の來集りたる。まして遠き所、他國などより家の主ののぼりたる、いと騒がし。
  近き程に火出で來ぬといふ、されど燃えは附かざりける。
  物見はてて車のかへり騒ぐほど。[日本古典文学大系「枕草子」 岩波書店 1957年]


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