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2006.1.12
 
 


焼き物の町おこしを考える [3]…

 陶芸型町おこしを作陶という観点で一寸考えてみた。
  → 「焼き物の町おこしを考える[2]」

 しかし、そもそも、地場産業振興という発想で、「陶芸」拠点構想を進めること自体に無理があるのではないだろうか。

 忘れてならないのは、陶器の魅力の根源である。
 文化の香りがするから、人々は陶器から離れがたいのだと思う。

 このことは、文化の香りを感じさせる作品を提供できるかにかかっているとも言える。

 伝統工芸を受け継ぐ陶芸家、古い窯の再興等で伝統技巧を復活させた陶芸家、新進気鋭の陶芸家、等々、宣伝はいくらでもできる。だが、本当に文化の香りを感じさせる陶芸家、あるいは工芸家がいるかが問題なのである。
 たとえ1人でも、素晴らしい作品を作る人がいれば、人は集まってくるものだ。

 従って、「陶芸」拠点を作る気なら、魅力的な“人”を生み出す仕組みを作る必要があろう。
 少なくとも、秀でた作品を厳格に評価する場は不可欠である。
 そして、以下の場を作るべきだろう。
  ・専門家同士の交流やアイデアを交換し合う場
  ・ライバルとしての切磋琢磨を図る場

 一見すると、行政の情報交流に似ているが、全く違う。行政型の問題は“切磋琢磨”を避け、一般の人でもわかるような教える場を作ることに力を注ぐ点である。
 もし、このような場を欠けば、早晩見捨てられる。
 (伝統芸は世襲性の場合も多いから、このような仕組み不要の領域も多いようだが。)
 ギャラリーをいくら開設したところで、評価がイマイチな展示しかできなければ、早晩すたれる。秀逸なデザインや、素晴らしい美術品を選び出す仕組みが重要なのである。

 この仕組みが機能すれば、ギャラリーでの鑑賞の喜びを与えることができるようになる。

 別に難しいことではない。一番手っ取り早いのは、展覧会の開催である。ここでの評価で、作品の優劣を決めることもできる。

 しかし、展覧会を開催するなら、地元でなく、目の肥えた人を集めることができる都会で行うのが原則である。
 ここで高い評価を得るための活動こどが成功の鍵だ。
 つまり、東京でのイベントを、「ふるさと」にどう結びつけるかを考え抜くことが重要なのである

 ところが、行政主導だと、この企画が難しい。

 と言うのは、どうしても「地域振興」を表看板にせざるを得ないからである。

 そのため、展覧会では、地場陶器産業の素晴らしさを訴求することになる。作者の素晴らしさでなく、漠然とした地域を売り込もうとするのだから、鑑賞する側とは感覚が合わないのである。
 企画者は高揚しているから、違和感を感じないようだが、展示はピント外れになりがちである。  それこそ、見に来る側は衰退しつつある産業と思っているのだ。これに対して、素晴らしい産業と語ったところで、説得性ゼロである。素晴らしい作品を見せることに注力しようとしない限り、魅力度は上がらない。

 つまり、展覧会で打ち出すべきは、伝統そのものでないのである。
 ウリはあくまでも、作家の個性である。伝統を受け継いでいることが重要なのではなく、作家の独自の世界の価値を伝えることを優先すべきである。
 この独自世界高く評価された時に、その裏に隠れている伝統の素晴らしさが伝わるのである。


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