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2006.1.11
 
 


焼き物の町おこしを考える [2]…

 よく見かける焼き物の町おこし運動をつい批判してしまったが、陶芸型町おこしを、作陶という観点で考えてみよう。
  → 「焼き物の町おこしを考える[1]」

 都会住人なら、陶芸を習うのに、わざわざ地方に行く必要などない。
 陶芸教室は、カルチャーセンターの宣伝に必ず登場するし、地域活動のパンフレットにも参加案内が載っていることが多い。人気教室の噂を聞くことも多い。
 その気になれば、すぐに始めることが可能なのである。

 さらに、都会には、一般宣伝パンフレットには登場しない陶芸クラブもある。

 実際、マンションの6階で手ひねり茶碗を作ったことがある。
 繁華街に近いが、閑静な住宅用マンション街に窯があるのだ。教えてもらわない限り、陶芸教室があるとはとても気付かない場所である。
 工作場は、5〜6人の生徒で満杯になるから、決して広くはないが、大型電気炉が設置されており、必要なものはすべて揃っている。気鋭の陶芸家のご指導付きである。

 都会の住人にとっては、地方の「陶芸の里」より、地元の方が圧倒的に便利である。
 正直言って、わざわざ、出かける意味があるとは思えない。

 と言うことは、田舎での作陶は、一過性の「お出かけ」リクリエーションになりかねないのである。

 もちろん、そのような作陶遊び提供業もありうる。

 「レジャー白書」の余暇活動参加人口の陶芸分野をみると、それなりの数だからである。 [アンケート調査で、1年間に1回でも行った人の割合から推定した人口]

 しかし、こうしたサービスは、軽薄感はまぬがれまい。作陶の喜びを与えるというより、暇つぶしの一種との印象が強いからだ。
 長期的に見て、お勧めの観光振興策とは言い難い。

 それに、忘れてならないのは、窯が特殊なものではなくなったという点である。
 お蔭で、陶芸は難しいものではなくなった。多少の金銭的余裕があれば、作業場所を確保するだけで、誰でもすぐに始められる趣味なのだ。
 使い易い機器(電子窯と電動轆轤)と道具類が揃っているし、初心者が簡単に扱えるように調合された材料も提供されている。教えられた手順で行えば、それなりの作品はできあがる。

 こんな状況では、「陶芸の里」と銘打って施設を提供してくれても、たいした魅力は生まれまい。

 要するに、昔から陶器製造業者が集まっているとか、陶芸施設が提供できるといった点を訴求しても、集客には繋がらないのである。

続く→ 「焼き物の町おこしを考える[3]」


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