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2009.5.21
 
 


クスノキを眺めて…

 連休は伊豆に滞在した。雑踏は御免被りたい性格なので、緑が多そうな場所を歩いてみた。
 それでわかったのだが、街は結構な人出状態だが、神社の方は訪れる人はまばらなのである。昔の、山辺の道の神社のガランとした状況を思い出してしまった。
 まあ、広くて清潔感溢れ、交通至便で、周囲に飲食店がありそうな場所でないと流行らないということのようだ。おそらく、氏子は減る一方だろうし、寄付も期待できそうにないから、神社もなかなか大変だろう。

 まあ、それはそれとして、伊豆の神社について想い巡らすことができ面白かった。
 気になることがあったからである。

 それは、熱海駅から伊東線で1ッ目の来宮駅そばの来宮神社(1)で、ふと感じたことから始まった。

 この神社、忌宮という語呂合わせなのか、断酒神社だそうだが、どうも合点がいかぬ。どう考えても発祥は「木の宮」に映るからだ。そう思うのは、もともとのご神体が、拝殿裏の岩に生えている老大木の楠ではないかと考えられるから。

〜伊豆辺りで楠が知られている神社〜
[ご注意: 正確ではない.]
湯河原 五所神社
熱海 伊豆山神社、来宮神社
湯前神社 、下多賀神社
伊東 葛見神社
河津 来宮神社[杉鉾別命神社]
函南 天地神社
中伊豆 白山神社
韮山 荒木神社
西伊豆 土肥神社
南伊豆 三島神社
松崎 国柱命神社
 この楠だが、熱海で多い木のようだし、(2)伊豆一帯ではよく見かける。常緑樹だが、4月から5月初旬にかけて、葉が落ち、同時に次の葉が生えてくる。その上、黄色の花粉らしきものが飛ぶから目立つのである。

 常識的に考えれば、昔は至るところに大木が林立していたのだろうが、巨木は樟脳用に伐採され、伐採反対の長老がいる地区や神社に、一部が残っているということだろう。それに、成長が遅いし、長寿だから、“御神木”として扱われ易かったということもあろう。
 普通は“御神木”とは杉ではないか。(伊勢神宮の神宮杉が象徴的。有名なのは幣立神社の五百枝杉か。(3))もちろん杉以外もあるが、樹齢数百年の巨木か珍しい形の樹木というのが通り相場。ところが、楠は1,000年以上の超高齢なのである。別格。

 しかも、漢字の「楠」とは、“南の木”。どう見たところで、日本固有の木ではなく、純然たる南洋由来の木だ。(確か、樟脳生産地は台湾が有名だった。)それが、伊豆、紀伊、瀬戸内海、九州に分布しているのだから凄い。
(尚、楠は本来はタブノキで、樟が正式だそうである。(4))

 これを、伊豆で自生していると言う人もいるようだが、いくら温暖とはいえ、黒潮に乗って種が流れついて繁殖したとは思えまい。人が黒潮に乗ってやってきて、植林したに違いないのである。それも古代に。
 楠は、月桂樹同様に葉が独特の香りを持つし、材は耐水性で、大木だから船用には最高。古代から、特別な木だったのは間違いない。(日本書紀には登場する。古事記等を踏まえ、国の正史本として改定編纂したものだろうから、楠の話を付け加える必要性を感じたのだと思われる。古事記では、島作りの前段で登場する船の最初は葦船だが、次が鳥之石楠船神[天鳥船]。多分、楠。)
 そして、おそらく楠から作った伊豆国製の船は有名だったのである。
  防人の 堀江こぎ出る 伊豆手船 楫取る間なく 恋は繁けむ [万葉集二十巻4336 大伴宿禰家持]

 ・・・というようなことが頭にボッーと浮かんだのである。

 調べて見ると、海神を祀る住吉大社によれば、「江戸時代、人々は楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていました」(5)ということのようだし、明治神宮にも大正9年献木の夫婦楠が大事にされている。
 現代まで、連綿と続く楠信仰があるのは間違いなさそうだ。(6)

 ただ、残っている最大の楠は鹿児島のようだ。(7)現代では超巨大となるが、よく考えればそれほどのものでもない。古代は、この程度の木は至るところにあった筈。どうしても船が必要だから、木の霊の祟りを恐れはしたが、祈りながら、伐採を続けたのだと思う。
 なにせ、古事記の仁徳天皇の項では、朝日でできる影が淡路島におよぶ高い樹木があったとされている位である。“御神木”とならず、船と化した。高速艇とされ、名称は「枯野船」。
 生えていた場所は、大阪府高石市の等乃伎神社だという。(8)後付で創設された可能性もあるが、古代からの伝承と考える方が自然ではないか。

 この程度の情報では、バラバラとした感じがするが、熊野の神々の名称をみると、伊豆だけでなく、紀の国も、楠の「木の国」であったと見ることができよう。
  ・熊野久須毘命
  ・熊野樟日命
  ・熊野豫樟日命
 これを考えると、伊豆という地名も、おそらく、温泉が出るという意味でのイズではなかろう。古事記の海神の綿津見神・筒之男命と一緒に産まれる伊都能売辺りが出自と考えた方がしっくりくる。

 これだけ重要な木なら、北九州の古代国家も楠栽培に力を入れたに違いない。
 実際、その伝統らしき痕跡が残っている。
  ・香椎神宮/参道[勅使道]/立花山(9)(植林に熱心なようである。(10))
  ・太宰府天満宮: 天神の森(11)
  ・宇美八幡宮(12)

 これからも、楠を守っていきたいと感じた次第。
 とりあえず、先ずは、当たり前の話で〆ておこう。 →続く[来週]

 --- 参照 ---
(1) 「きのみや、伊豆の五十猛命」 神奈備 http://kamnavi.jp/it/izu/index.htm
  伊豆國霊社 熱海 来宮神社 http://www.kinomiya.or.jp/
(2) 熱海市伝統工芸品「楠細工」 http://www.city.atami.shizuoka.jp/icity/browser?
  ActionCode=content&ContentID=1179126007151&SiteID=0000000000000
(3) 「幣立神社の森」 http://www.kininaru-k.jp/bns/back_doc/12132007/roujyu.html
(4) 「クスノキ」 世界の樹木 http://www.wood.co.jp/wood/m157.htm
(5) 「楠くん[王君]社」 住吉大社 http://www.sumiyoshitaisha.net/place/massya.html#no02
(6) [読んだ訳ではないが, 参考になりそうな書籍] 佐藤洋一郎: 「クスノキと日本人」 八坂書房 2004年
(7) “日本の巨樹「蒲生のクス」を見守り続けて” 蒲生町
  http://www.town.kamou.kagoshima.jp/kamou/main-f/this-is-kamou/machi/kusu-frame.htm
(8) 「等乃伎神社」 神奈備 http://kamnavi.jp/ym/osaka/tonoki.htm
(9) 「立花山クスノキ原始林」 農林水産技術情報協会 http://ss.afftis.or.jp/monument/42.html
(10) http://www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/elkasiih/kusunonamiki.htm
(11) 「太宰府天満宮のクスノキ」 九州国立博物館 http://www.kyuhaku-db.jp/dazaifu/historic/66.html
(12) 「宇美八幡宮のクス」 九州国立博物館 http://www.kyuhaku-db.jp/dazaifu/historic/69.html
(楠の老木の写真) Photo by (C)Tomo.Yun “ゆんフリー写真素材集”[3309] >>>


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