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2009.6.4
 
 


銅鐸を考える…

 素人の視点で、銅鐸の話をしてみた。
  → 「銅鐸文化圏とは」 [2009年4月16日]
 視野を狭め、分析ばかり注力していると、マインドセットされていることに気付かなくなると言いたかったのだが、わかりにくかったかも。
 そこで、今度は、考古学者が作った、「銅鐸の絵を読み解く」という本を題材にして語ってみよう。

 タイトルでわかる通り、一般読者を対象としている本らしい。
 何故、そんな本を取上げるかといえば、考古学だけでなく、“歴史学、民俗学、神話学、民族学、動物学、昆虫学、美術、美術史、児童心理学等々、多くの分野に視野を広げ”、“総合の学”として考えるという主張の編者がまとめたものだから。
 しかも、“学問を推進するのは、観察・認識・知識だけでは”なく、“想像力の大切”さも指摘しており、共感を覚えた。
 しかし、それだから、お話したくなったのではない。

 異分野の話が掲載されているのに、視野が広がっている感じがしなかったから。

 と言うことで、小生が気になった部分を3つあげておくことにしたい。

 一番面白いと思った話からいこうか。
 それは、池田理代子氏(劇画家・作家)の指摘。素人には常識的な話。・・・“今の価値でいえば数千万円するそうですね。それだけのものに絵を付ける役目を任された人といえば、いって見れば人間国宝でしょうか。”

 しかし、考古学者には、この常識は全く通用しない。絵の描き手は、間違えたり、いい加減に書いたり、適当に省略したりしたりする。しかも、利き手の違いや、書き手の意志が絵に反映するというのだ。
 部族が財産をなげうって作る貴重なものに、一個人が好き勝手に絵を描いていると考えるのだ。素人にはとてもついていけない説である。
 もし、下手な絵に見えたとしたら、それは神がかり状態のシャーマンが一気に描いたと見るべきだろう。

 二つ目は、素人論批判の空しさ。

 「銅鐸の絵は絵文字でない」というコラムが掲載されている。内容は、素人から見ても、当たり前。例えば、小孔は「石」で、文様が「川」だから、「石川」という文字に当たるという絵文字説は間違いというだけの話。もともと絵文字の文化的素養は日本には無い。文字は全面的な輸入品で、それを改良したもの。
 絵文字説をまともに取上げる必要などない。

 しかし、絵文字論が指摘している点に応える必要がある。極めて本質的な問題だからだ。
 絵文字論は、小孔を悪戯で穴をあけたとか、鋳込みの失敗と見なすのではなく、すべてがなんらかの意味で繋がっていると考える点が特徴である。残念ながら、これに対してはなにも答えていない。

 絵文字論の内容を知らないからなんとも言えないが、文様や絵が、銅鐸所有者の象徴との主張なら、おかしなものではなかろう。それこそ、家紋の原点かも知れないからだ。
 魏志倭人伝で倭人は刺青だらけとされているが、部族毎に描き方に微妙な違いがあった筈である。銅鐸の絵模様も同じようなものと、いうのは一理ある。

 さあ、三つ目。
 再度、池田理代子氏の話。銅鐸の音色は“たいへん風雅”だというのである。素人が読めば、楽器としての用途を検討したら如何という提言に読める。
 コレ、極めて自然な見方だと思う。
 ともかく、銅鐸は、音を出す用具なのだから。
 土笛等、他の楽器と一緒に奏でてもおかしくないのだ。登呂遺跡から、琴も出土しているのだから、合奏の可能性もあるというのは正論。宗教権力者と一線を画した、演奏会が開かれたのかも。
 日本人は“虫の音を愛で”るくらいで、音の感覚が独特だという指摘も、なかなかのセンス。これは、銅鐸の絵が様々な音源を示しているとの示唆でもある。

 万葉人が鹿の鳴き声に感傷を覚えた話は有名だし、現代でも、蛙の声が好きな人は少なくない。トンボが群れとぶ羽音で、昔の野原を偲ぶ人もいよう。東南アジアに住んでいた人なら、ヤモリの可愛い声が忘れられまい。そういえば、リゾートの茅葺小屋に泊まれば、建物に当たる風の音も、気になるもの。それで天候変化も読めるからでもあるが。
 だいたいスッポンなど、名前が音そのもの。スッポン飛び込む水の音だ。普段は静かな魚も、群れると、水面からジャンプだ。カマキリにしても、小さい時に籠で飼ったことがあるなら、ガサゴソ不思議な音を出すことを知っていよう。
 臼と杵を使った脱穀に至っては、軽やかなリズムで、こうなると、まさに楽しき音となる。もっとも、猪の大群を知る人はいないから、現代には、その大きな声を知る人はいないかも。
 そうなれば、嘴が突き出た鳥は決まったようなもの。鶴の一声。そして、渓流の水飛沫の音、小川から耕作地へとザブザブ入る心地よき音、海の波音。
 I型道具を持つ人にしても、織物が完成し、機織道具を鳴らして大喜びの図かも。

 だいたい日本ほど音を満ち溢れさせる国はないのでは。古典的観光地ではご当地ソングなのか、歌謡曲がラウドスピーカーからこれでもかと流れる。街でも、売り声だけでなく、店内には宣伝音楽。パチンコ屋の騒々しい音楽は道に溢れかえり、レストランにはバックグラウンドミュージック。最近は、電車の発車のお知らせも音楽だ。家にいても、緊急警告放送の点検を兼ねた音が必ず入ってくる。
 日本人にとっては、音無しでは、何もする気がしないのではないかと思うほど。それは古代からの習慣。
 ・・・まあ、無理矢理、こんな考えかたもできるという見本。言うまでもないが、トンデモ論である。

 どうしてこんな話をするかといえば、専門家が、銅鐸が農耕儀式用であるとのドグマにしがみついているから。“動物の絵が多いのになぜ農耕儀礼の祭器か、という質問は今でもよく受けます”と言いながら、その答えといえば、“狩猟儀礼と関係して、後に農耕儀礼と結びついた”というのだ。素人からすれば、答えになっていない。
 鹿は農耕の神ともいえる例を取り出してもなんの意味もない。鹿が描かれた壺があるくらいで、特段の信仰を示すものとは思えまい。それなら、カマキリは何なの。

 素人の主張は単純明快である。
 銅鐸は、所有している部族にとって特別なものだから、描かれているものはすべて意味付けがあり、一つの思想で統一されていると見ているにすぎない。おかしな箇所を失敗作とか、技術的に稚拙と解釈することは止め、素直に読むべしというだけのこと。要するに、この絵全体にどんな意味があるのか問うているのだ。

 前回は、農耕儀式用以外の用途例として、神無月詣での船用「お印」を考えてみた。
 この程度のものなら、いくらでも考えつくという見本。

 おそらく、有能なビジネスマンに考えさせたら、違うものを想定したろう。「お印」だけなら、費用対効果から考えて魅力的とは考えられないからだ。

 とてつもない費用がかかるにもかわらず、権力者の墓に入らない点に注目すれば、答えは自明かも。・・・「誓約」時に使用する鳴り物。
 古事記には、天照大神と須佐之男命の誓約が記載されている。様々な氏族が入り乱れて互いに対立している時代だ。「誓約」は、緊張関係を緩ませる方策として多用された可能性は高い。しかし、日本には文字など無かったし、奴国の金印など例外的だろうから、調印式は難しかろう。と言って、まさか握手や血判板でもなかろう。
 そうなると、「誓約」儀式は、銅鐸鳴動だったかも。銅鐸なき時代は、貝を叩いていたと見る訳だ。そして、契約書の一般化で廃れたということ。
 もしそうなら、絵は寓話か、部族を説明するものということになろう。
 くどいが、現代人には、子供が描いた絵に見えるが、人間国宝クラスの最高の知識人が、頭のなかで練りに練った図案をもとにして、何らかの目的で緻密に描いたものなのである。

 --- 参照 ---
(テキスト) 国立歴史民俗博物館[編]: 「歴博フォーラム 銅鐸の絵を読み解く」 小学館 1997年
(荒神谷遺跡:発掘現場の写真) (C) 「松江周辺の観光地壁紙集・U」   http://matsue.art.coocan.jp/index.html


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