表紙 目次 | 2015.1.27 「Je suis Charlie運動」の見方"Marche Républicaine"を巡って、様々な意見が飛び交った。全体で見ると、こういうところか。・・・ 欧州は「表現の自由」を錦の御旗に団結。 "France’s powerful message to itself and to the world The display of calm unity in Paris must guide the response to terror" January 11, 2015 7:15 pm FT イスラム圏は「預言者への侮蔑許すまじ」と反撥。 "When nuance is hard to hear Many condemnations; some caveats" Jan 17th 2015 The Economist それは当然のこと。反冒涜法が存在して当たり前と考える社会であるし、反背教法を厳格に適応する国さえあるのだから。 欧州のイスラムも、「表現の自由」には、いい加減にして欲しいというところかも。 "イスラム教徒として言おう。「言論の自由」原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ"との本音も漏れてくる位だ。 "As a Muslim, I'm Fed Up With the Hypocrisy of the Free Speech Fundamentalists" by Mehdi Hasan[Political director of The Huffington Post UK](上記は邦訳版) そんな状況ということで、米国では、この団結ムードに乗りたくないという意見も。 "I Am Not Charlie Hebdo" by David Brooks JAN. 8, 2015 NYT テロ後特別号表紙の風刺画も、NYTは非掲載だったようである。 しかし、WSJは掲載。そして、オバマ大統領の方針は、イスラム国打倒連合からの戦線離脱か、との強烈な主張。 "French Disconnection What the Paris no-show says about the Obama Administration." JAN. 12 2015 そうなれば、民主党系とはいえ、WPも黙ってはいられまい。---"PRESIDENT OBAMA'S neglect of the anti-terrorism march in Paris seemed reflective of a broader loss of momentum by his administration in combating Islamic jihadism." "The U.S. fight against jihadism has lost its momentum" By Editorial Board January 15 日本の新聞は、読売/朝日/毎日は風刺画非掲載で、日経/産経/東京は掲載である。米国の状況と似ていると考えない方がよい。被疑者報道を見ればわかるように、人権など考えるような人達ではないからだ。 日経は当然だが、産経新聞と東京新聞というかなり性格が反する新聞が揃って掲載したところを見ると、どのような諷刺か、全く知らないのは拙いと見るジャーナリストが存在していることがわかる。・・・判断材料を提供せねばと考えるジャーナリスムと、検閲して自分達の思想に合った情報だけ流すマスコミ族との違いは大きい。 ・・・といった状況だが、ここから何を読み取るか。 およしになった方がよいと思うのは「表現の自由」のあり方議論である。先も見えず、カルト的な自由論になりかねず、不毛だからである。 小生は、"Marche Républicaine"を、世界のブロック化開始宣言と見た。言ってみれば、欧州は世界に対して文化の戦いを仕掛けた訳である。 それこそが、「Je suis Charlie運動」の本質では。 欧州の知識階級は、ルネサンスの精神、宗教改革、啓蒙思想、の次の時代を切り拓こうと意志一致したということでもあろう。必ずしも自覚しているとは限らぬが。 つまり、この運動は、イスラム圏や米国には広がりようがない。敵対的だからである。 もちろん、ロシアや印度も除外されるし、中国や日本に至ってははなから視野外。 何を言っているかおわかりだろうか。 「反テロ」とは、欧州内での欧州住民による行為許すまじということ。 そして、なによりも重要な点は、宗教嘲笑を大衆の力で認めさせた点である。それが「Je suis Charlie」。人種や宗教が入り混じった「世俗」地域になるとの宣言と言ってよかろう。 → 「乱」の時代が始まる[2015.1.18] つまり、米国と欧州は違う道を歩み始めたことになる。 欧州における多様性とは、世俗化である。欧州のイスラム教徒は、宗教的風習を残してはいるものの、食べたいなら豚肉を食べていようが、誰も気にしないという世界が来るということ。 信仰施設での集まりが、地域コミュニティの核にはならない社会へ向かって進むことになろう。欧州はついに、宗教としてのキリスト教圏ではなくなり、欧州の歴史を踏まえた倫理感・道徳観をベースとした一大ブロックを築きあげることになる。その一大決意が大行進にほかなるまい。そんな雰囲気のなかで、オバマ大統領が違和感を覚えるのは当然のこと。 従って、米国の多様性とは相反する方向に進むことになる。 米国の場合、人種や宗教の「坩堝」とされるが、これは言葉の綾。確かに、国家への帰属意識は強いが、決して融合している訳ではない。その内実はバラバラな社会。換言すると、それぞれ強固なアイデンティテイを持ったコミュニティが、バラバラと存在するということ。従って、他宗教の嘲笑は、反社会的な行動になりかねない危険な行為となる。 欧州と米国は違う道を歩むしかない。 普通選挙を行う政治体制下での人種・宗教の多様化では、この2つのモデルに加え、インドがあげられよう。しかし、ついにヒンドゥー原理主義政権が登場してしまった。どうなるかは未知数である。 欧州にとって、「Je suis Charlie運動」が重要なのは、EUが一枚岩になれるか否かを左右しかねないからでもあろう。 世俗国家化していたトルコを影響下に置きたいこともあるし、(現実には独裁的宗教国家化しつつある。)ウクライナを巡るロシアとの戦いがあるからでもある。 そう考えれば、ウクライナ問題がこの運動の結節点でもあることがわかる。常識的に言えば、ルーマニア/ブルガリアやベラルーシ/モルドゥバ/ウクライナはロシア圏である。それはソ連圏という意味ではなく、ビザンチン文化の伝統を引き継ぐ東方正教会圏という観点で。 それは、この地域圏が宗教的に強固か否かという話ではなく、ルネサンスの精神、宗教改革、啓蒙思想とは無縁ということ。 従って、欧州文化という観点では、せいぜいが、カソリック主体のトランスシルヴェニアどまり。ウクライナなら、東部や黒海沿岸部を嫌う西部だけが、どうやら共通の土台があるかも知れぬという程度。 つまり、本来的には向かない地域をもEU圏に取り込んでしまった訳である。 ここまでくると、「Je suis Charlie運動」で対応する以外に手はなかろう。 ちなみにイスラム圏をどう見ているかだが、ほとんど自明。なんの一体感もなく、思想的拠点も無く、ただただ覇権争いに明け暮れるだけの地域。内部で勝手にすればということ。 ただ、欧州に害を及ぼすなら放置しないゾというにすぎまい。「Je suis Charlie運動」に参加する、ほんの一部だけが仲間。 つまり、イスラム圏とは、「圏」の態をなしていないから、適当に、「利」でお付き合いするだけ。世俗化一途の域内イスラム住民への対処とは一線を画す訳である。 歴史から学ぶの目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |