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2009.8.6
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孤島国根性…

〜 始めに 〜
 衆議院選挙開始を控え騒がしい。
 マニフェストが出揃ったので、巡って色々な意見が飛び交っているようだ。そのなかで、ひときは目立つのが、「合理的」で「理性的」な主張。
 真面目な発言なので、けちをつけたくはないのだが、どうも今一歩な感じがする。

 間違ってはこまるが、十年一日の如く教科書的なことを言い続けている人達を指しているのではない。ビジネスマンのセンスで語る人達のこと。
 従って、事態は深刻。

 日本に限らず、大きな政治的判断が必要とされる時、人々が「理性的」に考えることは稀。感情に流されるのが常。
 「合理的」な話は、耳には入るまい。
 そんな状況で、マニフェストを丹念に比較検討したり、どの程度現実性がある内容か評価することに注力していてよいのだろうか。ましてや、マニフェストの争点自体がズレているというような指摘をして、どんな意味があるのだろう。

 だが、そんなことはわかっていても、どうしたらよいかわからないから、声を大にして、「合理的」で「理性的」な主張を続けているのかも。

 しかし、企業の風土改革でもわかるように、正論を皆がわかっていても、動けないのが普通。変えるべき点を指摘するだけでは、何の変化もおきないことが多い。それなら手を入れようということで、下手に組織をいじると、事態が悪化したりする。
 ご存知だと思うが、風土改革には手をつけるポイントがある。これは簡単には見つからない。なぜかといえば、最初のとっかかりは、「合理的」な施策と思えないものになることが多いからだ。緊迫感ゼロの凡庸な方針に映ることもあるし、トンデモ論と言われることさえある。
 このことは、五十歩百歩のマニフェストを表層的に分析したところで、たいした意味が無いということでもある。

 重要なのは、マニフェストの記載内容の評価ではなく、まとめ上げたプロセスと当事者評価の方ではないのか。人真似ではなく、当事者が頭を使って組織的に纏めあげたものと言えるのか。どのようにして課題を認識したのか。そして、解決の決意を共有できたのか。そんなことが肝心だと思う。

 これを踏まえて、「合理的」で「理性的」な主張をして欲しいものだ。

 そんなことが気になるのは、最近「ガラパゴス化」という言葉が流行っているから。
 思うに、日本の文化そのものが、もともとガラパゴス的なもの。ここを理解しないと、改革など口先だけに終わるのでは。
 と言っても、なにがなんだかわからないだろうから、例で解説しておこう。

〜 米の輸入話は、開明的な層ほど嫌がる。 〜
 頑迷な層が、米の輸入阻止を続けてきたというのが、ビジネスマンが時々語る「建前的」見方。
 裏を返せば、革新的な層は、米の輸入に賛成している筈という意見だ。しかし、これは思い違いでは。
 農水産物は輸入品だらけにもかかわらず、既得権益者と一緒になって、海外産米は危険などというトンデモ論にのることさえ厭わない位の反対論者は少なくないからだ。どうも、水田風景を守りたいという心情からの動きのようであり、理屈はあとで適当につけたようなもの。
 当然ながら、論理で説得するのは無理筋。

 そのあたりの事情を海外で説明しようと試みる人もいるが、これは最悪。欧米の知識人はそんなことは昔からご存知。だからこそ、欧米に実利が伴わなくても、米の輸入障壁を真っ先に槍玉にあげてきた。それにわざわざ乗れば、罠にはまるようなもの。言うまでもないが、日本を悪玉にしたてる作戦だ。実に、秀逸。

 海外の人達が、日本人の精神構造から、どう動くか的確に予見しているのが面白い。日本人は自分達のことがよくわかっていないのかも。
 ただ、そうなる理由もわからないではない。皇室の最重要祭祀が稲作に関係しているので、米信仰を語ると、国粋主義者と見なされかねないと恐れているのである。冷静に社会を見回せば、米を特別視する感覚が、多くの人の精神の古層に残っていることに気付く筈である。

〜 道州制への抵抗は、根深いものがある。 〜
 中央主権から地方分権へという言葉が一人歩きし始めている。地方に予算権限を渡すことが問題解決の第一歩と語る人まで登場しており、大騒ぎだ。その中心が、橋下大阪府知事の言動。
 水道事業統合と関西州実現に向け動いているそうだ。知事が考える通り、最大の問題はココにある。しかし、多分、改革は難しい。

 自治体間の覇権争いは歴史的なもので、合理的に問題解決ができたためしは無いからだ。特に、水道事業の場合、歴史的に保有者が決まっている水利権がからむ。これに手をつけたりすると収拾がつかなくなること必定。
 関西州もどんなものか。だいたい、関空、伊丹、神戸と3つも飛行場を作るような地域だ。夢のまた夢では。
 地方分権化とは、関西地区の水道事業や飛行場建設施策のようなバラバラの動きが、全国津々浦々で強化されることでもある。

 従って、どうして各自治体が排他的に動くのかを考えず、声高に道州制を語るのはどうかと思う。この問題は根が深く、冷静に進めないと頓挫しかねないのでは。
 小生は、経済のグローバル化で民族意識が高揚し、騒動が勃発するのと同根と見ている。

 ご存知のように、各自治体は競って中央から予算を漁ってきた。これは、自分から全国一律化を招いているようなものだ。食べるためには必要ではあるが、地方のアイデンティティ喪失が進む。複雑な歴史をかかえてきた地域が、こんな動きが嬉しい筈が無かろう。その結果、排他的感情の発露となるのは自然な流れ。
 江戸時代の「藩」感覚が強まるようなもの。隣の「藩」とは敵であり、協力などまっぴら御免となる。
 歴史がある地域を、適当に線引きし、人工的な地区に分けて統治することが難しいのと同じで、なんの紐帯もない地域をまとめるのも極めて難しい。
 日本は古代の余韻がそのまま引き継がれている国であり、さまざまな場面で、水利権のようになにがなんだかわからない状況になっているのである。現実を見据えればわかる筈。
 法隆寺は遺跡ではないのだ。そして、聖徳太子(574-622年)のために寺を造った人達の建設会社はあるは、それより昔と思われる環濠集落までもが現存しているのである。
 世界を見渡しても、そんな国などなかろう。

〜 非科学的な狂牛病対策こそ、日本が得意とする解決策である。 〜
 若い牛を検査しても、狂牛病感染か否かは判定不能。これが、現段階の科学のレベル。
 従って、常識的には、全頭検査は無駄。
 しかし、日本では、コストがかかっても、どうあろうと全頭検査に進む。もちろん、全頭検査を正当化する理屈もあるから、コスト・ベネフィットを持ち出して議論を挑みたくなるようだが、なんらの影響力も与えないのでは。理屈ではなく、日本が連綿と受け継いできた文化そのものだからだ。下手に抵抗し続ければ、村八分になりかねない。そんな状況なのでは。

 日本では、商品の「安全」や「品質」に係わることは、その問題の重大性に関係なく、レベルを上げるよう努力することになっているのである。これが、日本人のモノに対する基本姿勢とされている。もちろん不文律。
 ここから逸脱しようと図るなどタブー。流石に、購入者が負担になるほどの価格上昇になるような取り組みは避けるが、そうでなければ、常にレベル向上を目指すのだ。世界広しと言えども、こんな国は珍しいのではないか。
 半導体のラベル印刷が傾いただけで、不良品とされることに、欧米の経営者が仰天したことを思い出していただければ、わかるのでは。最低レベルの品質を担保してコスト競争力を徹底強化するとか、余計なコストをカットして重要機能の向上に集中することで業界のリーダーの地位を狙うような動きを、日本企業が避けるのは、文化の影響も少なくないのである。
 それはともかく、資材調達、生産、商品物流、販売と、すべての場面でこんな動きが進めば、塵も積もれば山となるで、安全と品質のレベルは高くても、価格は相当高くなる。しかし、それを社会が容認してきたのである。
 おそらく、ヒトが造ったものには魂がこもると考えた、古代の信仰の残滓からくる対応だ。こんな動きに文句のつけようがなかろう。全身全霊をかけてモノ作りに励むのは、職人だけではないのである。
 経典の民が早くに捨て去った感覚が、日本には、未だに現存しているということではないか。

〜 政治家の世襲を無くすのは至難の業だ 〜
 上記でおわかりのように、日本は古い国である。従って、世襲制度は至るところに残っている。
 社会の安定性を重視すれば、それは悪い話ではないという感覚があるのだと思う。なんと言っても圧巻は、第一次産業だ。これは世襲が原則。それを支えるような制度が完備され尽くされている。都会の住人からすれば、特権階級そのもの。
 そして、地域社会を支える公的職種も、実質的には縁故採用だったりする。これらが、地域の一族郎党意識を醸しだす出す根源である。世襲政治家とはその象徴でしかない。
 日本の組織は、企業や官庁も含めて、この一族郎党意識を重視する。組織のロイヤリティを、精神の古層に依拠することで、強固な連帯関係を構築しているのだ。
 この意識、発祥はおそらく祖先崇拝。その象徴は氏神様だが、すぐに地域の鎮守様に変身していく。一族郎党意識を血筋外にも拡大解釈することに成功したのである。さらに、縁故など無縁の近代組織にも、この意識を適用することにしたという訳。

 世襲だろうが、能力ある人材ならよいではないかと、この一族郎党構造に目をつむるか、この構造を壊すかのどちらかしかないが、どちらを選んでも茨の道である。
 まあ、こういうことで、地方に世襲政治家が登場するのは自然な流れ。
 実は、注目すべきはそこではない。政党のトップが世襲という点だ。日本の組織文化恐るべし。


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