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■■■ ジャータカを知る [2019.4.6] ■■■
[27] 青蛙
🐸青蛙はモンスーン地域では緑の大地に降雨というシーンの象徴。その合唱の凄さと重なる訳だが、現代人には忘れ去られた情景である。

しかしながら、蛙信仰とはこの青蛙が対象ではない。少数派で動きが鈍い蝦蟇の方だけ。しかも、必ずしも愛されている訳ではない。
月に蝦蟇という、大陸からの観念がベースにありそう。

普通に考えれば、数多くの卵だらけから始まり、孵化してお玉杓子がうごめき、大勢の蛙の大騒ぎという流れから、その繁殖力信仰があってもよさそうなものだが、インドではナイルでの蛙頭神のように主流信仰にはならなかったようだ。

もちろん、雨季到来は蛙のお蔭という気分があったことは間違いない。
それが示されているのは、「リグ・ヴェーダ」7.103 HYMN"Frogs"。浅学の身には、英訳を読んでも真意はよくわからぬが、降雨を喜ぶ歌のようである。現在ヒンドゥー教に、蛙"Manduka" の結婚は雨を呼ぶとの信仰が続いているとのニュースが流れるから、おそらくはそのような意味の詩篇なのだろう。

インドの宗教の特徴は、古代のおどろおどろしい供犠的雰囲気をできる限り残すことにあるうえ、輪廻感のためか歴史観というか時間軸をまったく気にしない点。
それを考えると、蛙の位置は微妙であろう。

それは、あくまでもベーダ経典に登場する生き物。シヴァやヴィシュヌとの太い紐帯を欠いている点からみて、大衆性が欠落しているのは間違いない。
おそらくベーダ・ベーダと大合唱する動物であり、下手をすれば嘲笑の対象になりかねまい。

貧困な大衆からみれば、祭祀行事独占を旨とする婆羅門の多くは貪欲的人々。しかし、だからといって尊敬されていない訳ではない。一部ではあるが、自己研鑽に努め、広く深い知識を持ちじっくり考えた上でアドバイスしてくれる人が存在していたからである。婆羅門こそが、インド哲学の出身母体なのは明らかな訳で。

ジャータカでは黒譚[#239]に登場。
蛇が魚を喰おうと。ところが追って一緒に網に入ってしまい、状況一転。今度は魚が蛇を喰おうと。網を破り逃げ、これは蛙にどういうことか裁定を仰ぐ。そうこうするうち、蛇は水に引き込まれ魚の餌に。蛙、これが現実と。

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