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■■■ ジャータカを知る [2019.4.17] ■■■
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🐅虎は西はトルコ、東は朝鮮半島、北はシベリア、南はインドネシアまでの森に棲んでいた大型肉食獣だが、今や絶滅地域だらけ。その数は3,000頭を切り、大半は印度棲息。
  ●ベンガル虎Bengal tiger/孟加拉虎

そのインドの神、シヴァは何故に虎皮を纏う必要があるのだろうか。
ヒマラヤの地で坐して瞑想三昧という姿がこの神の本義とすれば、虎の衣という点が最高位の行者を示すということだろうか。ここらは、仏教の袈裟と大きく違うところ。

後者は現代的な社会観から見れば分かりやすい。人々の衣類の使われなくなったボロの喜捨布を縫い合わせたパッチワークであることは自明。そこには、社会のルール観と、それに合わせた宗教教団としての戒律に従う姿勢が示されているとも言える。(現代日本では高級材質特別仕立ての贅沢品にしか見えぬが、今時、ボロを着た僧侶に訪問されたい人が居るとは思えないから当然だろう。)
一方、シヴァの描き方は正反対。個としての行者の姿だ。その姿勢は現代の放浪する修行者サドゥーSādhu/苦行僧で見ることができよう。観光対象化が進んでいるとはいえ、現代インドで確固たる地位を占めている人々だ。階層社会とは無縁の地平で、祭祀者あるいは神話語り手として、喜捨で命をつないでいる訳で、真っ裸で生活する場合もあろうし、常識外れの様相の衣装のこともあろう。調べていないが、シヴァの場合は動物の頂点にいる虎が死して皮を供したとかそれなりの意味がありそう。サドゥーは動物を連れていることも少なくないが、それはペットではなく、行の仲間なのだと思う。
ともあれ、虎はシヴァの侍者と化したようである。第二妃ドゥルガーDurgaの乗物ドゥンDawonにされているのだから。

さて、虎の仏教説話と言えば、法隆寺大宝蔵院展示の玉虫厨子の「投身餓虎-捨身飼虎図」。日本だけでなく、仏教伝来地にはたいてい残っている話だから、人々に強烈な印象を与えたようだ。当然、ジャータカ記載と思いきや、見つからず。
「金光明経」捨身品に所収されているとはいえ、ジャータカにあってしかるべきなので不思議に思ったが、出典が違うようだ。
現存ジャータカはパーリ語版。しかし、サンスクリット版の"ジャータカ・マーラー"等の北伝別書があり、そこには散逸譚が残っている。牝虎本生譚は、そちらなのだ。(干潟龍祥&高原信一[訳]:「ジャータカ・マーラー―本生談の花鬘 」講談社 1990)
南伝では、あえて収載を見送ったと考えるのが自然だ。

木工養豬本生譚に[#492]"帝釈天>阿修羅、鷹>鳥、虎>獣"という力関係の言。殺戮者として頂点に立つ者が誰かの、通俗的見方が示されていると見てよさそう。虎は頂点に位置していると考えられていたことになろう。

虎と獅子譚[#272]は肉食動物の雄たる虎と獅子が仲違いするが、結局、両者は友情を確かめあうというお話。
似ているのはジャッカルが絡む話。[#361]残飯漁り役で満腹になり、虎と獅子肉にも興味を覚え二枚舌で殺し合いをさせようと。しかし、一時不信感も湧いたが両者はさらに仲良く。

ヒト喰い虎の恐ろしさはよく知られていたようだ。[#343]蘇生呪文を知って虎にかけてしまい喰われたり、[#150]肉食修行者が獅子と虎に殺された話[#438]がある位で。
ということなら、2大獣王はもっともな扱いだが、本来的には両者は草原と森で棲み分けていた筈。前者が遊牧民にとっては王者然としていると見ていたと思われる。
従って、虎はどこか抜けたところがある動物とされておかしくない。
そんなところから、猪が虎を操るインチキ苦行者をやっつける話が生まれたと思われる。[#283]

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