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■■■ ジャータカを知る [2019.6.25] ■■■
[107] 帝釈天
ジャータカにはなにかといえばSakka/帝釋天=インドラ/因陀羅が登場する。
正確にはSakko devānaṃ indoで強力な神々の帝王という意味らしい。大衆的に人気があるラーマ王子の物語、「ラーマヤーナ」でも天の神として登場する。もちろん、ベーダ経典(リグ・ベーダ)ではほぼ最高神の地位にあるから、その出自は極めて古そう。

天の神という意味は、アーリア系の民が遊牧主体だった時代、乾燥した開けた地域での恐ろしい雷を意味していたからだろう。それが、牧畜・農耕の定着民に変遷していく過程で、土着民との闘いのなかで軍神化したということ。各地に進出が進めば統治地域の最高神として他の神々を差配するようになるし、機能も拡大していった筈。それだけのことでは。
当然ながら、ペルシア系の地の宗教だったゾロアスター教徒から見れば、一番の敵である民の軍神だから悪魔的扱いになる。

釈尊は王家の出身。従って、帝釈天信仰の風土で育った訳で、ジャータカにはいかにも王族譚らしき話が散りばめられているから、守護神役となって登場して当たり前だ。

ただ、その描き方は独特と言わざるを得ない。現代感覚からすると、しっくりこないからだが。

喜捨することが知られるようになると帝釈天が変身して登場するのだ。本心からの布施か試すのだが、これがかなり阿漕な扱い。肉体的に無理な修行をいくら続けても意味は薄いとしたにもかかわらず、かなり苛烈なテストが行われるのはどういうことか、はなはだわかりにくい。
社会状況を考えるとわからないでもないとはいえ。・・・
教団の急成長を支えたのは、軍隊を抱えた王族。だが、直接的なパトロンはジャータカにちょくちょく登場する豪商あるいは長者と見た方がよさそう。交易商人達であるから、支援者になっておけばビジネスに好都合と考えている人々がいておかしくなかろう。その辺りへの警告という一面はありそう。

ともあれ、こうした帝釈天の行動には一大特徴がある。
飛びぬけた布施行為があると認定するのは、仏僧や尊者でもなければ、釈尊でもない。使者が見て歩いている訳でもない。中華帝国型なら、帝釈天が布施行為記録担当の官僚組織編成し、点数帳面で判定した優等生を特別扱いすることになるのだろうが、精神的自由を追い求めるインドではそんな方向には絶対に進まない。
帝釈天は、並外れた布施行為に突然気付かされるのである。
と言っても、自分で時々人々を観察している訳ではなく、アラームが発生するのだ。居場所が熱くなったり、大いなる震動が励起される。
(参照) 伊藤千賀子:「帝釈天登場のきっかけとなるモチーフ-大地震動・天宮震動・帝釈天の座の熱気-」印度學佛教學研究49 (2), 2001年

金剛杵は最重要かつ不可欠な密教法具だが、もともとは帝釈天(梵語:śakro devānām indraḥの音訳は釈提桓因陀羅)の持物。天部に属する護法神群の一員という扱いになってはいるもののが、その地位は極めて高いと考えるべきだろう。
それは釈尊の感覚を受け継いでいるとも言えそう。
一方、勃興してきたヒンドゥー教では帝釈天軽視の流れが堅調。ヴィシュヌ神の影に隠れてしまうマイナーな神の一つになってしまった。

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