→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.26] ■■■
[附64] 院政期8宗考
「今昔物語集」成立時と目される院政期の本朝仏教宗派は南都6宗と平安期の2宗である。
空海の「十住心論」の見方を取り上げたが📖十住心に心配、他についても取り上げておこう。
ただ、浅学の身につき、勝手な解釈で整理するに過ぎないが。

ここで注意を要するのは、天竺は、歴史の時間軸観念がとてつもなく薄い社会であり、換言すれば進歩感が生まれない風土であるということ。時間の前後よりは、理屈上の連関が重視されるということになろう。
それを踏まえると、空海の論旨は理屈重視であり、「今昔物語集」は時間軸感覚を踏まえて現実観という違いにも留意が必要となる。

道教も神祇も、仏教との習合を通じて教義や崇拝対象が磨き込まれてきたのだから、その変遷を見ないで一括して単独の宗派とする発想には注意を要するということでもある。仏教にしても、天竺で長い時間がかかった変遷を経て産まれた、様々な宗派感覚を有している経典が一挙同時に震旦に伝来したのだから、そこらをどう整理するかで、見方は大きく変わる筈なのである。
「今昔物語集」編纂者はそこらについての自説を入れ込んでいることになる。それは自己主張というより、普通に見ればこんなところではなかろうかという視点ではないかと思う。
もちろん、それと違った見方も色々ある筈だが、ワッハッハとしか言いようが無い、我田引水型が多いのはご承知の通りというところか。

基本的に南都型は、道教や儒教については特段語る必要無しとしていると思われる。それは、"小乗 v.s. 大乗"という対立姿勢を第一義にした訳ではなく、解脱道一途から菩薩行道一途への転換をどう図るべきか追求していたからではないか。つまい、"悪道⇒俗世的倫理道⇒脱俗世"への関心は薄く、もっぱら"脱俗世の道"を探ることに精力を注いでいるということでもあろう。

そして、南都系が果たした役割として重要なのは、律宗的発想が極めて強い点。"教論"+"戒律"+"経典"を明確に峻別したのは特筆モノ。社会上の要請に適合し、教団組織持続のために、戒律変更が柔軟に行える仕組みを学問的に検討したということでもあるからだ。
現代の仏教教団を見ればその影響が甚大だったのがよくわかる。・・・アジアの上座部圏に残っている出家者組織の"戒律"とは全く異なる方針に大転換できた由縁でもあろう。現代日本では、ほとんどの僧は俗人生活者。教団組織内で脱俗生活を送る比丘/比丘尼とは言い難く、在俗の優婆塞/優婆夷・法師に当たる。
「今昔物語集」編纂者が、ほとんど俗人と変らぬ発想の僧を登場させている上に、法師・優婆塞の真摯な信仰を取り上げているのは、それをすでに予想していたとも言えよう。

この3峻別が意味するのは、南都系は解脱型と菩薩行型を包含しながら、天竺で示された王権鎮護と衆生救済の両立を進めるための理論的根拠を探ることに熱心だったということかも。
「今昔物語集」編纂者は、その検討の意義を高く評価していそう。そうでなければ、天竺部に上座部経典でもある釈尊本生譚たる、ジャータカの巻を取り込んだりはしまい。同時に、そのような両立は難しいことを、欠巻の存在でで示したとも言えよう。

そんな風に考えると、宗派の差は、経典の進化列発想で見ることもできそう。空海の主張は、素人からすれば、単純化し易い。
4段階的進化に映るからだ。
  ①「初期経典」
  ②「法華」
  ③「華厳」
  ④「密教経典」

密教を取り入れているものの、最澄の感覚は相当に違うと思われる。実践的学びの流れで規定したと言ってもよさそう。
  ①「華厳」(鎮護国家)
  ②「阿含」(初期)
  ③「維摩」
  ④「般若」(空)
  ⑤「法華」+「涅槃」

「今昔物語集」編纂者からすれば、ここらは2段階として見れば十分ということになるのかも。
  ⓪「ジャータカ」
  ①「般若」
  ②「華厳」「密」「法華」


 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME