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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.9] ■■■
[附55b] 亀岡盆地の寺社
神仏習合の観点から、京都盆地辺りに進出していった様子を眺めてみた📖→。亀岡地区も関係しており、出雲勢力との関係が深そうに映るが、松尾大社系も存在するし、丹波地区の国分寺が置かれており、古くからの交通要衝でもあったから、様々な勢力併存の地でだったようだ。

ここに流れている大堰川は、狭い保津峡から桂川へと流出していく地形で、もともとは、飛鳥や京都盆地同様に浅い湖だったと見られている。

以下のような寺社が見つかる。伏見系や、天皇家系も、存在していると考えてよさそうだ。・・・
  千歳車塚古墳@千歳
  阿多古神社/元愛宕神社@千歳507年 [大己貴神]
  出雲大神宮@千歳御蔭山709年 [大己貴神]…神宮寺の仏像は極楽寺に移転。
  鍬山神社@矢田御蔭山/面降山709年  [大己貴神]
  丹波国分寺・尼寺@亀岡千歳741年
  徳神社@神原[大山祇命]
  粟島神社@浄法寺山[少彦名命]
  穴太寺/穴穂寺@曽我部705年(大伴古麻呂:文武天皇勅) [巻十六#_5]観音霊験譚
  神蔵寺@稗田野朝日山782年(最澄) [薬師]
  先手寺@稗田野807年(空海) [千手観音]…「今昔物語集」とは違う獨鈷伝説
  稗田野神社…丹波佐伯の稗田阿礼の地とはココか。
これだけの一覧で、国ッ神の国土開墾の様子が見えており、実にわかり易い。京都盆地側大山祇命は、開墾のため面降山に降臨した出雲の神々とともに、保津峡治水について神原で協議したことになる。天ッ神とは役割が異なることがわかる。

現代でも、若狭湾の宮津から、福知山、園部を経て亀岡へは鉄路で100Km・2時間程度である。北九州〜出雲〜宮津航路と繋がって、文化の通り道だったのは間違いない。それを彷彿させる神社も存在している。
  天岩戸神社/伝元伊勢(内宮)@福知山…岩戸山/日室ヶ嶽信仰…岩盤上社殿
  籠神社/元伊勢(外宮)@宮津

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