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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.5] ■■■
[附52a] 地蔵菩薩像一覧
地蔵菩薩を本尊とする宗派はないらしいから、その信仰は、あくまでも派生的とされているのだろう。
従って、御本尊とするお寺は僅少と見てよかろう。しかし、現代に引き継がれているその信仰は極めて盛んなものがあり、水子供養が特に目立つが、各地域毎に有名なお寺が存在しているようだ。
もともとは、本寺の地蔵院だった可能性があるが、人気が出ると縁起や伝承の類は揺れ動くので、どのような歴史があるのかは見えにくくなる。
その辺りを勧請に入れて、平安期が出来る限り見えるように、地蔵菩薩像を安置するお寺を眺めてみることにした。網羅性、正確性共々乏しいので、そのおつもりで。・・・
++++++山城
卍壬生寺/地蔵院/小三井寺@五条坊門壬生…991年快賢@三井寺
 本尊[焼失]木造立像漆箔切金文様"縄目"165.8cm平安
  石地蔵(町内貸出用)現代
卍善願寺@伏見醍醐…731年行基 源信再興
 本尊坐像"腹帯"268.2cm平安
卍広隆寺@太秦
  木造坐像"像腹"@地蔵堂平安
  木造坐像@講堂182,4cm平安
  木造立像"埋木"@霊宝館90,9cm:平安
卍六波羅蜜寺@東山
  木造立像彩色玉眼"鬘掛"@元地蔵堂151,8cm平安…「今昔物語集」
  木造坐像 鎌倉…[推定]運慶作@地蔵十輪
卍浄瑠璃寺@木津川
  木造立像彩色"子安"@九体阿弥陀脇157.6cm平安
  木造立像[→東博]97.0cm平安
卍東寺/教王護国寺
  木造彩色162,4cm平安
卍法金剛院@花園扇野…1130年待賢門院
  木造立像彩色127.2cm平安
卍寂光院@大原…伝玉泉寺(594年聖徳太子)
 本尊木造立像"六万体"256.4cm1229年鎌倉
  (周囲棚3万体/胎内3万体小像)
卍十輪寺/業平寺@大原野…850年
 本尊木造坐像"腹帯/延命"…850年伝教大師作
++++++大和
卍帯解寺@奈良今市…858年文徳天皇
 本尊木造半跏像彩色"子安"138,7cm鎌倉
卍福智院(元清水寺)@奈良ならまち…736玄ム
 本尊木造坐像270cm鎌倉
卍伝香寺@奈良小川…771年思託
  木立像"裸形法衣"鎌倉
卍東大寺…文書上では平安初期に像が存在
  @慶堂…快慶作、@仏堂…康清作鎌倉
卍興福寺…文書上では平安初期に像が存在
  木造立像彩色@仮講堂140,9cm
卍秋篠寺
  木造立像素地92,9cm平安
  木造立像96,7cm平安
卍唐招提寺
  木造立像@地蔵堂158,2cm平安
卍法隆寺@斑鳩
  木造立像彩色@大御輪寺旧蔵平安前期
  木造半跏像彩色玉眼@地蔵堂50,0cm平安
  木造立像@聖霊院76,7cm平安
卍融念寺@斑鳩…不詳(融通念仏宗)
  一木造立像彩色160cm [僧像的]平安
卍室生寺@宇陀
  木造立像彩色@金堂(5尊像)160,6cm平安
卍矢田寺/金剛山寺@大和郡山…676年智通(天武天皇勅)
 本尊木造立像'矢田型(右手が阿弥陀如来来迎印)'伝820年頃…満米
  木造立像"試み"
卍東明寺@大和郡山矢田…693年舎人親王
 木造坐像彩色131.3cm平安
卍聖林寺@桜井…712年定慧
 本尊"子安延命"江戸
卍橘寺@明日香…聖徳太子橘寺
 木造立像彩色152,4cm平安
卍当麻寺@当麻…612年麻呂古王
  木造立像彩色@講堂147,2cm平安
卍富貴寺@磯城川西…道詮
  木造立像漆箔96,3cm平安
卍生蓮寺@五條…小野篁(嵯峨天皇勅:皇后安産祈願)
 本尊 江戸
++++++近江
卍木之本地蔵院/柳本山金光善寺/浄信寺@長浜…675年祚蓮@薬師寺
 本尊木造立像1242年鎌倉
卍櫟野寺@甲賀…伝792年最澄
  木造立像/立像(3尊)110,8cm平安
++++++播磨
卍如意寺@神戸…12世紀比叡山東塔末寺(645年法道)
 本尊櫨の木像…(645年法道仙人作)
++++++"鎌倉"
卍建長寺@鎌倉1253年…心平寺(処刑場)
 本尊坐像240cm室町
卍宝戒寺@鎌倉1335年…後醍醐天皇勅(北条宗家屋敷地跡)
 本尊木造坐像1365年(憲円作)南北朝
++++++都周辺地
卍朝田寺@伊勢松阪…796年空海
 本尊木造立像…空海作平安
卍地蔵院/宝蔵寺@伊勢亀山…741年行基 806年地蔵堂
 本尊座像…寺によれば日本最古
卍清水寺@信州松代…803年寛空
  桂材一木造立像平安
++++++都からの遠隔地
卍恐山菩提寺@むつ…(862年円仁:常識的にはあり得ない。)
 本尊
卍中尊寺@平泉…850年円仁
  (6尊3壇)木造立像彩色平安
卍浄山寺/慈福寺@埼玉越谷…860年慈覚大師
 本尊一木造立像彩色彫眼"野島子育て"91.2cm平安
卍鶴林寺@阿波勝浦798年空海
 本尊寄木造立像彩色"矢負"[→京博]63.3cm平安
卍観世音寺@太宰府(清水山)…746年完成
  木造半跏像@金堂123,6cm平安
  木造立像@金堂136,3cm平安
卍高岩寺@江戸巣鴨
 本尊"とげぬき"江戸

ザッと見た印象からすると、亡者供養というよりは、先ずは蘇生/延命の僧系と子安の小僧系が拡がり、やがて往生祈願の六道救済へと収斂していったように思える。
地方に広がったのは、開墾が進んだからだろう。先ずは、僧が現地に地蔵像を持ち込んで、人々の安全を祈願してから始まるというパターンがあってもおかしくなかろう。富が増せば、子安に関心が向く訳で、裕福な層しかできない往生祈願でなくとも、地蔵に六道からの救済を願うという流れが生まれたというように読む。
「今昔物語集」成立と目される1120年までは、それで済んだすぐに戦乱と武士の時代に入る。そうなれば、蘇生/延命はさらに切実な願いとなり、避けられない悪行で地獄行必至となれば、救済祈願も真剣になって当然。

適当に思い浮かんだだけ。もちろん、これがどこまで当たっているか確かめるすべはない。
尚、「今昔物語集」には、寺の伝承話はそれはど当てにならない理由の、ヒント譚が収載されている。湯治にやって来た武人 王藤が、観音様がやって来たと拝まれてしまうお話が示している通り。📖俗人出家
中央から僧が訪ねて来て、昔建立した寺に詣でよとの我らが祖師がの夢告があったと言うと、現地の由緒とピタリと一致すれば、それは事実となるだけのこと。地蔵譚については、元ネタがそもそも寺の由緒話を避け、事実を丹念に拾っていく姿勢を見せていることから、寺への参詣以外での地蔵信仰が広がっていた可能性がある。

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