→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.7] ■■■ [343] 俗人出家 【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚) 《1〜18俗人出家》 僧が教化しようして訪れた訳でもないし、家や親が決めたからということではなく、自らの意志で強固な決意のもと剃髪するのである。 一見、なにげなく選んだだけで収載したように見えるが、欠文化を含め、熟考して並べたのではないか。そういう意味で、力が入っていそうだが、読んだからといって、そう感じさせることがないよう、文章に特別に手をいれたりはしなかったようだ。 順に見て行こう。 【良峰宗貞⇒遍照】 此の世、幾ならず。 法師に成て、仏道を修行せむ。 ●[巻十九#_1]頭少将良峯宗貞出家語 [→僧正遍昭] 【大江定基⇒寂照】 世は疎き物也けり。 ●[巻十九#_2]参河守大江定基出家語 [→圓通大師大江定基] [→文殊化身] 【慶滋保胤⇒寂心】 年漸く積て、道心発にけれ。 ●[巻十九#_3]内記慶滋保胤出家語 [→慶滋保胤] [→日本往生極楽記] 【源賢の父 源満仲】 殺生三昧の父に道心を起こさせる。 ●[巻十九#_4]摂津守源満仲出家語 [→多田院御家人祖源満仲] 【六宮姫君の夫】 ほったらかしておいた女への愛が復活。 しかし、腕のなかで死んでしまった。 ●[巻十九#_5]六宮姫君夫出家語 [→「六宮姫君」元ネタ] 【生侍】 ●[巻十九#_6]鴨雌見雄死所来出家語 生侍、貧しい生活だが、 産後の妻に食べさせようと鴨狩に。 美々度呂池(深泥池@上賀茂)で雄鴨を弓で射殺。 翌朝、調理すべく外に出しておくと 雌鴨が、夜になって、慕ってやって来た。 そして、雄鴨の遺骸に寄り添うのである。 夫婦ともに、とても食する気にならず。 頓所道心が起き、 生侍は愛宕護山へ登り、法師に。 白楽天「長恨歌」の比翼の鳥・連理の枝を想起させられる仕掛け。 【丹後守保昌朝臣の郎等】 ●[巻十九#_7]丹後守保昌朝臣郎等射母成鹿出家語 明後日が狩という晩、 丹後守保昌朝臣の郎等の夢に、大きな女鹿が出て来た。 これは私の母と悟った、 「射ないように。お前の所に走って行くつもり。」 と言われた途端に夢から覚めた。胸騒ぎがし、悲しくなった。 夜明け、病気と理由をつけ狩のお供をお断りした。 しかし、守は許さず、 汝の狩を見るためなのに、怒り出す始末。 行かないなら斬首だとまで。 流石に、そうなると強情を張る訳にもいかず 狩に参上はすることに。 お告げ背かないようあの鹿を射ないようにしようと意志を固めた。 2月10日のことだった。 気分悪げに、憖顔で出立。 7〜8頭の群れに出会い、その中に大きな女鹿がいた。 狩に入ってしまい、男は、お告げを忘れてしまっており、 その鹿を射貫いた。 見ると、その容貌は母であり、「痛や」と言った。 お告げを思い出し、悔ひ悲しんだが、後の祭り。 馬から踊り落ち、 泣く泣く弓箭を投げ棄て、 その庭にて髻を切って法師に成った。 【鷹仕者】 ●[巻十九#_8]西京鷹仕者見夢出家語 [→子攫い鷲] 西の京の鷹使いの男。 仕事大好きで、寝ても覚めても鷹のことばかり。 鷹を手にとまらせて夜明かしさえ。 鷹小屋にはいつも7〜8羽。 その他に、犬も10〜20匹。 沢山、男の男子がおり、鷹の扱い方を教えていた。 夏には鷹の訓練で無数とも言える生き物を殺し、 冬には毎日と言う程、野で雉狩、 春には早朝から擬似声で雉狩、という調子。 男も老齢に。 ある日、風邪で体調悪く、寝つきも悪かったこともあるのか、 自分と妻子が雉になるという、奇異な夢を見た。 それは嵯峨野の大きな墓地でのこと。 極めて寒かった冬が終わって春になったばかり。 家族揃って、巣穴から遠くへと遊びに出たのである。 すると、太秦の北の森の辺りから、人の叫び声が聞こえ、 鈴の音が大空に響き渡った。 鷹を手に据え、駿馬に乗った男たちがやってきたのである。 気が動転。 家族を集め逃げようとしたが間に合わず隠れるしかない。 長男は鷹に腹と頭をつつかれ落ち、 首の骨を砕かれて、悲鳴を挙げた。 次男も犬にやられ、首の骨を砕かれた。 三男は犬使いの杖で頭を打ち砕かれた。 続いて、妻もやられた。 さらに、何匹かの犬に狩り出されたので、 藪から外へ飛び出すと、鷹が追って来た。 もうお仕舞いというところで目が覚めた。 汗びっしょり。 夢の意味を悟ったのである。 夜が明けると、飼っていた鷹と犬をすべて追い放ち 狩道具もすべて焼却。 妻子に泣く泣くその話をして、 山寺に登り剃髪出家。 その後、貴い上人になり、日夜弥陀念仏。 10年余りして貴く死去。 【侍 忠太⇒性空上人】 ●[巻十九#_9]依小児破硯侍出家語[→和歌集] 祖の大織冠(藤原鎌足)から伝わる硯は時朝大納言家のお宝。 侍 仲太が落として、真っ二つに割ってしまった。 若君はまだ10才だったが、 自分が割ったことにすれば、父も許すかもと思い、 仲太の過失を引き受けた。 しかし、父大納言は案に相違し、 家宝を割るような者はただではおけぬと、 若君を斬首。 仲太は出家。 「室町時代物語/御伽草子」硯破の元ネタか。 【春宮蔵人 宗正@増賀上人】 ●[巻十九#10]春宮蔵人宗正出家語 東宮書記官に宗は、若くて容姿が美しく、心も素直。 気にいられて、様々な仕事をまかせてもらっていた。 心も優雅で、妻を限りなく愛し、仲睦まじく暮らしていたが 妻が重病を患ってしまい、 男は嘆き悲しみ、心を尽くし神仏ご祈祷をしたが 逝去してしまった。 遺体を柩に入れ、野辺送り迄、10日ほど家に安置。 男は死んだ妻が恋しいので、一目でも逢いたいという思いで 柩を開けてみると、長い髪は抜け落ち、目は節穴のようでり、 身体は黄黒く変色。 鼻の柱は倒れ、二つの穴が大きく開いており、 唇は薄紙の様に縮んでしまい、上下の歯が剥き出し、 そして、むせかえる刺激的な死臭が漂ってきた。 恐ろしくなり柩に蓋をして立ち去ったものの、 この光景が心に焼きついて離れなくなってしまった。 そこで、心の底から道心が起こり、栄華を捨て、出家を決意。 多武峰の増賀上人に弟子にしてもらおうと考えた。 しかしながら、この男には4才の女の子がいた。 妻の忘れ形見の美しい娘なので、ことさら可愛がり 常に、一緒に寝ていたほど。 明日、明け方には多武峰に向けて出立という夜のこと。 娘を乳母に預け寝かせたところ、 出家に気付いたよう、袖をつかんで泣き出したので。 なだめすかして寝かせた。 そして、暗いうちに密かに出立。 途中、取り付いて泣いていた幼子の声が耳につき、 その姿が心に浮かび、耐えがたい悲しみを味わったものの、 道心堅固。多武峰の増賀上人に弟子入りしたのである。 この話を聞いて、哀れに思った東宮は、和歌を送った。 それを読んだ宗正入道は感激し涙を流したが それを見かけた増賀上人はその姿勢を咎め大いに怒り 宮様の元へ行けと追放。 入道、静かに立ち去り、 上人の怒りが治まるのまで近くの僧坊で過ごした。 気性は激しいが、そぐに受け入れてもらえるのである。 道心堅固に、修行を続けたという。 【湯治の武人 王藤】…滑稽話が本当の出家話に。 小生好みの話なので、場所を眺めてみた。 もちろん、信濃/千野は千曲川(信濃川中流)流域。東山道の要衝でもあり、更科〜千曲は観音信仰が早くから定着していた。 ここには、4〜5世紀築造の4基の前方後円墳(埴科古墳群…科野国造陵墓だろう。)があり、その頃から現代まで、地域的にまとまっている。ここらは、平安期にすでに浄土教的な観音霊場化していた可能性が高い。清水寺、清滝寺、観龍寺[坂上田村麿東征時草創]、智識寺等々が並ぶからだ。 筑摩湯だが、川に向かう山麓の温泉ということだろう。千曲のすぐ南は上田だが、川の西側に位置する別所温泉の伝承では、825年開湯で円仁入浴、翌年北向観世音本堂(常楽寺@三楽寺)創建とされる。東山道でお隣の国 上(毛)野から来た王藤が出家した先は比叡山横川の覚朝僧都とされているが、覚超/兜率先徳[960-1034年]@横川首楞厳院ではなかろうか。 ●[巻十九#11]信濃国王藤観音出家語 信濃の筑摩湯という薬湯でのこと。 ある夜、里人がお告げの夢を見た。 「明日の昼頃、 観音様がお出ましになり、湯浴みをされる。 結縁の為、必ず、皆、来るように。」 里人は「どのようなお姿でお出でになるられるのか?」 「40才余りで、髭は黒く、綾の藺草笠を被り、 節黒の大胡録を背負い、革巻き弓を持ち、 紺の水干を着て、白(足袋)を履き、 黒造の太刀を帯び、葦毛の馬に乗って来る。」 その里人は驚き怪しんだが、夜明けになると、知らせて回った。 そんなことで、里の人々はこぞって湯に集まり、 湯を替えて庭を掃除。縄を引き、香と花を供えて 並んでいらっしゃるのをお待ちしていた。 すると、未の刻頃、寸分違わぬ男が来訪。 男は「何事か?」と尋ねるが、人々はただただ礼拝。 手を顔に当てて擦り合わせて礼拝している僧に近づき、 訛り声で尋ねると、経緯を説明してくれた。 男は 「己は、2日前に狩りで落馬し左腕骨折。 湯治しに来ただけ。 拝まれる言われなど無い。」 と言い逃げ回ったが、皆が追いかけて拝む。 男は困ってしまい、 「しからば、我が身は観音だったということか。 そういうことなら、我は法師になろう。」と その場で、弓箭を棄て、兵仗も投棄、即時剃髪し法師姿に。 それを見た人々は貴び感激。 たまたまのことだが、男の知人が出くわし、 「上野の王藤様では。」と言ったので、 それを聞いて、人々はこの男を王藤観音と呼んだ。 その後、比叡山の横川へ登り、覚朝僧都の弟子に。 4年後、土佐へ行ったが、消息不明。 【高齢翁】 今日明日とも知らぬ身に罷成にたれば、 「此の白髪の少し残たる、今日剃て御弟子と罷成らむ」 ●[巻十九#12]於鎮西武蔵寺翁出家 九州流浪中の仏道修行僧、 日が暮れたので道祖神の祠の傍で野宿。 暗闇で、物に寄りかかり寝ていると、 寝静まった夜半過ぎ、沢山の馬の足音が聞こえてきた。 訝しく思っていると、 「道祖神はおいでか?」との声。 すると、祠の中から 返事があり、「居ります。」と。 いよいよ怪しいと思っていると、 「明日、武蔵寺にお参りされますか?」」との声。 返事があり、「そのような予定はありませんが、 何かあるのでしょうか」 「明日、武蔵寺に新しい仏が出現なさります。 そこで、梵天、帝釈、四大天王、竜神八部衆が皆お集まりに。 ご存じではなかったのですか。」 「知りませんでした。 それなら官らず参上致します。」 「明日、朝十時頃ですので、必ずおいで下さい。 お待ちしております。」 そこで、馬の足音が通り過ぎて行った。 僧はこれは鬼神の会話と見て、恐ろしくなったが、 夜明けを待ることに。 しかし、その会話が気になるので、 確かめたくなり、 夜明けとともに武蔵寺へ向かった。 近くだったのですぐ到着。 何か行われる様子は感じられず、不断より静かな状況。 とはいえ、何かあるのだろうと、 ご本尊の前に坐って待っていることに。 正午近くのこと。 腰が曲がって小さくなった70〜80才の小男の翁がやって来た。 黒髪は無く、まばらな白髪頭で、袋のような烏帽子を被っており、 杖にすがり歩いて来た。 その後には尼僧が一人。何か入った小さな黒い桶を手に提げていた。 翁はお堂に上がりと、仏に向かい1〜3回礼拝し、 木連子の長くて大きな念珠を擦り合わせていた。 尼僧は翁の傍らに桶を置き、「御房をお呼びします。」と言って去った。 しばらくすると60才位の僧が出て来た。 僧は本尊に礼拝し、用件を尋ねた。 翁は、「今日、明日ともしれぬ身になりました。 少し残っている白髪をd剃髪し、御弟子にして頂こうと。」 僧は目を押しぬぐい言った。 「それは大変に貴いこと。それなら、早速にも。」と。 桶に入っているのはお湯。 翁は頭を濡らし、僧に剃ってもらい、戒を受け、 仏を礼拝し去っていった。 その後は、何事もなかった。 僧が思うに、 「翁の出家に随喜し、天衆地類がここに集まるということで 鬼神は、新しい仏が生まれると道祖に告げたのだ。」と。 限りなく貴いと感激し、僧は去って行った。 【越前守藤原孝忠に仕える貧乏侍】 ●[巻十九#13]越前守藤原孝忠侍出家語 藤原孝忠が越前守であった時。 夜昼なく真面目に働くが、極めて不遇で、貧しかった侍がいた。 冬なのに、裏地無しの一重の着物を着ており 激しい降雪の後、外を掃除しようと出て、寒さで震えていた。 守:「歌を詠め。見事に降る雪で。」 侍:「お題はいかにいたしましょう。」 守:「裸でいること。」 間もなく、震える声で懸命に声を張り上げて詠んだ。 裸なる 我が身にかかる 白雪は うち震へども 消えざりけり 守は大層お褒めになり、 褒美に、着ていた着物をを脱いで与えられた。 守の奥方も気の毒と思い、薄色の素敵な着物を取らせた。 その侍は、頂戴した衣を丸めて畳み込み、腋に挟んで立ち去った。 侍所の居並ぶ侍達はそれを見て驚き、不思議に思って尋ねると、 その理由を話してくれたのである。 その後、この侍は行方知れずになり、守が尋ねさせると 尊い聖が住む北山に行き、この二つの衣を布施。 どうか、法師にして下さいと、泣く泣く頼むので、 聖は尊んで法師にしたという。 そこから先は消息不明。 道心は固いので、人も知らぬ深き山寺に居るのだろう。 【五位の太夫】 …極めて印象的な話。芥川龍之介「往生絵巻」の題材でもある。 阿弥陀仏よや、おい、おい。 ●[巻十九#14]讃岐国多度郡五位聞法即出家語[→往生絵巻][→阿弥陀仏信仰] 【大納言藤原公任】 …次女・長女次々逝去で気落ち。長谷解脱寺に出家。 ○[巻十九#15]公任大納言出家籠居長谷語 (欠文) 【中納言源顕基】 …後一条天皇崩御を機に出家。 ○[巻十九#16]顕基中納言出家受学真言語 (欠文) 【大斎院選子】 ●[巻十九#17]村上天皇御子大斎院出家語 [→大斎院] 【太皇大后宮(藤原)遵子】 ●[巻十九#18]三条太皇大后宮出家語 [→源信物語 [5:横川の僧]] (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |