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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.14] ■■■
[附 36] 本朝仏教の母
観光で比叡山延暦寺を訪れると、まず出迎えてくれるのは"祖師御業績絵看板"。事実上、延暦寺を再興した徳川家康側近の天海大僧正[1536-1643年]がこのなかに入るのはわかるが、"弁慶のひきづり鐘"が同列に並んでおり、いかにも大衆的観光地来訪感を漂わす。もっとも、"登叡成仏"の石碑も駐車場にはあるものの、通り道ではないから目立たぬ。
解説では、このお寺は仏教の母とか、総合大学と呼ばれていると。
どこのお寺でも、教祖伝と自宗のことに触れた上で、創基の由緒を語ることで、紹介にかえるものだが、そうではないのである。
しかも、観光客の雑踏の道から一歩入れば、過酷な千日回峰行が行われているお堂はあるし、祖師廟の供養も日々かかさず行われている地でもあるという、このアンビバレント感がなんとも。

思うに、これこそが、比叡山文化ということではなかろうか。
実は、雑炊でゴチャゴチャなのだが、見る方は自分の眼鏡を通して眺めるから質が担保されていれば滅茶苦茶な混淆には映らないのである。
文字でクドクド捻り回した思想に胡散臭さを感じ、先ずは情緒で感じ取ることを重視する、本朝の風土がママ現れているといえなくもない。

「今昔物語集」でも、登場する名前は圧倒的に比叡山で、それに次ぐ山階寺と比類すべくもない。
比叡山物語で、社会の流れの大部分が見えてきてしまうと、思っていたきらいもありそう。

そう感じさせるのは、唐朝と似ているが、知識人の階層が俗を離れて山に入ることで浄化されるとの観念が強そうだからだ。街の生活は、制約が多すぎて自由な精神を保つことなど無理だからだ。
現代でもその体質は受け継がれていると誤解する人も少なくないが、全く逆である。精神的自由度が高まる訳ではないからだ。今や、様々な文化に直に触れる場たる都会でしか、精神的自由は味わえなくなったのである。

そんな気分になったので、比叡の僧名を整理して、多様性の状況を見てみたくなった。
「今昔物語集」は空也の名前をあげないことで、何を重視しているか示した訳だが📖空也譚割愛、"阿弥陀聖"については取り上げ、その流れを無視している訳ではない。📖阿弥陀仏信仰この様に、十分考慮した上で、僧名が使用されていそうなこともあり、こちらが余りに無知であるのも拙いだろうし。

試しに整理してみると、すぐに、これはとてつもなく厄介なことがわかった。そこで、出典を全く気にせず、曾孫引き的な情報から、様々な断片を無理に繋いだり、削除して、いい加減に作成してみることにした。そもそも兼学なので師が複数だし、授戒僧も別だったりするので、このような書き方は実態にそぐわないかもしれないが気にせず強引にまとめてみた。残存系譜書と違う点は多いから、当然、見るからおかしそうなところも出るが、こうでもしないと全容イメージがさっぱり湧かないので致し方なし。

全体を眺めてみると、なんといっても、フラグメント化が甚だしいことが一大特徴である。(房ごとに行儀次第の違いは生まれるが、修行者にとっては簡単に変更できないという事情もあるから、わからないでもない。それに、朝廷と直に結びつく出自身分別格僧や、パトロンからの膨大な支援を得た僧が文書記録に残り易いので、どうしても錯綜してしまう。それもあって、師の勧めによる房の変更も少なくないからだ。)
ただ、はっきりわかるのは、院政期から、それこそ百家ならぬ百流が生まれていったようで、その混沌のなかから群を抜いた存在の教派が現存しているということだろう。そして、当然のことながら、エスタブリッシュメントとしての教団が新興教団に駆逐されていく訳ではなく、角逐は凄まじいものがあるものの、併存状態と見て間違いないだろう。"平安密教"⇒"鎌倉新仏教"観はわかり易いが、本質を見逃しかねまい。

こうして勝手気ままに整理してみると、結構、見えてくるところは多い。例えば、"恵心流"と"川流"は組織観が違いそうだし。新義真言宗開祖も、浄土教の時代観を鳥羽僧正から得た可能性が高かろう。
これは鳥羽僧正が特別ということではない。増命の動きが象徴していると思うが、尊崇を集めているような東密僧に台密の秘儀を授けていておかしくないし、もともと東密僧から伝授されたりしていてかもしれない。円仁入唐期は経典焚書に見舞われており、長安・洛陽の密教はほぼ壊滅させられたのだから、密教は日本で歩を進める以外に手はないことはトップレベルの人達にとっては自明のことと思われる。

そんな風に、なんとなく流れが見えてくるように作ってみた訳である。

[唐"顕密一致/法華経大日経同位"流]順暁

"根本大師流"最澄[766-822年]
┼┼┼┼┼┼┼【天台宗】《伝教大師初入山虚空蔵尾本願堂旧跡碑》

義真[781-833年]初世天台座主
"智証大師流"円珍[868-891年]5世天台座主 ❶園城寺長吏
┼┼┼┼┼┼【天台寺門宗】
┼┼├─◇(↓増命)10世❺❼
┼┼└◇運昭
┼┼┼┼└●千観[918-984年]
┼┼┼┼┼├〇観修/智静[945-1008年] ⇒解脱寺@岩倉
┼┼┼┼┼│└〇(唐房法橋)行円[986-1047年]:
┼┼┼┼┼└〇慶祚[955-1019年]:
┼┼├─◇惟首[826-893年]6世天台座主
┼┼├─◇猷憲[827-894年]7世天台座主
┼┼└─◇明仙
┼┼┼┼└◇余慶/観音院僧正[919-991年]20世天台座主
┼┼┌──┘
┼┼◇明尊[971-1063年]29世天台座主(3日間)㉘㉚
┼┼├─◇行尊[1055-1135年]44世天台座主(6日間)
┼┼└◇覺圓/宇治僧正[1031-1098年藤原頼通子]34世天台座主(3日間)
┼┼┼
┼┼┼│◇慶朝[n.a.-1107年 高階成章3男]38世天台座主
┼┼┼│└◇仁実[1091-1131年 藤原公実2男]45世天台座主
┼┼┼│◇増誉[1032-1116年 藤原経輔子]聖護院建立39世天台座主(2日間)
┼┼┼┼┼初代熊野三山検校┼┼┼【修験道本山派】
┼┼┼5代熊野三山検校
┼┼┼└◇実慶[1117-1207年源朝基子]㊸㊼㊿
┼┼┼
┼┼┼└◇増智
┼┼┼┼┼└◇覚忠[1118-1177年 藤原忠通子 慈圓の兄]50世天台座主
┼┼┼┼┼┼┼┼┼三十三所観音霊場巡拝
┼┼┼│◇仁源[1058-1109年 藤原師実子]40世天台座主 法性寺座主
┼┼┼
┼┼┼└◇覚猷/鳥羽僧正[1053-1140年 源隆国九子]47世天台座主(3日間)
┼┼┼┼
┼┼┼┼[真言宗]
┼┼┼┼│┌□賢海@醍醐寺
┼┼┼┼覚鑁/興教大師[1095-1143年]…「五輪九字明秘密釈」
┼┼┼┼┼┼@高野山大伝法院、密厳院(鳥羽上皇院宣)…⇒根来寺
┼┼┼┼┼┼┼【新義真言宗】

├] [─○泰範[778年-n.a.]⇒空海の弟子
├○広智…東国巡化(多宝塔建立)
│└○徳円…最澄思想絶対系か。
├○光定[779-858年] 別当 大乗戒壇建立
円澄/寂光大師[772-837年]2世天台座主

"慈覚大師流"円仁[794-864年]854年3世天台座主
┼┼┼┼┼┼【天台宗(山門)】
┌┘
├○安慧[794-868年]4世天台座主
├○増命/静観僧正[左大史桑内安峰の子][843-927年]10世天台座主 ↑三井寺長吏
├○玄昭[846-917年]
│├─○尊意[866-940年]延命院建立 925年法性寺創建(藤原忠平願)13世天台座主
│├─○延昌/平等房和尚/慈念僧正[880-964年]946年15世天台座主
││├─○陽生[n.a.-990年]21世天台座主
││├─●"阿弥陀聖"空也/光勝[903-972年]@西光寺/六波羅蜜寺
││┼┼┼【浄土教空也派】
││
││├─○実因[小松僧都 千観の弟][945-1000年]
││└─○明救[有明親王の子][946-1020年]@浄土寺25世天台座主
│├─○浄蔵[三善清行の子][891-964年]…加持祈祷 ⇒雲居寺
│└─○智淵┐
│┌────┘
│〇明靖
│└○静真@法興院
├○覚運
└●"谷流"皇慶/谷阿闍梨[977-1049年 性空の甥]@東塔南谷池上房
┼┼├○"大原流"長宴[1016-1081年] 院尊 安慶
┼┼│└"三昧流"良祐 宿曜師(密教占星術師)
┼┼│○賢暹[1029-1109年 源信頼子]@教王房41世天台座主
┼┼└○行玄[1097-1155年 藤原師実子]48世天台座主
┼┼┼┼│  東塔南谷青蓮房⇒青蓮院@粟田口
┼┼┼┼└○[弟]尋範
┼┼"法曼流"相実
┼┼│└○明雲[1115-1184年]55/57世天台座主
┼┼"双厳房流"頼昭
┼┼│├"仏頂流"行厳 "智泉流"覚範
┼┼││└"穴太流"聖昭
┼┼│├"蓮華流"永意
┼┼│├"小川流"仲快─"西山流"承澄
┼┼│├"味岡流"忠済@信濃 法住寺
┼┼│└○基好
┼┼└●栄西/千光国師[1141-1215年]
┼┼┼┼【臨済宗】《栄西禅師修行の地》
┼┼
┼┼└○慈円/吉水僧正/道快[1155-1225年 藤原忠通子]@無動寺谷大乗院
┼┼┼┼┼…「愚管抄」62/65/69/71世天台座主
┼┼┼"功徳流"快雅@功徳院
┼┼┼└○公円[1168-1235年 左大臣三条実房子]70世天台座主
┼┼┼┼└●道元/承陽大師[1200-1253年]
┼┼┼┼┼【曹洞宗】《道元禅師得度霊跡》

├○相応/建立大師[831-918年]…無動寺開創(千日回峰の祖)
│├○遍/南山房[903-977年 藤原仲平子]
│└─○喜慶[889-966年]17世天台座主
┼┼└─○慶円/三昧座主[藤原尹文の子][944-1019年]…24世天台座主
├●"崋山流"遍昭/花山僧正/良岑宗貞[816-890年]@華山元慶寺…六歌仙
│└─○安然/阿覚大師[841-915年]…台密 「悉曇蔵」
├──○憐昭…台密 「天台法華宗即身成仏義」
2世 円澄
│↓
└○恵亮[802/812−860年]…西塔宝幢院検校
├○満賀
├・・修験道系であろうか。
│└○快修[1100-1172年 藤原俊忠子]@西塔本覚院/妙法院…52/54世天台座主
└○[甥]昌雲@里房妙法院[後白河法皇御所法住寺隣接]
├・・菅原氏系[初代北野別当/天満宮947年]
│└○是算⇒西塔北谷東尾坊(⇒曼殊院@北山⇒@洛中)
├・・仏師系
│└○院覚[定朝孫の院助の子]
└●"院尊流"院尊[1120-1198年]…造像
└○理仙@西塔宝幢院
┌─┘
│○禅瑜/黒谷僧都[913-990]

"慈恵大僧正"良源/元三大師[912-985年]…966年18世天台座主
├○道命[974-1020年藤原道綱子]四天王寺別当
├○暹賀/本覚房座主[914-998年]…22世天台座主 兄は聖救
├○覚慶/東陽房[928-1014年]@無動寺大乗坊…23世天台座主
│└○源心[971-1053年]…30世天台座主
○源泉[976-1055年]@法輪院…31世天台座主(4日間)
├○院源[951-1028年]…26世天台座主
├●"檀那流"覚運[953-1007年]@東塔檀那院
│├─"梨本流"明快/梨本僧正[987-1070年]32世天台座主・・・覚念
││├○覚尋[1012-1081年]35世天台座主
││├○良真[1022-1096年]36世天台座主
││├○仁覚[1093-1102年 源師房子]37世天台座主
││└○仁豪[1110-1121年]42世天台座主
││┼┼└○最雲法親王[1104-1162年堀河天皇皇子]49世天台座主
││└○[兄]良賀@檀那院  [園城寺]禅仁[1062-1139年]
││┼┼┼└●[弟]良忍/光乗房/聖応大師[1073-1132年]
││┼┼┼┼@東塔常行三昧堂/檀那院実報房⇒大原来迎院・浄蓮華院(魚山声明)
││┼┼┼┼┼【融通念仏宗】
│└・・
"慧光房流"澄豪[1049-1133年]@北谷慧光坊
┼┼竹林房流長耀
┼┼毘沙門堂流智海[1104-1192年]

├○尋禅/慈忍和尚[943-990年 藤原師輔十男]⇒飯室座主…985年19世天台座主
│├─○花山院/入覚[968-1008年]
││└○教円[979-1047年藤原孝忠の子]28世天台座主
││┼┼@飯室
│├─○藤原義懐/悟真[957-1008年]─○藤原成房/素覚[982年-n.a.]
││┼┼@長楽寺
│└─○藤原惟成/悟妙[953-989年]
├○仁康[源融三男]
├●"恵心流"源信[942-1017年]@横川恵心院
│├─○安海
│├─○厳久
│├─○慶祐─○浄源
│└─○慶慈保胤/寂心[931-1002年 賀茂忠行の二男]…「日本往生極楽記」
┼┼└○大江定基/寂照[962-1034年]
┼┼┼┼┼┼…1003年渡宋 真宗皇帝拝謁 円通大師号僧官 杭州没
├・・大江定基のような文章博士や渡来人との交流を図る僧が入っているのかも。
│└○清禅
└○延殷@宝幢院
┼┼└○覚忍
┼┼┼├○遍救[962-1030]@静慮院
┼┼┼│└○慶命[965-1038年]@無動寺27世天台座主
┼┼┼└○慶範
┼┼┼┼┼└○寛慶[1044-1123年 藤原俊家子]43世天台座主
┼┼┼└○寂源[965-1024年]
├・・不詳(源信系で名前は登場しないようだ。)
│└─○鎮源…沙門@首楞厳院 「大日本国法華経験記」1040年頃
├○性空 ⇒書写山
│└─○良範
├○増賀[917-1003年] ⇒多武峯
│├─○藤原高光/入道如覚
│├─○藤原統理
│├─○春久[甥]
│└─○相如
└●"川流"覚超/兜率先徳[960-1034年]@横川首楞厳院
…顕密二教だが浄土教僧であり、源信が師。廿五三昧会根本結衆メンバー。

├─○永慶
│┌"恵心流"源信[942-1017年]@横川恵心院
│↓
└○勝範[996-1077年]33世天台座主
┼┼└○忠尋[1065-1138年]46世天台座主
┼┼┼"椙生流"皇覚 & ○成円
┼┼┼┼├〇範源
┼┼┼┼│└〇俊範@無動寺…日蓮遊学
┼┼┼┼"功徳流"皇円@功徳院…「扶桑略記」
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼│┌○源光@西塔北谷持法房
┼┼┼┼┼││┌○叡空[n.a.-1179年]@西塔黒谷慈眼房
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼└●法然/円光大師/源空[1133-1212年]
┼┼┼┼┼┼┼┼【浄土宗】《法然上人堂、法然上人ご修行地(青龍寺)》
┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼├○証空/西山国師[1177-1247年]
┼┼┼┼┼┼│└○聖達
┼┼┼┼┼┼└●一遍/円照大師[1239-1289年] 
┼┼┼┼┼┼┼┼【時宗】(教祖が直接的に比叡山で学んではいない。)
┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼└●親鸞/見真大師[1173-1262年]…@横川首楞厳院常行堂
┼┼┼┼┼┼┼┼┼【浄土真宗】《親鸞上人ご修行の地(聖光院跡)》
┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼│┌□[法相宗]経覚
┼┼┼┼┼┼┼││[1395-1473年九条経教子 母:浄土真宗大谷本願寺5世綽如娘]
┼┼┼┼┼┼┼││…165/168/182/186世興福寺別当
┼┼┼┼┼┼┼└●[浄土真宗第八祖]蓮如[1415-1499年]
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼《蓮如堂》

---
道善房[天台宗清澄寺@安房山主]
(遊学)@無動寺
└○日蓮/立正大師[1222-1282年]@横川寂光院
┼┼┼┼【日蓮宗】《横川 定光院日蓮像》
---
○慶秀@西塔
└○真盛/慈摂大師[1443-1495年]
┼┼┼┼【天台真盛宗】《西塔南谷 真乗院》
---
[註]「大辞林」第三版 三省堂によれば、台密には十三流あると。根本大師流・慈覚大師流・智証大師流が根本。慈覚から川流・谷流。後者は、さらに、院尊・三昧・仏頂・蓮華・味岡・智泉・穴太・法曼・功徳・梨本に。
[*] 興福寺大乗院経覚の日記「経覚私要鈔」1449年に「今昔物語」の書名が登場する。宗派横断的に繋がる知識層では結構読まれていた書かも知れない。

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