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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.13] ■■■
[166] 空也譚割愛
空也/光勝[903-972年]は"市聖"あるいは"阿弥陀聖"と呼ばれた。

様々な書に、市井での積極的な活動や奇譚類が残っているようで、阿弥陀念仏信仰の流れを決定づけた第一人者と見られていたのは間違いなさそう。
鴨長明の評価も大きそうだ。
  これをわが国の念仏の祖師と申すべし。
  すなはち、法華経と念仏とをおいて、
  極楽の業として、
  往生を遂げ給へるよし、見えたり。
  
[「発心集」1215年 第七 同上人衣を脱ぎ松尾大明神に奉る事]

もともとは私度僧で、938年入京し、民衆の中で念仏勧進一筋。その後、948年に比叡入山。天台座主延昌から受戒を受け光勝となったとの経歴。

もちろん、慶滋保胤;「日本往生極楽記」にも登場する。[→]
 沙門空也は父母を言わず、・・・

ところが、「今昔物語集」に「日本往生極楽記」のほとんどの往生伝を収録しているというのに、空也沙門弘也[#17]は除外。その前後の、昌延/延昌僧正[#16]、空也と関係があった千観(大法師)/傳燈阿闍梨[#18]、は往生者として記載しているにもかかわらずだ。"恣意"的にそうしたゾ、と言わんばかり。
それどころか、全巻を通じて、空也は明らかに無視されている。

ただ、その気持ちはわかる気がする。
源信と対比すれば気付くが、空也は一貫して出自を隠し続けて来たからだ。

源信は、出家しても、母への愛情を隠すことなく仏道に励んだ。もっぱら、学僧の道を歩んで来た人。一般解説を読むと学僧イメージは薄いが、横川ではその道で指導者になることが期待され、他のお勤めはせずにほとんど経典と共に過ごして来たと見てよいだろう。
その後、この"学"重視姿勢が変わったことを示す話も無く、その姿勢を貫いたとみるべきだろう。
考えて見れば、だからこそ、「往生要集」として、西方浄土の存在を明確にすることができたとも言えよう。どうしても地獄の細かな描写が注目されてしまうが、浄土往生の正反対の地を示したに過ぎまい。
阿弥陀仏への一心不乱の信仰重視であると言っても、"学"の意義については、あくまでも肯定的なのだ。
ここが、空也の姿勢とは決定的に異なるのではないか。

「今昔物語集」は布教のための仏教説話集ではないし、天竺・震旦・日本の三国で世界が成り立つことを示す本ではない。
想定読者は、あくまでも、インターナショナルなセンスを愛し、自由な精神で談義を愉しめる仏教サロンの人々。
どう考えても、これは「知」について語っている書である。当然ながら"信仰"をどう見るかが重要な話ではあるものの、非"信仰"者や反仏教勢力とどう併存すべきかといった問題も議論されることになる。

その様な目的からすれば、空也に関する話は欠くべからざるものでは無いということ。

そして、おそらく、空也聖の出自を示す文献か伝聞情報を得ており、知らん顔はできないから伏字にするしかないが、当人が公表を拒絶していたのだから、書くのに躊躇せざるを得まい。
それに、主要読者は、十八巻が欠巻とされていることを見ており、その理由はわかるだろう。
と言うのは、空也を抹消する気が無いことを、それとなく伝えているから。
慶滋保胤が出家する話[巻十九#2]で、名前だけ登場してくるのである。
 出家の後は、
 空也聖人の弟子と成て、
 偏に貴き聖人と成て有ける


この辺りを気遣う理由は、全体を眺めているとよくわかる。

天皇に対する敬いの姿勢は明瞭に示されているが、特別な存在として描かれている箇所は一つもない。このことは、あくまでも、仏道の下での王道での天皇の存在ということになる。原則にはあくまでも忠実と言えよう。
従って、中華帝国における皇帝の扱いも同じこと。儒教型の、天帝の命を受けた天子であると見なす用語は避けて、天皇と呼んでいる。漢籍にそのような用語が使われていないので、違和感を与えるが気にせず、敢えてそう書いたのである。
そのかわり、歴史観はしっかりしている。始皇帝は渡来した仏教を否定。そして初の中華帝国を作り上げたと。現代の歴史観では、消された見方と言ってもよいだろう。

奇譚・怪奇を集めた書とされることが多い「酉陽雑俎」と、その精神は共通と見てもよいのでは。「知」を語るために、そして、それを後世にも伝えることができるようにするため、書や伝聞で得た"事実"だけを収録したのである。
ただ、社会的に書けないことは多いので色々な工夫が為されることになる。

「酉陽雑俎」の著者は、おそらく、朝晩の読誦は親同様に欠かさなかっただろうが、そんな生活態度を書こうとは思っていない。日々、官僚の勤めを真面目に果たすことも重要と考えているからだ。そこらは、同じく官僚生活をしていた白楽天とはかなり感覚が違う。
個人の精神生活を他人に見せて誇るような姿勢は肌に合わないのだ。それは、お仲間の狭い社会でお互い喜び合う以上ではないと達観しているとも言える。それよりは、隠遁生活者の精神に触れる方を好むことになる。

それを考えると、「今昔物語集」編纂者は、法華経読誦や念仏を常人ができそうにないほど数多く唱えたこと"だけ"を誇りにする態度を毛嫌いした可能性もあろう。
だからこそ、そのような例も、できる限り数多く収録しなければならなくなった。
そのようなステレオタイプの話が並ぶからこそ、味わい深い信仰譚が映えてくる仕掛け。見かけは、なにもせずダラダラした生活を送っていたり、平然と戒律破りをする僧であっても、内面では、極めて真摯で揺るぎなき信仰を貫いていたりするもの、と指摘している訳だ。不安にかられて、量で他の人より多く功徳を積むような信仰は偽かも知れぬゾ、と警告を与えたとも言えよう。
信仰はあくまでも個人の内面の問題との主張が色濃いのである。

そんな視点で源信を眺めると、空也の姿を見て、自ら固めてきた往生思想が実践できることを、初めて確信したということになろう。
それと、空也は、浄土教ネットワーク構築や指導者育成にあたった訳ではなさそうだ。それは、性空、千観、慶滋保胤、源信、等だったのである。
これは現象面での差違だが、信仰は経典・教団ありきか、との問題提起が隠されていると言えなくもない。

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